2017年9月17日 週報

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    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



    最もすばらしい生き方

    「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」(詩篇100:4)


    女性の平均寿命が90歳になろうとするほどの長寿大国となっています。医療の進歩と国民一人一人の健康に関心を持ち、それぞれが努力されているからと思われますが、何よりも神様の祝福ではないでしょうか。
    しかしながら、リンゴに芯があるように人は生まれながらに「死の種」を宿しています。ですからどんなに長生きの祝福に与っても死が無縁になったわけではありません。ですから、長ければ長いほど、充実した人生を生きることが大切ではないでしょうか。 今年の7月18日、105歳で現役医師としての人生を全うされ、天に召された日野原重明先生が「幸いな生き方」について、多くの言葉を残しておられますので紹介いたします。
    「習慣に早くから配慮した者は、おそらく人生の実りも大きい。」「何事もとらえ方次第。老いとは衰弱ではなく成熟することです。」「人はいくつになっても生き方を変えることが出来ます。」「失うことを恐れるより、与えることで喜びは生まれます。」「ありがとう」の言葉で人生を締めくくりたいものです。
    いずれも聖書の教えと多くの点で符合しているように思われます。感謝の心から生まれる「ありがとう」のことばは、多くの人々をいやし、幸せにする言葉であり、何よりも当人を幸せにする言葉と言えましょう。
    人はまことの神様と出会うときに、初めて健全な感謝の心を持ち、気づくのではないでしょうか。
    それは、いのちが神様によって創られ、生かされていることに気づくからです。私たちのいのちは決して偶然に生まれてきたいのちではなく、自分で生んだいのちでもありません。神様によって生かされているいのちであり、神に似るものとしてのいのちをもって生まれているのです。
    人生を振り返りますと、多くの苦しいこと、悲しいこと、つらいことがありますが、神はその一つ一つを用いて、益となるように導いてくださっているのです。すべてのことを益としようとされていることを信じるなら、その人は感謝を常として、生きがいのある喜びあふれる人生を過ごすこととなるでしょう。

    2017年9月10日

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      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



      「このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。」(ローマ15:20)


      佐藤正春先生ご夫妻は1992年4月、香港に拠点を置き、大陸宣教を始められました。幸い、香港にはバプテスト教会があり、その教会に集い、様々な支援もいただきながら、大陸への宣教が始まりました。
      現在も大陸のキリスト教会に対する基本的姿勢は変わらないと思われますが、当初、外国人が入国し、家の教会を捜し、出会えるのには大変な困難を覚悟しなければなりませんでした。
      神様は佐藤先生の働きのために香港の教会で、一人の大陸に重荷のある伝道者と出会わせてくださり、その伝道者とのかかわりの中で、大陸の地方にある家の教会との接触の道が開かれたのです。十分に発達していなかった交通事情、常に公安の目が光る広大な大陸において、無事に到着するためには、さらに家の教会内においても密告者がいるともいわれており、祈りなくしては何もできないと言える状況であったと、先生はしばしば語られているように、“中国の朝は5時”との賛美と祈りで始められていました。 100年以上も前から蒔かれている福音の種は、大陸の各地で実を結び、人々が集まり、礼拝が行われていましたが、聖書もよき書物もなく、正しい教理による十分な訓練もない状態で、先生の働きは聖書を運び、健全な教理、信仰生活について教授することからでした。
      そこには毎回、何時間も熱心に傾聴する人々であふれる状況でした。
      その後の先生の主な働きは献身している伝道者たちをしっかりとした牧師とするための訓練会であり、もう一つの大切な働きは健全な教理の注解付き聖書出版でありました。
      多くの資金と注解、翻訳、校正等々、多大な働きでしたが、先生のリーダーシップの基に完成された研究用聖書は、必要とする伝道者の手元に届けられています。
      先生は様々な局面で、何回も公安に捕らわれると思われる状況を体験されてきたのですが、この25年間の働きが守られてきたことは、ご家族の支え、愛兄姉の祈りによる主の守りであったことを改めて感謝するばかりです。新たなこれからの大陸宣教の働きのためにお祈りください。

      2017年9月3日 週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)


        “ストレス”という言葉が目につくようになってから、すでに20年近くなるでしょう。21Cに入り、世界はますます、競争社会、先行き不透明な社会情勢、いつ訪れるとも知らない災害…。そのような中で私たちは生きているのです。
        誰もが緊張と不安の中に生きているのではないでしょうか。さらに、ストレスが原因、あるいはきっかけとなって様々な病気が発生すると言われています。
        生活習慣の健全さ、お金や物の備え、保険などによる危機管理もストレスを軽減するのに役立つでしょうが、それだけで心は安心するでしょうか。人を安心させるお金や物がかえって争いや不安を増幅させることともなるのです。
        「安全基地」は児童心理学の中で語られるようになった言葉です。生まれて2歳ぐらいになる子供は、しだいに自立しようと母親や養育者の傍から徐々に離れて、自分の力で探索しようとするのですが、子どもの心は好奇心半分、不安や恐れが半分です。新しい体験をしながらも、少しでも不安になると「安全基地」であるお母さんの所に戻ってくるのです。お母さんの所で、傷がいやされ、元気をいただくと再び、新しい体験を求めて出ていくのです。そのような繰り返しによって人は成長していきます。
        「安全基地」がしっかりしていると安心を保つことができ、少々のことでは緊張や傷つくことが少なくて過ごせると言われています。つまり、ストレスに強い人生を過ごせるのです。

        2017年8月27日 週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          「神様に心を注視しましょう

          「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6:21)


          イスラエル史に残る大事業の一つは、ソロモン王による神殿建設と言えましょう。20万人以上の人々が7年間集中して、献堂いたしました。
          ほとんどの木材はレバノンなどの海外からの輸入でした。そのためには膨大な資金を必要としたことでしょう。良く知られているように、神殿建設のビジョンは、父ダビデ王に与えられダビデは最善を尽くし資金、資材を集めていたのです。
          私たちにとっての第3会堂となるであろう新会堂建設も、50周年事業としての一大事業であります。その夢の実現のために改めて志を共有していただければ幸いです。
          1. 心を神様に注視しましょう。心によって人の人生は決められています。心が神様に向いていないなら、神様のために喜んで生きようとはしません。神様の偉大さや、恵み深さに注視しながら、生きる者となりましょう。これからの一大事業の実現のためには、人の知恵、力以上の神様の力を必要とするのであり、神様の偉大さへ注視した信仰が求められるのです。
          2. 会堂等の様々な施設を必要とする状況が人々の集まりと共に生じてくるのです。すでに多くの教会活動としての基本的必要があります(駐車場、礼拝堂の広さ、階段、トイレ、教室、交わり、事務室etc.)さらには老人の方々のホームや幼児教育の施設など…。教会は人々の集まりです。教会の成長は救われる人々が増し加えられ、それぞれが会員として、礼拝と奉仕を捧げていくことによって成長するので、成長と共に会堂と設備は整えられるのです。新会堂実現のためには100名活会員実現を一層祈り続ける必要があります。会員一人ひとりが忠実に、聖日(第一、第二)と祈り会(水曜または木曜)を守れますように…。
          3. 神様がお与えくださったこの世での富を正しく管理し、神様の栄光を現すように活用いたしましょう。すべての献金は自ら進んで、喜んで献げるのでなければ祝福とはなりません。すべてを正しく管理する者として歩むためにも、心を神様に注視することが必要と言えましょう。

          2017年8月20日 週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。 すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。」 (砧鯊綮錚横后В隠粥


            聖書には献金について多くの記述がございます。最も大切なことは、その金額ではなく、献げる人々の心のあり方です。聖書歴史における最大の建築事業は、エルサレムにおける神殿の建設でありました。そのためには膨大な建築費と材料、労働者が必要でした。それは、国家事業として行われました。
            ダビデは神殿建築の栄誉に与ることは許されませんでしたが、息子ソロモンの時代に建設を目ざして民に献金を徴募したのです。すると人々が捧げた献金や献品は「おびただしく」用意されたのでした。
            この時、ダビデの強調は「全き心を持ち、自ら進んで主にささげた」こと、「その力は、主の祝福として与えられた」ことと告白しているのです。
            もう一つの献金は、マルコ12:41−44にある、やもめの献金です。
            彼女の捧げた金額は「レプタ銅貨二枚」でした。それは100円、200円の金額であり、僅かな献金です。しかし、イエス様は「だれよりもたくさん捧げた」と言われ、その金額が僅かでも、それはやもめの全生活費であったことで、やもめの神への献身を賞賛されたのです。
            私たちに委ねられているいのち、時間、才能、富をどのように活用するかは、その人の神との信頼関係によって変わるのです。 時間やお金、そして才能をどのように活用するかは、神への礼拝行為として行われ、礼拝の延長線上に献げることとして行われなければなりません。
            神様は、神を尊び喜んで献げる者の必要を必ず与えてくださるとの信仰が養われなければなりません。 ダビデの時代の人々も、やもめも、それがどんな犠牲を要するとしても喜んで、自ら進んで捧げたところに大切な指針があるのです。

            2017年8月13日 週報 

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。」(箴言16:1)


              72年前の8月15日、太平洋戦争は終戦を迎えました。日本は約310万の方々が戦死され(軍人230万の6割は飢餓死)、国土の大半が戦禍に見まわれました。日本よりも多くの戦死者を出したのが中国の1千500万人とインドネシアの400万人と発表されています。
              日本の敗北は歴史的に初めてであり、その被害はいずれの国においても甚大であります。どの国も負けることや、自国に非があることを知りながら戦争を始める国はありません。
              日本はこの敗戦によって全く違った国となりました。自分たちが願ったのではなかったかもしれませんが、共産主義のソ連ではなく、民主主義を信念とするアメリカの占領下におかれ、憲法もかつての明治憲法から根本的に変えられ、個人の尊厳が反映される国となったのです。
              敗戦での被害は甚大で決して忘れてはならない犠牲と教訓を学んだのです。
              それと共に、かつてない自由で豊かな国、平和な国として、発展してきたことを誰もが喜び、感謝できるのではないでしょうか。敗戦はその時の国の指導者の意と異なるのですが、その後の日本の発展を思いますと大きな人々の思いを超えた力が働いていることを感じられるのではないでしょうか。
              本日、上映される「トラトラトラ」は、真珠湾奇襲攻撃で成功した総指揮官、元海軍大佐淵田美津雄氏が打電した電文の暗号でした。その時、淵田氏は日本の勝利を確信したかもしれません。日本男子として、誇り高く勝者としての終戦を願っていたことでしょう。しかし、現実は全く逆でした。4年後の8月15日、日本は無条件降伏を余儀なく受け入れ、かつての英雄淵田大佐は、郷里では国賊扱いとなり、絶望状態となりました。
              しかし、ここに大きな神の手が働いたのです。神はリメンバー・パールハーバーに燃る米国人爆撃手の内に働き手、神の愛を日本人に語る宣教師に変えてくださり、その証が、淵田氏の心の中にも働きかけられ、かつての総指揮官が、キリスト者となり、しかも宣教師としてアメリカ人へ神の愛を伝える人と変えられたのです。“憎しみと無知は”悲劇をただ繰り返すだけではありませんか。
              “目には目を歯には歯を”ではなく、十字架の言葉を語り伝えましょう。

              2017年8月6日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。」(イザヤ40:28)


                イスラエル民族(ユダヤ人)は、万物の創造主を全世界に伝えるために神の民として選ばれ、特別な使命、扱いを受けました。父祖アブラハムに与えられた約束は、一方的な無条件の約束であります
                。 創造主は万民の神であり、全人類を贖うという、すべての人々にとって恵み深いお方であられるのです。ところが、イスラエル民族は神の民としての意識、意図を誤り、強い民族主義的な方向へと進んだのです。血族としてのイスラエル人を優越し、他の民族を蔑視するようになりました。「異邦人」と言う言葉はイスラエルを中心とする見方と言えましょう。確かにイスラエルは今日も神の民であり、ご計画の中にある民です。神様のご計画を悟るしるしとなっています。
                しかし、イエス・キリストは単にイスラエル民族の国家的回復のためだけのメシヤではなく、信じ受け入れるすべての人々(あらゆる民族から)の救い主としてこの世界に来られたのです(ヨハネ1:11−12)。
                聖書の神は唯一の神であられるということと万民のための神であられるのです。人類は常に、民族の神を祭り、その神の基で統一し、他の民族と争い勝利しようとしてきた歴史ではないでしょうか。今日では神々の代わりにある思想の基に統一しようとして、他の思想を排除しようとするのです。
                私たちの国も72年前の戦争を神の名の下で戦ったのです。“神風が吹く”と信じて、勝利を疑いませんでしたが、敗れました。今日、世界は再び自国の利益を第一とする民族主義が台頭してきています。ヒューマニズムは個人、そして民族を自己の利益へと方向づけるだけで、真の意味で、全人類の幸いへは向かわないでしょう。
                聖書の神は全人類共通の神であられ、すべての人々を利己的欲望から解放し、互いに愛し合う、共生、共栄へと導いてくださる神なのです。しかも、その手段は、個人個人の意志による決断に訴えておられるのであって、権力による強制ではありません。
                「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んであられます。」 (汽謄皀藤押В粥

                2017年7月30日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(汽灰螢鵐硲院В隠検


                  先日105歳の長寿を全うされて天に召された日野原重明博士が、長く院長を務めておられた聖路加国際病院の旧病棟の尖塔には大きな赤い十字架が立っています。この病院は1901年(M34年)米国聖公会宣教医師ルドルフ・トイスラーによって創立されました。トイスラー先生の信念は「キリスト教の愛の心が人の悩みを救うために働けば、苦しみは消えてその人は生まれ変わったようになる。この偉大な愛の力をだれもがすぐわかるように計画されて出来た生きた有機体がこの病院である」と証しされています。この広大な敷地に数多くのビルディング群が建設されています。病院、大学、研究所、ホスピス、ホーム施設等々…。これらの建物の建設には莫大な費用が必要ですが、内外の多くの人々の支援で備えられたのです。十字架刑は人類が考え出した最も残虐な処刑手段と言われてきました。「スタウロス(杭、十字架)」、刑場に一本の杭(スタウロス)が立てられています。そこで、重大な犯罪を犯した奴隷が処刑されるために背負っていた横木で十字架が形作られ、生きたまま、釘づけられ、死んで行くのです。そこには美しさは全く存在しません。犯罪者が当然の罰として苦しみながら死んでいくのです。イエスの十字架がなぜ神の愛の最高の現れとして、2000年以上も世界中に語り伝えられているのでしょう。それはイエスのメッセージと復活と言う奇蹟による根拠の故であり、このメッセージを信じる人々によって表されてきた愛の実践によると言えましょう。人が誰でも持っている、生まれながらの罪(自己中心性)、その罪による争い、その罪に対する神の裁きとして、人類に死の苦しみがもたらされました。イエスは隣人愛を説かれました。愛は無条件で弱い人々、痛み苦しんでいる人々へ助けの手を差し出す犠牲的行為として現わされることでしょう。社会福祉活動、医療活動も愛による活動の表れです。しかし、人々に残されている最も大切な神との関係の改善が、根本問題として残されているのです。罪はそのような神との関係そのものも否定するのです。しかし、いくら神の裁きを無視しても、死とその恐れの現実、争いの苦しみ、悲しみの現実は続いているのです。イエスの復活は、十字架を特別な行為であると証明しました。それは単なる人類愛としての犠牲ではなく、神の愛による贖い、身代わりによる罪の赦しとされました。誰であっても、キリストに在るなら、神との関係は赦され、平和な関係となります。人はその確信によって心の平安を手にするだけでなく、神の子としての自己認識、自己価値を取り戻すことができるのです。さらに、死はもはや裁きではなく新しい住まいでの歩みの第一歩へと通じることを確信し、恐れではなく平安を手にするのです。キリストの復活はその希望の保証となるのです。病気は人の弱さの象徴的な状況であり、病む人々への手助けは、人々が最も隣人愛を強く意識するところですが、心の平安はそれ以上に人々が必要とすることであり十字架による赦しと復活による希望、永遠の命を必要とするのです。

                  2017年7月23日 週報

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:18)


                    来月には72年目の終戦記念日を迎えようとしています。今日の日本を取り巻く世界では、様々な戦いが起こっており、その影響が日本にも押し寄せてきています。しかしながら、現時点では、私たちの国は平和な社会と言ってよいでしょう。今日の世界の中で、平和な日々を過ごせるということは何という幸いでしょうか。最近海外からたくさんの観光客が日本に訪れていると言われていますが、その一つの理由が安全、安心できる社会だからです。カバンや財布を落としても数日後には無事手元に戻ってくることで、海外の人々からとても驚かれ、感動されているのです。
                    しかし、日本に住む私たちは、このような安心、安全な社会にどれほどの価値を認め気づいているでしょうか。周囲の動向に影響される「力には力で」との争いの本質は何でしょうか。
                    聖書が明示している根源の理由は、アダムが自分を神としようとして堕落した時から、人類は生まれながら自己中心的性行を身に着けて生まれるようになったのです。ヤコブは「あなた方のからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」と人間の自己中心性を説明しています。アダムとエバの間に、カイン(兄)とアベル(弟)との間に、そしてエデンの東の町での争いは、人間の自己中心の性行が原因であると教えているのです。
                    神のあわれみは救い主イエス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦しと神の子(最初のアダム)への回復、その命の成熟(互いに愛し合い仕えること)による争いではなく、共存、共栄を教えているのです。本来の人間(アダム)らしい生き方は、共に生き、共に支え合い、共に栄えることでした。
                    しかし、この聖書の考え方を否定するヒューマニズム(人間主義)が台頭しているのです。それこそが、人は生き残るために適者(弱肉強食での勝者)とならなければならないので、生存競争、弱肉強食を正当化する哲学(社会進化論)が広がっているのです。
                    ダ―ウインは証明出来ずに生物進化を発表しました。それ以来、経済、社会、すべての分野において、進化論哲学を人々は信仰する者となり、その信仰が蔓延しているのです。皮肉にも今日の科学の進歩は勝者に対しても繁栄を約束できなくなってしまったのです。ノーベル賞受賞の山中伸弥博士は著書の中で「なぜか日本人は、人間はみな猿から進化したと信じていますが、証明されていない。…そのうち、ダ―ウインの『進化論』は間違いだった。と言うことになるかもしれません。」と言われています。

                    2017年7月16日 週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。…」(コロサイ2:8)


                      ダ―ウインの「種の起源」(1859年出版)が発表されて以来、聖書(万物の創造主の存在と世界の起源)の教えは、歴史科学ではなく、宗教的神話とされ、人々の生き方を大きく変えてきました。
                      ヒューマニスト(人間主義)の封建制王侯貴族そして教会への反発はそれによって一層拡大してきたのです。そのような世界観によって人間の由来は、虫と同じ祖先、さらには、偶然による生命の存在となり、人間の帰属(アイデンティティ)はわからなくなり、いのちの尊厳の信念はとても薄弱になってしまいました。弱肉強食が正論となり、負けたものは再度の挑戦で勝つ以外は、自己評価を大きく失うこととなるのです。ある方々が生まれながらにハンディーがあるとするなら、人生はとても厳しくなるのです。現実には、すべての人々が進化論の哲学による弱肉強食ではなく、キリスト教やその他の宗教的影響によって人道主義(Humanitarianism)による弱者への福祉が働いていますが…。
                      結婚、家庭の崩壊、心の病の増加はヒューマニズムによる聖書倫理の否定と深く関係しているのです。創造主からの自立は決して真の人間らしさを手にしたのではありません。それは、羊が羊飼いのない自由を手にしているのとよく似ているのです。自由の先にあるのは混迷と死です。ぜひ。皆様に知っていただきたいことは、進化論は科学の姿をしていますが、一つの信念にすぎません。ダーウイン自身も科学的に(歴史科学)証明して、この理論を書いたのではありません。彼は種から種への確かな進化を証明していません。そのような化石は、いまだに発見されていないのです。大学で、研究室で多くの人々が進化を証明しようとしていますが、その証拠はありません。生きている中間種、化石の中間種も見つかっていません。教科書に載せられていた原人、猿人はすべてサルか人かねつ造かです。ヘッケルの反復説もねつ造でした。
                      メンデルの法則は種の中に変異が生じることを証明しました。ダーウインの主張は種の変化ではなく、変異にすぎません。突然変異によって別の新しい種は生じないのです。教科書に載っている「地質年代図表」のような地層、そして、化石の存在は、地球上どこにも発見されていません。それは教科書の中だけです。
                      アメリカや各地に存在しているグランドキャニオンの平行地層は、地球規模の大洪水のみによって可能となるのです。

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