9月18日週報

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    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31

    「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」(詩篇3:5)

    6万5千人以上の方々が100歳を迎えられ、敬老の日を迎えました。毎年100歳以上の人々が増加しているとのことで、日本は長寿の国であります。一人一人が健康に関心を持ち、努力してきたことの結果であり、医療をはじめとする福祉制度の充実なども大きな貢献要素と言われています。
    NG誌の記者が世界中の健康長寿の地域を調査し、特異な4つの地域を見つけ出し、その地域を「ブルーゾーン」と呼んでいます。その4つの地域とは、イタリヤ半島の西にあるサルディーニヤ島、日本の沖縄、カリフォルニア州のロマリンダ、そしてコスタリカのニコジャ島であります。そこでの調査の結果は共通しており、長寿は遺伝的要因よりも、圧倒的にライフスタイル(日常の習慣)に左右されている、とのことでした。世界一長寿者の多いところは、イタリヤのサルディーニヤ島と言われ、暖かい地中海気候の中で人々は家族を中心にしながら隣人が村々の人々が互いに支え合って生きていることが特徴として報告されています。毎週、家族が集まり、オリーブオイルを使った豆料理、羊のミルクで作ったペコリーノ・チーズ、全粒粉のパンなどの食事を楽しんでいるとのことです。どこの家庭でも長寿者は豊かな人生経験があるとして大切にされています。健康について専門的に研究されている多くの医者が本を書かれていますが、それらの意見をまとめますと、病気の原因は「免疫系」と「血管系」に分けられるとのことです。「免疫力」を高く保つことと、血液の質を良くし、血流を良くすることが体を健康に保つ鍵であると発表されています。そして、そのために軽い運動、バランスのある食事、過食しないこと、さらに睡眠不足に気を付けることなどが大切です。さらに加えて大切なことはストレスをためないことです。ストレスは自律神経のバランスを崩し、そのことによって血圧、血流にも悪影響をもたらし、その結果は免疫機能の低下にも連動しているのです。良い血液を作る腸内細菌は腸の働き、すなわち、自律神経に強く影響されるのです。ですから、心の支えを持つ人、穏やかな心の状態は体の健康のために最大のポイントと言えましょう。なぜなら体の健康はその人の体によって保持されているからです。

    9月11日 週報

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      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31

      「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」(箴言17:22)

       聖書には古くから心と体の健康についての教えがございます。病気は気を病むと言われ、精神的なことと体との関連も強くあると体験的には人々の知るところでしたが、科学的な理由は十分ではありませんでした。しかし、今日の医学の進歩によって科学的に実証されてきているのです。

       バランスの欠けた食生活、過労、睡眠不足、運動不足などが、免疫力を低下させることはすでに知られているところですが、近年、ストレスがさらに自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスを崩し、免疫力が著しく低下すると、さまざまな実証が発表されています。ストレスは生きている限り誰もが経験しなければなりません。その本質的原因は人間の堕落とも関係しています。ストレスは同じ状況の中でも人によってかなりの違いがあります。多分にその人の気質と関係することでしょう。繊細な気質の方はストレスを強く感じやすいかもしれません。ストレスを受けない人は誰もいません。ですから、大切なことはいかにストレスを緩和させるかにあります。そのための鍵は思考習慣にあります。いつも否定的に思考する習慣を持ったり、批判的思考習慣はストレスを強く受けることとなるのです。危機管理の大切な点は「最悪の状態を想定して準備すること」と言われますが、それは不要な心配を軽減するためなのですが、しばしば最悪の状態を想定している人は、つねに不安になり、思い煩うのです。

       明日の準備はとても大切であります。それによってストレスを軽減することにつながるのですが、ある人々は、いくら準備しても安心できません。準備で疲れ、ストレスが増大することとなります。ストレスの軽減の鍵は思考習慣にあるのです。人には正しく選択し、歩む責任があります。しかし、真剣に生きようとすればするほど様々なストレスを受けるのも事実ではないでしょうか。ですから、主権者であられる全能の神を信頼し、お委ねして生きることをしっかりと学ばなければなりません。結局はストレスは自分自身の思考如何によってコントロールできるのです。

       「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)

      9月4日週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31

        「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ2:13)

        いよいよ創立50周年まで、あと2カ月となりました(2016年11月3日)。今月の22日(木)には同じ会場でのリハーサルを兼ねての「クラリネットコンサートとメッセージの集い」を行うことになっていますが、会員全員の祈りと参加と奉仕のご協力を宜しくお願いします。
        50周年という大きな節目を迎えて、3つの目標を掲げて、その達成のために祈ってきました。
        1.新しい奉仕者の継承(牧師を含めたすべての奉仕に於いて)
        2.新しい活動(宣教、幼児教育、高齢者支援の働き等々)。
        そして3番目に新しい会堂です。 これらの実現のための多くの祈りの課題がございますが、私たちが常に大切にしなければならないことがあります。それは私たちの願いが御心と合致しているかどうかであります。確かに、常識的に可能なこと不可能なことがあり、無知であったり、利己的な野心であってはなりません。しかし、難しいという人間の常識であきらめたり、安易に企画を変更してしまうことにも注意深くあらねばなりません。聖書に登場したり、キリスト教史において神の栄光を現わした多くの人々の体験は、常に困難、不可能と思われる状況の中で生じてきたのです。
        イスラエルの民は、紅海をそしてカナンを前にして、モーセにつぶやき、嘆きました。しかし、神の願いであったので、紅海は分けられ、エジプトを脱出し、カナンの南にはアナク人たちが住んでいたのですが、カナンに入植することが出来たのです。この50年間、ゼロから出発し、2回の会堂建設、内外への宣教師派遣、そしてJWという異端との戦い、いずれも易しいことではありませんでした。
        今も私たちの教会は、聖書的バプテスト教会として、カリスマや世俗的音楽の影響を排し、そして、自由主義キリスト教(創造論、キリストの神性、聖書の霊感を否定)に対立して、伝道してきました。私たちの目標、願いが神の御心にかなうなら、神は必ず達成してくださるとの信仰で一致しなければなりません。

        8月28日週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31

          「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 (ルカ23:34)

          1941年12月8日、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃した隊長淵田美津雄中佐から「トラトラトラ」との暗号電文が旗艦(赤城)に打電されました。この日の攻撃で2300人以上の人々が死亡し、米国と日本との戦争が始まったのです。淵田氏は祖国日本を愛し、火のような敵愾心を抱いて戦い、敗戦による戦争裁判も正義ではなく勝者の敗者に対する復讐ととらえておられました。そのような人物がなぜ回心し、キリスト者となるだけでなく、米国でキリストを伝道する人となったのでしょうか。彼の証言から彼の回心への道をまとめてみましょう。 敗戦後実家に戻った時の人々の手のひらを返した反応での苦しみ。英雄から一転犯罪者として扱われ、村八分のような心理情態を経験、そこで自分の存在意義を見失う。帰還した捕虜たちの証言。米国で出会った一人の女性の親切。その女性は、両親がフィリピンで日本軍に殺されたのですが、両親は殺害される前に30分の祈りを捧げた。悲しみと憎しみとの中でその娘さんは、敵のために祈った両親に学びたいと決断されたのです。その話を十分理解できなかったのですが渋谷の駅前で配られていた一枚のトラクトを読んで彼の心は聖書に向かうようになったのです。そのトラクトの内容は、立場は変わるのですが、日本の奇襲と捕虜として虐遇されたことで強い憎悪を抱いていた米国人Jデシーサー氏がキリストの十字架上の祈り(ルカ23:34)に触れ、改心して日本に宣教師として来日し、憎しみではなく赦しを伝えているとのものでした。このことで淵田氏は聖書を真剣に読むようになり、彼自身もルカ23:34のキリストの祈りに触れ、キリストを主とする告白をされたのです。 彼はそれだけでなく、自らの心の憎しみをいやされ、赦す者となったこと、さらに無知とはいえ、誤った愛国心で、米国人を一人でも多く殺すことに正義を感じていたことに赦しを求めて、米国人への伝道者となられたのです。彼の一人の娘は米国人と結婚し、平和な家庭生活をされておられるとのことです。21Cの今日、世界は人類の悲願である世界平和にどれほど近づいているといえましょうか。互いに憎しみあい、相手の国民を一人でも多く殺すことが正義と信じていた人たち…。しかし、その二人が同じルカ23:34「父よ、彼らをお赦し下さい。…。」の御言葉によって変えられ、憎しみではなく、赦しを実践する人となったのです。

          8月21日週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31

            「『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。』…そして、彼らが十分食べたとき…」 (ヨハネ6:9,12)

            1968年8月に最初の会堂が建てられました。開拓がはじまってから1年と10カ月でした。さらに増築を1988年にしたのですが、1995年の阪神淡路大震災で半壊状態となり、96年の5月に現在の会堂を再建いたしました。いずれの会堂建設にあたっても、神様の恵みによる奇蹟的御業でありました。最初の会堂、そして震災での再建も十分な備えもなく、会員一人一人も自分たちの家屋の修理、再建が精いっぱいで、新会堂は自力ではとても難しく思われました。
            しかし、神様の恵みで、近隣のどこよりも早く再建させていただきました。このような主の御業を私たちは体験してきました。毎回、状況は違うのですが、いずれの場合も自分たちの力では不可能と思われましたが、主は会堂をお与えくださったのです。
            5千人の給食の奇蹟は「イエス様がいのちのパンであられること、イエスのもとに来るものは決して飢えることがない。」との真理のしるしとして行われました。常に主は同じような奇蹟をなさるとの約束ではないのですが、大切な信仰の原理が教えられています。弟子たちの信仰が試されました。弟子たちに5千人以上の人々の食事を備えるように命じられましたが、弟子たちの反応は自分たちの力ではできないとの応答でした。「200デナリのパンでは足りません。」200デナリとは一年の3分の2の収入であり、自分たちの多大な犠牲でも難しいと考えていました。さらに、今、手元にあるのは少年のお弁当“二匹の魚と大麦の5つのパン”すなわち、わずかな食糧しかありません。ところが、そのわずかな少年のお弁当がイエスの手の中で5千人以上の人々を満足させるのに十分なものへと増え広がったのです。弟子たちや献げた少年にとってなんと驚くべき奇蹟であったことでしょうか。
            21C夢計画の目標の一つとして、新会堂建設を願っておりますが、50周年を目標として、私たちの信仰も試されるでしょう。土地の購入、新会堂建設へと大きく前進しようではありませんか。主の大いなる御力に期待して一致して祈り続けましょう。

            8月14日

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31

              神は不完全な人を用いて業を行われる −その時の背景―  牧師 表 博之

              「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」 (汽謄汽蹈縫隠機В隠供檻隠検


              日本人メジャーリーガーのイチロー選手がメジャーで3000本安打を達成しました。すでに日米通算では大記録を達成されたのですが、今回は日本だけでなく、米国でもこの大記録達成に称賛の嵐が起こりました。
              イチロー選手はいつも冷静な方ですが、会見で感激の涙を流されながら、「自分が3000本安打を達成したこと以上に、人々がこのことを喜んで下さり、人々の喜びのために生きれることが幸せです。」とのコメントにとても強く胸を打たれました。
              人はそれぞれの分野で頂点を極めるとき、自分の満足以上の大切なことに考え気付かされるものです。人は決して虫や獣の進化した存在ではありません。神の形を持つ存在であります。ですから、確かにこの地上で生活するために体はある程度のパンを必要としますが、パンを十分に持っていればそれで安心し、満足するものではありません。豊かな食卓を囲んでいても争いが絶えない家庭であっては、夫婦は言うまでもなく、子供たちも喜べないでしょう。ゲーテは次のように語りました。「王であっても、農夫であっても、その人の家庭に平安があればその人は幸福な人です。」
              神は人々をご自身の代わりに、この世界を正しく治め、神の国を永く保つようにと願われたのですが、人々の罪故に、この世界はいつもどこかで争いがあり、悲しみがある世界となってしまったのです。神の子たちは、平和大使として神様から託された使命があるのです。まず、一人一人が自分の心の平和を治める者でありましょう。日々の生活において、毎日のように様々なことが生じています。一つ一つの事柄をいつも喜び、感謝出来ないこともしばしばですが、それでも、神様の命令は「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝することです。」神の子としての自己評価をしっかりと持っているなら、周囲の状況に振り回されずに歩むことが出来るのです。イチロー選手の最大の発見と喜びは、「自分のことで、人々を喜ばすことが出来たこと、人々の喜びのために生きれる自分こそ最も幸いな者である」とのことでした。

              8月7日

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」          イザヤ40:31

                − 信仰者の生き方 −            牧師 表 博之 

                「彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」 (ヘブル11:5−6)

                リオ・オリンピックが開幕されました。かつては“参加することに意義がある”と言われていましたが、今日では“メダルをいくつとれるか”に人々の注目が移っています。開催国の経済的利益追求も関心事と言っても良いでしょう。時間と共に目的や人々の関心も移り変わる世の中ですが、キリスト者にとって、生涯の健全な目標を変えてはなりません。それは「神に喜ばれること」であります。 アベルはカインにねたまれ殺されました。他方エノクは長寿であり、死を見ることなく天に移されました。二人の地上の生活は対照的に思われます。しかし、へブル書11章に出てくる人物たちはいずれも、この地上にあっては、神に喜ばれることを常に人生の目標として生きていたのです。その点では変わることはありませんでした。 人生は生まれながらにしていろいろな違いがあります。人はしばしば自分の生い立ちについて考え、他人をうらやむことがあります。しかし、神を喜ばすことを願い求めて生きる人々は神様の豊かな祝福に与かるでありましょう。サウル王は自分が王の地位にありながら、武将のダビデをねたみました。ヨセフは兄弟たちからねたまれて、奴隷としてエジプトに売られましたが、「神を喜ばせること」を心掛けたので、神がともにおられ、ヨセフのすることすべてを成功させてくださいました。時が来ると、エジプト全土の権限を手にする地位に就いたのです。人は自分の満足を求めて努力するのですが、なかなか満足できません。「満たされたかな!」と思っても束の間の満足であることがしばしばです。神に喜ばれたエノクは“神とともに歩んだ”と言われました。エノクは神に信頼し従ったのですが、常に神がともにおられるとの認識の中に生きていたのです。神は私たちと共におられ、歩んでくださいます。ところが、私たちの不信仰による疑い、自分の思い込みで神を忘れたり、遠ざけたりしてしまうのではないでしょうか。神を喜ばすために信仰が求められます。神がおられること(存在、臨在)と共に祈りに答えてくださるお方であることを信じ続けましょう。

                7月3菊

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」          イザヤ40:31

                  − 信仰者の生き方 −            牧師 表 博之 

                       「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(ルカ10:27)

                  海外では毎週のようにテロで多くの人々が死傷しているとのニュースが流されていますが、日本では比較的安全に過ごせていました。ところが26日(火曜)未明に相模原市の障害者施設で19人が殺され26人が重軽傷を負うという大惨事が起こりました。多くの人々が熟睡している間に刺し殺され、傷つけられたのです。犯人は自分で警察に自首して捕まりました。事件の残虐さだけでなく、計画、予告そして実行…。その動機として「障害者なんていなくなってしまえ」と語っていたといわれています。たとえどのような価値観を持っていても、わずか1時間足らずで、人々を殺せるのは異常な精神状態であったことには誤りありません。現実とバーチャル(仮想社会)の混同やテロによる無差別殺傷報道からの感化、さらには自分の人生における挫折からの自暴自棄的行動など、様々な分析がされるでしょう。20年ほど前の須磨での少年による惨殺事件を想い出される方もおられるでしょう。彼の人命軽視の考え方も同根の哲学です。「人間もゴキブリも同じや」異常な精神状態ですが、同じような自然淘汰を理屈として自分の行為を正当化していましたが、今回の青年の理屈も同じではないでしょうか。自然選択説を世界観と信じる人々が常に弱者を殺すというのではありません。このような行為をする人は個人的な人生観や自分なりの特別な事情を持っている故でありましょう。しかしながら、自然選択説は強い者の理屈であり、弱い者にとってとても厳しい人生観となっています。
                  神様の前には、強い者も弱い者もありません。すべての人は罪人として断罪されるのです。と同様に、どんな弱いと言われている人々も変えられて強くされるのです。イエス様は「わたしは罪人を招くために来たのです。」と言われました。その言葉は単に罪人と思っている弱さを自覚している人々とだけでなく、自分を正しいと、強いと主張する人々にも、あなたも神の救い、助けを必要とする弱い人々ですよと語っているのです。ただ多くの人々は自分の本当の姿を認めず気付こうとはしません。
                  ヒューマニズムは一見、自由と命の権利を尊ぶように思わせますが、残念ながら、ヒューマニズムによっては人間の自己中心性の故に、愛による分かち合いは実現していないのです。

                  7月24日

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」          イザヤ40:31

                    創立50周年!「継続と飛躍への新たな力」(26)
                    − 平和の祭典 −            牧師 表 博之 

                         「幻(ハーゾーン)がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29:18)

                    いよいよ、来月(8月)にはブラジルのリオで平和の祭典としてのオリンピック、パラリンピックが開かれようとしています。各自の技を競い合うだけでなく、人と人との交流を通して誤解を払拭し、相互理解を深め、共存共生の平和な世界を実現しようとの願いがあります。ところが大会を前にして大きな問題が生じています。ロシア選手のドーピング問題で、黒と判断され、ロシア陸上競技の選手の出場が危ぶまれています。ロシア政府はこのような判定を政治利用として、反発しているのです。中国の南沙諸島領有権を仲裁裁判の判決では法的な正当性を明確に否定しました。ところが中国はその判決に猛烈に反発して無視し、強固となっています。各地で無差別に行われるテロ、それに対する報復攻撃など、21Cの世界は初めから人間生活の様々な分野で“ 民はほしいままにふるまう。”と言われていることが起こっているのではありませんか。
                    ニンテンドウから新しいゲームが発売されましたが、人々の楽しみのために、社会秩序が混乱する危惧もあります。自動車の便利さ、スピードは人々の生活を大きく変えました。しかし、どんなに便利で人々を幸いにする車であっても、交通ルールを守らなければ人々を傷つけ死なせる道具となってしまうのです。公平なルールとそのルールの遵守があってこそ、スポーツは人々に感動を与え、人々を強く結びつけるのではないでしょうか。70数年前、各国は自国の利益を第一として、共通のルールを無視して、ついには第二次世界大戦となったのです。今、その時の悲惨さを体験した人々が少なくなり、各国は過去の同じ失敗を繰り返す道を選択するのではないかとの心配が杞憂で終わればいいのですが……。ルールが守られるところに安全と平和が実現し、そこに幸いがもたらされるのです。人間が生きるための根源的ルールは何でしょうか。
                    第一は「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」であり、第二は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということです。このルールは聖書が教える人々のための実際的、普遍的、根本的な安全、平和のためのルールであります。

                    7月17日

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」          イザヤ40:31

                      創立50周年!「継続と飛躍への新たな力」(26)
                      − あれから45年 −            牧師 表 博之 

                           「…イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。」 (ヨシュア記14:10)

                      今年から18歳以上の人々に選挙権が与えられました。これは歴史的な出来事です。若者たちを重んじようとする一つの象徴的なことです。超高齢社会となり、若者の活躍が急務となっているのです。しかし、キリスト者としての大切な視点は、その人の年齢ではなく信仰の元気さであり、強さです。
                      カレブはすでに85歳となっています。しかし、彼の信仰は変わることなく益々成長し続けていたのです。そのために85歳であっても気力は衰えず、勇敢さとチャレンジ精神であふれていました。誰でも年齢と共に体力の衰えを覚えるものです。しかし、信仰を保ち成長させるなら、その体力の衰えを補い支えてくれるでしょう。なぜなら信仰によっていのちの源である神と結びつけるからです。
                      パウロは次のように語りました。「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」(汽謄皀藤粥В)。
                      カレブの信仰について考えてみましょう。45年前にイスラエルの民は大きな決断をしなければなりませんでした。カデシュから前進して約束の地を目指すかどうかの決断です。彼らの目の前には丈体の大きな民族が住んでおり、12人の偵察隊の内10人までが前進できないと判断しました。その時ヨシュアとカレブだけが信仰によって前進することを提案しましたが、結局は後退の道を選択し、そのために40年間も苦しい流浪の旅に甘んじなければなりませんでした。カレブはそのような中でも信仰を守り85歳の日を迎えたのです。カレブの信仰の驚くべき継続性を学びたいものです。それは若い時から純粋な信仰を身につけていたからではないでしょうか。それは現世利益的な信仰ではなく、神の全能と主権をしっかりと受け入れ、神と共に生きることのすばらしさを身につけた信仰であります。目の前の苦しさ大変さによって惑わされ、勇気を失ってしまう人々が多くいます。イスラエルの民は、エジプトを奇蹟的に脱出したにもかかわらず、水がない、肉がないと、すぐにつぶやき神様の偉大さや、恵み深さ、誠実さを忘れ、疑ってしまったのです。しかし、カレブは「もし、私たちが主の御心にかなえば」「主が私と共にいてくだされば」「できましょう」と常に約束の実現へと向かい前進への決断をしたのです。実際、カレブとヨシュアだけが約束の地に入り、10人の偵察した人々は約束の地に入る前に死んでしまったのです。信仰による勇気と決断を願い求めましょう。

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