2017年11月12日 週報

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    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



    「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒20:35)


    創立51周年を迎え、“宣教の継承”を主題としての集いを行いました。
    セネガルで28年宣教されておられます松本先生、そして25年間大陸宣教されてこられました佐藤先生から、それぞれの働きについて証しを伺いました。又、次の世代を担ってくださっておられる先生方からもビジョンを含めたチャレンジをいただけたことはとても幸いな時でした。
    宣教のビジョンはイエス様の大命令(マタイ28:19−20)からであり、その結果として、世界中に救われる人々が起こされ、教会が誕生しているのです。教会は誕生と共に宣教ビジョンを培って成長していかなければなりません。初めは、それぞれの地域からスタートとして、しだいに世界に向かって宣教を拡大していくのです。宣教活動のエネルギーは何でしょうか。それは「受けるよりも与える方が幸いである」との主の御言葉にあります。
    パウロはエペソの長老たちを集め、最後の出会いとなるかもしれない集いの中でのこの御言葉が語られました。人は十分に成熟するまで自分のことで精いっぱいで、他の人々の必要について考えることはしないでしょう。しかし、キリストに学ぶことによって成長し、喜んで他の人々の必要のために捧げる者となって行くのではありませんか。
    正に神の愛(アガペー)は、無条件で喜んで人々に与える者となることです。多くの宣教の働きは、様々な困難を要することとなるのです。喜んで自分を神に捧げ、宣教地での働きのために自分を捧げる人でなければ宣教師として全うできないでしょう。 教会が宣教の働きをすることも同様に宣教師の働きを支えるために「与える喜び」を学んでいかなければ教会の祝福とはならないでしょう。
    もし、個人であっても教会であっても、自分のことしか考えないならば、その個人も教会も、キリストが喜ばれる者としては十分に成熟しているとはいえません。委ねられている神からの賜物を活用することによって、多くの人々が幸いとなる以上に、その人自身、あるいは教会が祝され、幸いとなるのです。
    主はそのような個人、教会を益々豊かに祝福してくださるのです。
    「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」 (競灰螢鵐硲后В)

    2017年11月5日 週報

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      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



      「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」(ヨハネ8:12)


      私たちの教会は、聖書信仰に基づいて根本主義、単立バプテスト教会として、ホワイト先生ご夫妻によって、1966年11月に開拓されました。主権者であられる神様の守りの中で、51周年を迎えることが出来ましたことは何と幸いなことでしょうか。
      これからもイエス・キリストの再臨の時まで、世界宣教のビジョンをしっかりと掲げ、益々の発展を祈り願いましょう。
      21Cはテロで始まり、今日も世界のどこかでテロが発生するかもしれない状況です。IT革命による社会の一変…。ある人々、あるところでは信じられないような豊かさ、便利さ、安全、他方、別の所では貧しさや欺き、不正、不安、混乱が拡大するという複雑な世界となっております。この世界は、ヒューマニズムが主張してきたように、理想世界に向かっているとは、とても言い難い状況であります。いよいよ益々、「われわれはどこから来たのか?」「われわれは何者なのか?」との根源的な問いは、深く人々を悩ませているのではないでしょうか。暗闇の中で光の存在価値があるように、今こそ、教会はイエス・キリストに従う世の光としてかがやき、真の希望とならなくてはなりません。イエスは語られました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく…。」
      人類の父であられる創造主から迷い出た人間は、神のかたちという素晴らしい財産を持っていても湯水のように使ってしまい、みじめになった放蕩息子状態ではないでしょうか。
      51年間、続けてくることが出来た感謝と共に、次の世代を担う人々が育てられ、教会の働きを継承発展させていかなければなりません。
      新しい牧会者と各奉仕の継承者の実現
      新しい会堂への継承(高齢者の方々を支援する施設、幼小の子供たちをサポートする教育的働きの施設)
      内外の宣教の継承(大陸宣教、国内宣教をも含む、志している兄姉の支援)
      これらの三つのビジョン達成のために教勢の拡大をお祈りください。

      2017年10月29日週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「Be Strong(強くあれ!)」

        「強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」(ヨシュア記1:6)


        いよいよ今週の後半から創立51周年記念集会が始まります。佐藤先生夫妻が大陸宣教を始められたのが1993年の4月でした。来年2018年3月で25年の働きとなります。大陸での働きが25年間守られ、続けることが出来ましたことは何とすばらしい主の御業でしょうか。これからも先生は日本を拠点として大陸の働きのために労してくださいますが、その中の大切な働きは宣教の継承ではないでしょうか。すでに若い宣教師たちが幾家族か大陸の中で宣教活動をされており、さらに、将来の働きのために備えておられる方々もおられます。今回の宣教大会がそのために用いられますように祈って行きましょう。
        ヨシュア記1章には「モーセからヨシュアに働きが継承していくこと」が記されております。その時、主はヨシュアに語られました。「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」(ヨシュア記1:9)
        働きを継承発展させていくために信仰から生まれる勇敢さが問われているのです。神の民イスラエルが神の約束の地、カナンを征服するのに多くの戦いがあり、そのために神はヨシュアに「恐れてはならない。おののいてはならない。」と命じられたのです。 神の民イスラエルがカナンを征服するために多くの戦いがあったように、今日の宣教もまさに多くの霊的戦いを必要としているのです。しばしばイスラエルの民は目の前の困難、強敵を見て、恐れて前進することが出来なくなりました。彼らは十分な戦力も技術においてもありませんでした。そのために戦う前におののいてしまったのです。
        私たちも同じような経験をします。神様が強調されたのは、「わたしがあなたとともにある。あなたを見放さず、見捨てない。」と言うことです。
        万物の創造主であられ、主権者であられるお方が「私たちの味方」として見守り、勝利へと導いてくださるのです。ですから恐れず、勇気をもって前進していこうではありませんか。

        2017年10月22日週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          自分の日を正しく数えましょう

          「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」(詩篇90:12)


          先日(10月16日)私の家内が70歳を迎えることが出来ました。私も昨年70歳となりました。夫婦揃って70歳を元気で迎えられましたことを感謝いたしております。
          そのような中で思い出されるのがモーセの詩と言われている詩篇90篇10節の御言葉です。「私たちの齢は70年。健やかであっても80年…。」(世界平均は男女平均が71.4歳)、今から3千年近く前に書かれた内容が今日の時代にも真理として通用することは何という驚きでしょうか。
          詩篇90篇は120歳の長寿を全うしたモーセが詩たったのですが、その中心的思想は神の永遠と人間のはかなさが対比され、うたわれています。この詩の中で、人生に関しての大切な真理を学ぶことが出来るでしょう。 第一に人の齢には限界があることです。神は永遠のお方ですが、対比的に人生は短く限界があるのです。日本人の平均寿命は世界一で、80歳を超えています。しかし、長寿の祝福に与っても終わりが来るのです。
          第二に、人間の罪のゆえに誰の人生においても様々な苦しみ、悩みを避けることは出来ません。人生の短さや、苦しみについて考えますと人生のはかなさやむなしさを覚えるばかりです。
          第三に、しかしながら、人は生かされており、生きなければなりません。「人とは何者か?」と言う根源の問を正しく賢く知り、悟るために、私たちは真の神に目を向けなければなりません。人はどんなに自らの力を信頼し、誇ったとしても、死に打ち勝つことが出来ないのです。
          「自分の日を正しく数える」とは、いのちを与え、生かしてくださっている神を感謝して受け入れ、日々神に信頼し、神の意志を反映する人生を生きようとすることにほかなりません。そうするなら数々の苦しみや不安から解放され、永遠の希望の中で今日という日を楽しみ喜ぶことが出来るのです。 「どうか、朝にはあなたの恵みで、私たちを満ちたらせ、私たちのすべての日に喜び歌い、楽しむようにしてください。」詩篇90:14

          20107年10月8日 週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            心の健康シリーズ(9)」−心の病の要因と聖書的人生観ー

            「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。…あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」 (詩篇8:4−5)


            日本におきまして、2008年にうつ病患者が100万人を突破したと発表されています。心の病のために多くの人々が願い通りの人生を過ごすことが出来ず、長年苦しんでいる方々が少なくありません。増加したと言われている数の中には、薬や治療が進み、気軽に病院で診察を受ける人が多くなったことも含まれます。
            しかし、ストレスが増す社会的な背景があり、不安も増大しているので心の病は、増加傾向にあります。しかも難しいのが正確な病の原因が特定されにくいからです。
            脳医学の進歩により、心の病の要因は脳内の器質的問題、外因性、生まれながらの脳の障害、梗塞、腫瘍、炎症,外傷、加齢etc.)や内因性、即ち遺伝や脳のホルモンバランスの異常(ドーパミンの過不足、セロトニンの不足、薬物、アルコールetc.)そして心因性(ストレス、性格、思考習慣)などで説明されています。
            アメリカ精神医学会が発表する「精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)」によって多くは診断されています。
            心の病は大きく分けて二つに区分されています。神経症(日本では、心身症も含められる)と精神病(躁うつ病、人格障害、統合失調症)。最近は発達障害も新たな研究対象となっています。
            脳医学の進歩によって、これらの疾患がさらに正確に原因、そして治療が解明されることを期待されていますが、不安や恐れ、さらには希望や生きる目的や意義を失ったことが主な要因で、次第に状況が悪化していったとするならば、健全な人生観に触れることが大切ではないでしょうか。多くの薬は一時的に元気にしたり、思考が鈍くなるように脳に働きかけて悩めないようにするのですが、積極的に生きる目的を発見したり、気づかせることは出来ません。しかも、状況がその個人の願わない中で、希望を考えるようにはできません。薬によって大胆に恐怖心をなくすことは異常な人間にしてしまい、その個人にとってはとても危険状態となるでしょう。

            2017年10月1日 週報

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31





              「あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」(汽撻謄蹌院В横)


              突然…日本中に「希望」と言う言葉が飛び交うようになりました。衆議院が突然解散され、選挙が行われようとする中で、新しく「希望」を掲げる政党が登場してきました。
              人は常に理想社会(ユートピア)の実現を目指して夢を見ているのです。戦後の奇蹟的復興を実現し、世界第2位の経済大国になるところまで発展し、又、長寿大国となりましたが、少子高齢社会、人口減少、他国の台頭による景気の後退、老後の不安、子どもたちの教育問題、さらに自然環境問題と災害など不安が大きくなっています。誰でも、いつでも希望を失うと元気を失い、やる気を失ってしまい、個人も社会も病的になってしまうでしょう。
              ですから、希望はまさに人が生きるためのエネルギーと言えます。 今、日本だけでなく、世界中に広がっている感情は希望とは正反対の不安ではないでしょうか。あらゆるところで様々な原因がきっかけとなって争いが起こっているのです。民族の利権をめぐっての争い、人種の偏見、差別による争い、大きな戦争に発展するかもしれないという不安が漂っているのではないでしょうか。
              今日まで、多くの人々が努力をしてきました。より優れた指導者を選び、新しい政策を立て、新しい技術を開発し…。しかし、争いのない時代、争いのない社会の実現はありません。しかも、人類は病と死に打ち勝つことが出来ず、すべての人は死の恐れの中に生きているのです。
              人は生まれながらに体の中に死の種をもっているのです。人類の父祖アダムの罪によって、人は生まれながら自己中心性を持ち、罪の罰としての死の定めに置かれているのです。人間中心主義(ヒューマニズム)によって、罪と死の恐れからの解放を手にすることはできません。
              まことの神は争いと恐れの根源から、人々を救い出すために救い主キリストをこの世界にお送りくださったのです。イエス・キリストの身代わりの十字架によって罪の赦しをお与えくださり、復活によって死の恐れに打ち勝つ、永遠の希望を確かなものとしてくださいました。人は全能者を認めず、信頼しないとき、常に富を神の代わりとして依存し、貪欲になり、争っても富を守り、増そうとするのです。分かち合うことが出来ない、争いの原因、恐れの原因は、そして希望を失わせるのは、人の内にある貪欲なのです。

              2017年9月24日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                互いに慰め合いなさい

                「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです」   (汽謄汽蹈縫隠粥В隠魁
                「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」(汽謄汽蹈縫隠粥В隠検



                “主よ!いよいよ近づかん。わが踏むべき十字架の…”この賛美と共に中谷文男兄(9月10日召天67歳)、塩郷永治兄(9月16日召天85歳)、お二人を天の御国にお送りいたしました。愛する家族との別れは、いつ、どのような状況の中にありましても、ご家族におかれましては、さらに霊的家族である教会におきましても、淋しさ、悲しさは尽きることがありません。
                教会はこれからも一層、残された姉妹たちを励まし支えていくことのために祈っていかなければなりません。同時に、悲しみと淋しさの感情に押し潰されないように生きていかなければなりません。その希望は神様の真実なお約束を今まで以上に信頼し、私たち一人ひとりの考え方の中に取り入れていかなければなりません。
                キリスト者の信頼の土台はイエス・キリストの十字架と復活であります。イエスの復活は信じる人々の中で、イエスの教えが反映して語り続けられているという観念論ではなく、十字架で本当に死なれたお方が、本当に体をもって復活され、今も生きておられるという事実を信じているのです。その目撃者の証言が書かれた聖書が今日も人々に信じられているのです。聖書のイエスの復活と言う奇蹟は、今日においても、誰によっても否定されず、イエスの復活を中心とする新約聖書は、すばらしい人間にとっての人生のガイドブックとして受け入れられてきました。
                人々の死と生について、死後の世界についての教えは、聖書に優るものは一つもありません。すべての人が死とその恐怖の奴隷という記述(ヘブル2:15)は、今日においても事実であり、その恐れからの自由、希望も聖書の約束以外に(理性的に納得し、感情も癒される)はありません。
                キリストの十字架は罪の罰から人々を解放し、復活は死後の命の存在と平安、憩い、再会、そして新しい体へと復活することの確かな希望となるのです。単なる自己満足、暗示、空しい望みではありません。ですから、1世紀の時代から教会はキリスト者で先に召された人々(眠った人々、永眠ではなく)のことについて、ひどく悲しみや淋しさに落ち込むことがないようにと互いに慰め合って来たのです。

                2017年9月17日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  最もすばらしい生き方

                  「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」(詩篇100:4)


                  女性の平均寿命が90歳になろうとするほどの長寿大国となっています。医療の進歩と国民一人一人の健康に関心を持ち、それぞれが努力されているからと思われますが、何よりも神様の祝福ではないでしょうか。
                  しかしながら、リンゴに芯があるように人は生まれながらに「死の種」を宿しています。ですからどんなに長生きの祝福に与っても死が無縁になったわけではありません。ですから、長ければ長いほど、充実した人生を生きることが大切ではないでしょうか。 今年の7月18日、105歳で現役医師としての人生を全うされ、天に召された日野原重明先生が「幸いな生き方」について、多くの言葉を残しておられますので紹介いたします。
                  「習慣に早くから配慮した者は、おそらく人生の実りも大きい。」「何事もとらえ方次第。老いとは衰弱ではなく成熟することです。」「人はいくつになっても生き方を変えることが出来ます。」「失うことを恐れるより、与えることで喜びは生まれます。」「ありがとう」の言葉で人生を締めくくりたいものです。
                  いずれも聖書の教えと多くの点で符合しているように思われます。感謝の心から生まれる「ありがとう」のことばは、多くの人々をいやし、幸せにする言葉であり、何よりも当人を幸せにする言葉と言えましょう。
                  人はまことの神様と出会うときに、初めて健全な感謝の心を持ち、気づくのではないでしょうか。
                  それは、いのちが神様によって創られ、生かされていることに気づくからです。私たちのいのちは決して偶然に生まれてきたいのちではなく、自分で生んだいのちでもありません。神様によって生かされているいのちであり、神に似るものとしてのいのちをもって生まれているのです。
                  人生を振り返りますと、多くの苦しいこと、悲しいこと、つらいことがありますが、神はその一つ一つを用いて、益となるように導いてくださっているのです。すべてのことを益としようとされていることを信じるなら、その人は感謝を常として、生きがいのある喜びあふれる人生を過ごすこととなるでしょう。

                  2017年9月10日

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    「このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。」(ローマ15:20)


                    佐藤正春先生ご夫妻は1992年4月、香港に拠点を置き、大陸宣教を始められました。幸い、香港にはバプテスト教会があり、その教会に集い、様々な支援もいただきながら、大陸への宣教が始まりました。
                    現在も大陸のキリスト教会に対する基本的姿勢は変わらないと思われますが、当初、外国人が入国し、家の教会を捜し、出会えるのには大変な困難を覚悟しなければなりませんでした。
                    神様は佐藤先生の働きのために香港の教会で、一人の大陸に重荷のある伝道者と出会わせてくださり、その伝道者とのかかわりの中で、大陸の地方にある家の教会との接触の道が開かれたのです。十分に発達していなかった交通事情、常に公安の目が光る広大な大陸において、無事に到着するためには、さらに家の教会内においても密告者がいるともいわれており、祈りなくしては何もできないと言える状況であったと、先生はしばしば語られているように、“中国の朝は5時”との賛美と祈りで始められていました。 100年以上も前から蒔かれている福音の種は、大陸の各地で実を結び、人々が集まり、礼拝が行われていましたが、聖書もよき書物もなく、正しい教理による十分な訓練もない状態で、先生の働きは聖書を運び、健全な教理、信仰生活について教授することからでした。
                    そこには毎回、何時間も熱心に傾聴する人々であふれる状況でした。
                    その後の先生の主な働きは献身している伝道者たちをしっかりとした牧師とするための訓練会であり、もう一つの大切な働きは健全な教理の注解付き聖書出版でありました。
                    多くの資金と注解、翻訳、校正等々、多大な働きでしたが、先生のリーダーシップの基に完成された研究用聖書は、必要とする伝道者の手元に届けられています。
                    先生は様々な局面で、何回も公安に捕らわれると思われる状況を体験されてきたのですが、この25年間の働きが守られてきたことは、ご家族の支え、愛兄姉の祈りによる主の守りであったことを改めて感謝するばかりです。新たなこれからの大陸宣教の働きのためにお祈りください。

                    2017年9月3日 週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)


                      “ストレス”という言葉が目につくようになってから、すでに20年近くなるでしょう。21Cに入り、世界はますます、競争社会、先行き不透明な社会情勢、いつ訪れるとも知らない災害…。そのような中で私たちは生きているのです。
                      誰もが緊張と不安の中に生きているのではないでしょうか。さらに、ストレスが原因、あるいはきっかけとなって様々な病気が発生すると言われています。
                      生活習慣の健全さ、お金や物の備え、保険などによる危機管理もストレスを軽減するのに役立つでしょうが、それだけで心は安心するでしょうか。人を安心させるお金や物がかえって争いや不安を増幅させることともなるのです。
                      「安全基地」は児童心理学の中で語られるようになった言葉です。生まれて2歳ぐらいになる子供は、しだいに自立しようと母親や養育者の傍から徐々に離れて、自分の力で探索しようとするのですが、子どもの心は好奇心半分、不安や恐れが半分です。新しい体験をしながらも、少しでも不安になると「安全基地」であるお母さんの所に戻ってくるのです。お母さんの所で、傷がいやされ、元気をいただくと再び、新しい体験を求めて出ていくのです。そのような繰り返しによって人は成長していきます。
                      「安全基地」がしっかりしていると安心を保つことができ、少々のことでは緊張や傷つくことが少なくて過ごせると言われています。つまり、ストレスに強い人生を過ごせるのです。

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