2017年1月15日 週報

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    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



    「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:21)


     昨年、教会は50周年を迎え、多くの皆様方と共に感謝の祝会を行いました。教会が創立30年をお祝いしてから2カ月が過ぎた1995年1月17日、誰もが予想していなかった阪神・淡路大震災が起こり、わずか20数秒の激震で、結果的に6,400人以上の方々のいのちが奪われ、神戸市を中心として壊滅的被害を受けました。教会堂も傾き、再建しなければならない状況となってしまったのです。まさに想定外のことが起こり、尊いいのちが奪われ、多くの人々が悲しみ、苦しみを体験しました。そのような中で、教会は1年後の5月に再建し、献堂することが出来、そして50周年を迎えたのでした。この震災の中で、ある企業は他の場所に移転したり、商いを止められた方々もおられました。
    神様の豊かな恵みと憐みによって教会は周辺のどこよりも早く再建させていただき、このことがテレビのニュースでも紹介されたのを想い出されます。
    22年を迎え、すでに22歳以下の若い方々は震災を知らないなかで生まれてこられています。ここでの教訓をこれからの災害における防災に生かすために神戸市では様々な活動が行われているのですが、私たちもキリスト者としての視点から学んだ教訓を次の世代に継承していかなければなりません。その後も大震災が起こっており、さらなる大震災についての警鐘も語られていることからも、大切なことと思われます。
    私たちが学ばされたことは、いかに人のいのちや大切にされていた家屋や形ある財産が、一瞬にして奪われるかという体験でした。信じ難いことですが、20数秒の揺れで、いのちも建物も奪われ破壊されたのです。神戸では地震後の火事で人のいのちも町々も焼かれ灰になりました。東日本大震災では、地震発生から30分ほどで何千人もの人々が波にのまれ、町々が波によって破壊されました。その力を誰一人止めることが出来ず、人々はその災害がただただ一刻でも早く終わるのを祈る事しかできませんでした。人はつねに自分たちの現世利益を願い、そのような願いをかなえてくれる神々を求めました。しかし、真の神は公正、正義のお方です。利益信仰は人々の貪欲から生まれる偶像であり、結果としては戦争の守護神ともなったのです。真の神は正義と公平、そして愛の神であられます。ですから、「自分を愛するように隣人を愛しなさい。」奪い合いと争いではなく、分かち合うことを求められ、将来への希望と平安を約束してくださるのです。   「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

    2017年1月8日 週報

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      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



      「陽気な心は健康を良くし(good like a medicine),
      陰気な心は骨を枯らす。」(箴言17:22)



      長寿社会、高齢者社会を迎え、ますます健康についての関心は強くなっています。体が健康である事が幸福な人生を過ごすための大切な要素と考えられています。人が自分の思い通りに生きれるかどうかは、お金と健康に深くかかわっていると言って良いでしょう。健康を維持し、強くするためには、ある程度のお金がなければなりません。健康食品、薬、健康のためのスポーツ等々、そして病気にかかった時の治療、ある程度のお金がなければよい治療に与かれません。しかし、どんなに治療しても治らない病気、さらに人間は次第に老化へと向かっており、やがて体は思い通りには動かせなくなります。体が元気であれば好きなような人生を過ごせることでしょう。体のどこかに痛みがあり、問題があると、いくらかの自由が奪われてしまうのです。ですから、日ごろから、体の健康には、お金も気も使うことを多くの方々がされています。
      医学の専門家の方々は病気の大半は生活習慣が原因であるとして、生活習慣の改善や、予防医学の大切さを語っておられます。 体の健康を失うと肉体の死という究極的な問題への心配も発生しますが、それ以前に、勉学、仕事、スポーツ、家庭生活などの人生の多くの面で様々な問題をもたらすことでしょう。
      確かに今日では、だれもが体の健康に関心を抱いて、健康に関することにはすぐに反応されます。そして強く言われるようになったのが心のストレスが体の健康に直結しているとの意見です。ストレスによって血流、血質が変わり、さらに免疫力が低下することによって発病することもわかってきました。又、ストレスによって安眠が出来なくなり、そのことが体の健康にもかかわるという負の連鎖が起こっているのです。
      聖書では、古くから、人間の構成との関連を説きながら、心の健康が体の健康と深くかかわっていることを教えています。 70数年前、戦争で食べることが出来ない経験の中で、心の健康について考える余裕などはなく、生きるためにその日の食を求めることで必死でした。しかし、飽食時代、長寿時代を迎え、人間にとっての健康とは、何であるかを直視する時を迎えているのではないでしょうか。
      イエス様は「人のいのちは持ち物の豊かさによるのではない。ですから貪欲に気を付けなさい…。」と語られているのです。

      2017年1月1日 週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(ヨハネ6:27)


        2016年は教会開拓50周年の記念する年でありました。3年計画で準備し、豊かな祝福の中で終わることが出来ましたことを感謝いたします。会員全員でそれぞれの賜物を発揮し、参加者全員で主の御栄光を現わすことが出来ましたことは教会にとって、とても大きな祝福体験でした。この祝福の感謝を大きな力として2017年は「継承と飛躍の実現」を目指す元年としようではありませんか。記念祝会に於きましても「ビジョンの祈祷文」を告白しました。
        “すべての分野に於いての新しい奉仕者、内外の宣教に新しい働き人、あらゆる世代の人々が快適に集える新しい会堂、多くのクリスチャンホームの実現による1パーセントの壁の突破、500人教会等々…。”
        このような祈りの課題が掲げられるとき、一部の信徒の願望として、終わらせてはなりません。確かに、人々はしばしば目の前の大きく高い壁を見、自分たちの能力、実体を見て、「自分たちの少しずつの捧げものでは足りません。」「それが何になりましょう。」と不信仰の思いに陥るのではないでしょうか。
        神様はイスラエルの民に言われました「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。」(イザヤ40:28)
        そして、イエスはキリスト者に語っておられるのです。「ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスはご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。(ヨハネ6:6)イエスは弟子たちにとても大きな壁である「5千人の給食」を命じられました。弟子たちは「自分たちの力ではできない。」と考えたり「自分たちの力では、何の役にもたたない。」と考えてしまったのです。しかし、イエスはご自身の偉大な力を発揮する機会としてご自身の力を現わして下さり、メシヤとしてのしるしを示されたのでした。私たちは自分たちの実力でビジョンの実現を達成できると考えていますか?できないと考えていますか?私たちのこれからの鍵となる信仰告白を「待望」としようではありませんか。

        12月18日 週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          「遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』」(ローマ10:15)


          クリスマス(キリストの降誕)を最初に知ったのは羊の夜番をしていた羊飼いたちでした。夜中に光輝(異様な状況)が突然起こり、そこに現れた人々(天使たち)が語り始めたのです。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のために素晴らしい喜びを知らせに来たのです。」(ルカ2:10)
          キリスト教の宣教はここから始まったと言ってもいいでしょう。メシヤ(キリスト)の誕生を告げられ待望していたイスラエルの人々にとって、まさに「素晴らしい喜び」の知らせでした。しかし、聖書において強調されていることは、ユダヤ人として生まれたイエス・キリストは全人類の救い主(メシヤ)であり、「あらゆる国の人々に」「すべての造られた者に」宣べ伝えなさいということであります。イエスをメシヤ(キリスト)として受け入れるかどうかは、最終的に個人個人の意志によることですが、聞かされることがなければ、受け入れるかどうかの選択をすることが出来ません。福音を先に聞き信じた人々によって、その人々の集まりである教会を通して世界宣教は今日も行われているのです。世界宣教は一個人の重荷や力で出来ることではありません。教会の総力をもって、やっていかなければならないでしょう。教会に属するキリスト者一人一人が福音の“すばらしさ”“喜び”を実体験していなければ、力強い宣教活動とはならないのです。
          福音(ユウアンゲリオン/ゴスペル)はすべての人々に(人種、時代、地域その個人の過去、現在の生きざまにかかわらす)、無償で提供されているのです。心に受け入れた瞬間から神はその人を信じた者として扱ってくださるのです。もちろん、神はその人の信仰が本物か、偽りかを知っておられます。
          神が福音によって約束くださった、永遠のいのち、真の命とはどのようないのちなのでしょう。⑴罪の赦し、⑵神との霊的交わりの回復⑶神の法廷では罪を犯さなかった義人とみなされ、神の子としての身分が賦与されました.⑷自分の存在の由来、使命そして目的地が明確になります。⑸神から与えられた使命を果たすための能力としての賜物、達成への約束⑹天国への約束と報い、新しい体への復活の望みと、主に在る故人たちとの再会⑺地上の生活における父としての子への養いと守り、罪と誘惑に対する教鞭等々。

          12月11日 週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(汽茱魯唯粥В后


            幼児虐待や高齢者の運転ミスでの死亡事故など暗いニュースの多い日々ですが、先日、九州の大分で、曾祖父母の家に出かけ、みんなで畑仕事をしている間に2歳の女の子が行方不明となり、警察、消防団を中心に必死の捜索をしたのですが、発見できず、次の日に捜索するという状況で家族の人々はとてもつらい不安な一夜を過ごさなければなりませんでしたが、行方不明となった翌日に600メーターほど離れた山中で発見され、無事であったことで、ご両親が泣き崩れて喜び感謝されている姿が印象的でした。おそらく、そのニュースを知ったすべての人々が感動されたことでしょう。
            イエス様は失われた一匹の羊が発見されたときには「大いなる喜びが天にある。」と言われました。
            世界宣教は4つの福音書中、3つの福音書(マタイ28:19−20、マルコ16:15、ルカ24:46−49)に書かれているほどに、教会に与えられた大切な命令であります。その命令は、独裁者が単に自己の野望を世界中に広げ、征服しようとして剣の力によって広げられたのではありません。
            「神はそのひとり子を世に遣わし」とありますように、父なる神が御子をこの世に遣わすことによって開始されたのであり、その御子は、自ら進んで、ご自分のいのちを犠牲とされました。人々からいのちを、富を奪うためではなく、人々に赦しと命を与えるためにご自身のいのちを、正しいと思われる人々のためだけでなく、人々からも罪人と言われ、嫌われている人々のためにもいのちを与えようとしてくださったのです。まことの愛は、強制によって生まれるものではありません。一人一人に選択の自由が与えられ、決して剣の力によって宣教されたのではありません。迷い子は、自分で家に帰ることも親を探し出すこともできません。親が必死になって迷い子を探し出そうとするのです。そして、一人の魂が救いに導かれるなら、天に於いて大いなる喜びがあるのです。
            福音の宣教は時として喜ばれず、反対され、迫害されることもあります。それは罪について裁きについて語られるからです。しかし、宣教の必要は人々に真の赦しといのちの希望を与えるためであるのです。死の定めの下にある人間にとっての唯一の希望は永遠のいのちへの希望であり、信じるすべての人々に与えらえるところにあるのです。

            12月4日 週報

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、…」(マタイ28:19)


              イエス様は十字架につけられる直前に弟子たちに新しい戒めとして「互いに愛し合うように」と命じられました。互いに愛し合い、一致して平和な関係を保つことは一つの素晴らしい目的と言ってもいいでしょう。ドイツの詩人ゲーテは次のように語りました。「王であっても農夫であっても、自分の家庭の中に平安を見出すことが出来る人が一番幸いな人である。」また、平安のある一致は強力な力となるのです。大きな組織でも平安がなく、争い合っているなら、その力を発揮できません。イエス様は十字架で死に、復活された後に弟子たちに大命令を語られました。「あらゆる国の人々を弟子とせよ。」との命令です。
              聖書に教えられている神は全人類の創造主であり、唯一の神であられます。さらに、神は全人類を愛され、唯一の救い主イエスをお与えくださったのです。ユダヤ人たちは自分たちのみを神の民として民族的なメシヤを待望しています。しかし、イエスは初めからご自身は全人類の唯一のメシヤ(キリスト)として理解されていたのです。「私が道(the way )であり、真理(the truth)であり、いのち(the life)なのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)。イエスの弟子たちがユダヤ人の指導者に語るときにも「この方以外には、だれによっても救いはありません。…」(使徒4:12)と語りました。
              イエス様の十字架による贖いは全人類のために十分な代価であります。しかし、このすばらしい救いに与かるためには、聞いて受け入れなければならないいのです。ですからイエス様は、先に救われた信者たちに、福音を他の人々に語るようにと命じられました。受け入れるかどうかは各個人の自由な意思によるのです。しかし、先に救われたキリスト者は、人々に選ぶ機会を提供しなければならないのです。50年前、ホワイト先生たちが西舞子で伝道されなかったら、私たちは福音を聞く機会がなかったかもしれません。今、救われた私たちが福音を語ることを恥とするのではなく、イエスの命令に従って福音を語り伝える者となりましょう。一年の中でクリスマスは最大の好機であります。「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」(ローマ⒑:14)

              11月27日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                「「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)


                正統キリスト教の中心はナザレのイエス様を「誰だと告白する」ところにあります。JWの信者はエホバ神よりも劣る神の子と告白し、イスラム教徒はムハンマドよりも劣る預言者と告白し、統一協会では、イエスは十字架上で殺され敗北したと告白し、さらに自由主義キリスト教(リベラリズム クリスチャニティー)の人々は、人間イエスを強調し、イエスの神性を否定しているのです。ですから、キリスト教との看板を掲げ聖書を教えているといっても、すべてが同じで正統とは言えません。このようなことは、今日の現象ではなく、聖書時代からも同じ問題が生じていました。 キリストの真の弟子は、イエスを神と同等同質のお方としてのキリスト(メシヤ)と信じて始まるのです(ローマ10:9「もし、あなたの口でイエスを主と告白し、…」)。
                さらに、日々の生活においても、神であられる主イエス・キリストの御教えを重んじ生きようとするのです。イエスは弟子たちに「新しい(カイノス)戒め」を与えられました。イエスの弟子たちは主のみ教えを何よりも重んじるのです。それが真の弟子たちの生き方です。その「戒め」は「新しい(カイノス)」と言われました。ギリシャ語において、二つの「新しい」という単語(ネオスとカイノス)があり、「ネオス」は時間的、「カイノス」は質的新しさを意味します。「互いに愛し合う」ことは初めての教えではありません。すでに旧約聖書にも出てきます(レビ19:18)。ここでの新しさは、「新鮮」な気持ちでこの教えを受け止めることに強調があると言えましょう。イエスは天に戻られた後、弟子たちに課せられた使命の重さと困難な中で大切になるのは弟子たちの一致であります。個性を認めながらイエスの弟子としての使命を実現していくのには、互いに他者を尊重し、忍耐して協力し合い、赦し合って一致を保たなければなりません。どんな大国であても国が分裂するなら、力は半減してしまうでしょう。これからも教会が成長し、ビジョンを実現していくためには、一人一人がキリストの弟子として成長し、一致をさらに強くしていかなければなりません。

                11月20日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」(ヨハネ15:8)


                  50年前の開拓宣教師の先生方の愛の労苦と涙の祈りによって蒔かれた種は、豊かな実を結んでおります。
                  ファンダメンタル・バプテスト教会は聖書的な信仰を堅持し、歩もうとする教会であり、教会の健全さと成長は常に聖書の教えにどれほど忠実であるかによって判断されなければなりません。
                  私たちの教会は、50年間の歴史を保つことが出来、さらなる「継承と飛躍」を願いながら祝会を終えることが出来ました。 成長、成熟のためにまだ多くの祈りの課題がありますが、正しい方向を向いて進もうとしている確信を持ちましょう。
                  ヒューマニズムによる物質主義や快楽主義によって信仰に対する無関心、不信仰が増加していますが、その実は何でしょうか?正義や公正、愛による分かち合い、赦しと寛容さは失われ、数や力による争いと解決、自由の名の下での放縦が広がっています。家庭のしあわせのための基本的倫理の基盤が失われ、家庭の機能が弱体化しているのではないでしょうか。このような日本社会を憂うる人々の中には、再び神道国家や儒教道徳への回帰が願われているのです。
                  日本全体から見れば数においても影響力においてもわずかですが、ファンダメンタルバプテスト教会の先生方、兄姉たちは、神のみことば(福音)の種をまいて来ました。これからの50年は、豊かに実を結び、刈り取る時としなければなりません。私たちの教会も模範的教会の一つとして神に栄光を帰すために、21C夢計画のビジョンを達成(新しい牧師、新しい活動、宣教、幼児教育、高齢の支援、新会堂建設)させましょう。
                  「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
                  種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:5−6)

                  2016年11月13日 週報

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    「創立50周年牧師の感謝」    2016年11月3日


                    本日は、多くの先生方を初め主にある諸教会の兄弟姉妹の皆様が、私ども西舞子バプテスト教会創立50周年記念祝会にご来会下さいましたこと、教会を代表いたしまして心より感謝申し上げます。
                    ホワイト先生ご夫妻は米国西ヴァージニア、ホワイッツヴィル にある第一バプテスト教会からバプテスト国際宣教団に所属する宣教師として1965年1月に来日され、翌年1966年11月から個人的に導かれました丸山園子先生も加わって開拓がはじまりました。先生方の愛の労苦と涙の祈りによってまかれた福音の種は多くの実を結び西舞子バプテスト教会として成長し、50周年を迎えることとなりました。
                    私の個人的証となりますが、この会場があります明舞団地ができる前に小さな規模の西舞子団地が隣接してできており、その団地にあります幼稚園のホールをお借りして集会が始まりました。そこから歩いて一分のところに住んでおり、無料の英会話を教えているとのチラシを見て教会に20歳の時に行ったのが私の人生の大転機の始まりとなったのです。「わが生涯は改まりぬ、イエスを信ぜしより」の賛美のごとくです。今思いますのに西ヴァージニアから西舞子は地球の反対側であり、先生方との出会いはまさに神様のはかり知ることのできない御業であります。1967年1月、開拓から2か月半後に救われその後献身し結婚し牧会の働きを始めたのが23歳の時でした。信仰者として社会人として、右も左もわからない者がどのようにして皆様に説教し牧会をすればいいのでしょうか、多くの不安で一杯でした。そのような時ホワイト先生はローマ8:28節を引用「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っております。」と励ましてくださいました。今日までこのみ言葉によって自分を励まし多くの方にもこのみ言葉をお伝えしてきました。気が付くと50年を迎えたのです。牧会者としても46年を迎えさせていただき、次の世代への継承を祈るときとなりました。牧会者として何が大切かを考えます時祈りであり神様のみ言葉にいかに精通するかではないかと思います。神学校でしっかりと学ばせていただきましたことが牧会者としての力となりました。実生活に適応できるように分かりやすく語り、誤りから真理を守る知恵をいただけるのです。宣教師の先生方や先輩の先生方からの御鞭撻、さらに諸教会の皆様方との幸いなお交わりはげましに感謝するばかりです。教会は信徒の集まりでございます。主なる神様は教会の祈りと忠実な奉仕を祝福くださり50周年を迎えさせてくださいました。今私の思いの中に二つのみ言葉が思い出されます。一つは詩篇103:2「わが魂よ。主をはめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」このみ言葉にありますように感謝を大きな踏み台としてさらに、イザヤ40:31「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、わしのように翼をかって上ることが出来る。走ってもたゆまず、歩いてもつかれない。」とのみ言葉をこれからの教会のヴィジョン実現の支えとして行きたく願っております。

                    10月23日週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      …あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
                      …確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(汽灰螢鵐硲供В院檻押



                      いよいよ、10日後に教会創立50周年の祝会を迎えることとなりました。50年間ものあいだ教会が存続し、発展してきていることは、ただただ主の恵みにほかありません。日本の国は神道国家主義として天皇を神として崇拝してきた国であり、同時に先祖供養を中心とする家の宗教は仏教が深く長くかかわっている社会でした。
                      しかし、歴史を支配されている神の主観的摂理の中で、第二次大戦の敗北と共にキリスト教主義的民主主義の社会へと大きく変えられ「信教の自由」が認められることとなったのです。マッカーサー元帥は5年間で2500人の宣教師を日本に来させたのです。しかし、大切な原則としては国家宗教制度ではなく、宗教と国家との分離でした。神道国家主義を排除する目的のためであったのですが、信教の自由という基本的人権故に、キリスト教を国教とはしなかったのです。
                      このことは、今日も日本におけるキリスト者が1%以下である一つの要因であり、天皇を神とする心情が日本においては今日も流れ続いているからでありましょう。
                      確かにニーチェなどの哲学の影響で一部の知識層に「無神論」が広がったものの、日本では「無宗教無神論者」は少数でありましょう。
                      今年の7月7日、ロシアのプーチン大統領が「伝道規制法」に署名した結果、「イスラム教過激派テロ対策」がきっかけですが宣教活動がとても厳しく難しくなりました。信者の礼拝だけが許可されていますが、一切の宣教は禁じられました。1929年の旧ソ連下での宗教弾圧に似ているともいわれています。
                      幸いなことに、日本ではこの50年間、自由に宣教が許されてきました。教会はそのような中で宣教を続けて発展してきているのです。
                      確かに日本人の心にしみついている日本人固有の宗教観、無神論的物質主義などが信仰への妨げとなっているようですが、今も、恵みによって宣教の扉は開かれているのです。
                      この恵みを無駄にしないように一人でも多くの同胞に福音を述べ伝えていきましょう。

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