2017年2月19日 週報

0
    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



    「心の健康シリーズ」

    ー心の健康シリーズ2ー

    「「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
    ,and the truth shall make you free, 」(ヨハネ8:32)



    心の健康は思考を健全であるようにコントロールできるかどうかにあります。その中で最も大切な思考コントロールの基盤についてお話しいたします。誰かから「あなたは誰ですか?」と質問されるとどのように答えられるでしょうか。 おそらくほとんどの方はまず「自分の名前」を言われるでしょう。さらに、仕事や学校、住まい、あるいは出身地、国籍について等々を答えられるでしょう。しかし、この質問の意図は、あなたの外見的なことよりも、それ以上の「あなた自身の本質的なこと」を尋ねているのです。
    つまり、私たちは自分自身をどのような者として認識しているか、さらには、どのような者として評価しているかという質問なのです。心の問題は、何らかの状況の変化がきっかけで起こります。からだの病気、転勤や失業、親しい人との別れ、さらに新しい人間関係での問題等々…。しかし、決定的なことはそれぞれの状況をどのように受け止めたかで感情は良くもなり悪くもなるのですが、そのことで自分をどのように認識し、評価するかなのです。
    状況の変化と共に自己評価が大きくマイナスに振れるなら、心の健康状態はとても弱く、悪くなってしまうでしょう。なぜなら、自己評価が相対的なものに依存しているからです。一般的に人々の持っている評価基準は相対的で、絶対的ではありません。外見の要素が大半ではないでしょうか。容姿、学歴、職業、社会的地位、富、持ち物、等々…。いずれも大切なことですが、常に変化することがらで、このようなことで自分や他人を評価するなら、高くなったり、低くなったりするでしょう。 今、勝者、成功者が明日には敗者、失敗者としてのレッテルを貼られるのがこの世界ではないでしょうか。健全な自己認識、評価は絶対的価値基準に基盤を置くものでなければなりません。
    聖書は誰であってもキリストに在って、その人は「高価で尊い、私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)との評価をもって生きることが出来ると教えているのです。ソロモン王は富と権力を手にしながらもむなしさを説き、真の神を知り、恐れ(畏敬)ることを何よりも大切なこととして勧めました。

    2017年2月12日 週報

    0
      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



      「心の健康シリーズ」

      ーザ・ハッピーホームー

      「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133:1)


      人は本来しあわせになるために生まれてきました。創造主は、人をご自分の“かたち”に似せて創造されたので、人はしあわせに生きることが出来たのです。しかし、まことの神(創造主)に背を向け、自分の道を歩もうとした(堕落)結果、すべての人々はどこであってもいつの時代でも様々な人生の苦しみに遭い、死の定めにおかれました。生まれながら、人は自己中心の性質を持っているために、環境や教育による理性の訓練によって、自己中心から来る争いを避けることがいくらかは出来ましょうが、究極的平和実現は正に夢であります。
      詩人ゲーテが残した言葉に「王であっても農夫であっても、それぞれの家庭が平安であるなら、その人が一番しあわせな人である。」とあります。
      子供たちにとってどのような家庭で養育されるかはとても重要なことであり、若い人々がどのようにして結婚し、自分の家庭を築くかはさらに重要なことです。
      なぜなら、その人の一生は、どのような結婚生活をするか、家庭を築くかによるのです。さらに、幸せな結婚、家庭生活は、周囲の家族にも幸せを分かつでしょうし、次の世代にも良い影響を残すのです。健康、お金、仕事は幸せな家庭を築くための大切な要素でありますが、最も大切な要素ではありません。
      神が人を創造し、働きを与えられたとき「人がひとりでいるのは良くない。私は彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と言われましたが、結婚の事だけでなく、人は他の人々と共に生きる存在であることを教えたのです。人のしあわせは正に、他の人々と共に生きることの中にあるのです。そのために何が最も大切なのでしょうか。「その中で、一番すぐれているのは愛(アガペー)です。愛を追い求めなさい。」(汽灰螢鵐硲隠魁В隠魁檻隠)とあります。神の愛に生きることは、人の自己中心に生きるのとは全く違った忍耐、正義と公平などが生き方の特性となるでしょう。神の愛の追求を共通の価値観として生きようとするなら、争いも少なく、すぐに仲良くなり、助け合い、支え合うこととなるでしょう。人の美しさ、カッコ良さは外面よりも内面に求めなければなりません。一致は共通の価値観を土台として、同じ目標に向かって生きることによって育まれるでしょう。どんなに好き同士であっても、愛を追い求めないなら、性格の不一致と言う理由で青い鳥は去ってしまうでしょう。

      2017年2月5日 週報

      0
        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「心の健康シリーズ」

        ー心の健康は思考のコントロールからー

        「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(汽灰螢鵐硲隠:13)


        以前から言われていたことでありますが「ストレス」が身体の健康に大きな影響を与えているということです。「ストレス」は本来、だれでもが持っている体の防御反応であります。外側からの何らかの刺激(ストレッサ―)に対して、体を一定に保とうとする防御反応なのです。ですから中には健全なものもあるのですが、今日人々が口にしている「ストレス」は、ほとんどが、心と体の健全さに問題をもたらすものとして、この言葉が使われています。確かにストレスは外側からの何らかの圧力(ストレッサー)なのですが、特に心理面でマイナスとなるのは「ストレッサー」をどのように受け止めて考えるかによるのです。外からの圧力が強くても弱くても、その人がどのように考えて受け止めるかによって、「ストレス」として強くのしかかるかどうかが違ってくるのです。
        エリヤのような偉大な預言者でも、しかも彼は一人でバアル(偶像の神)の450人の預言者と闘って勝利したのですが、一人の王女イゼベルの強迫に強いストレスを感じて、パニックあるいはうつ状態になってしまいました。ここでエリヤは「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。…」と語ったように、エリヤは「もうこれ以上ガマンが出来ない!」「イゼベルと闘うなら勝てない!」と考えたのではないかと思われます。その人が受けているストレッサーを否定的にしか考えられなくなる時に、そのストレッサーが他人から見て、大きいか小さいかにかかわらず「ストレス」となるのです。人が成長する過程で、常に何らかのストレッサーが加わるのです。そのストレッサーを受け止めてさらに、強いストレッサーにも対応することによって成長していくのですが、受け止められないと精神的、社会的、身体的な問題が生じるのです。生まれながらの親から引き継ぐ気質によってストレッサーに過剰反応することも大いにあるのですが、いま申し上げたように、外からのストレッサーに耐えることが「出来る」あるいは「出来ない」と考えるかが、大きな分岐点となるのです。キリストのことば、約束は人々につねに希望と力を約束しているのです。人が不信仰によって疑わなければキリストのことばによって否定的(ネガティブ)ではなく、肯定的(ポジティブ)に考えて生きていく者となられるでしょう。
        毎日のディボーションで思考の良い習慣づけをしましょう。そうでないと自己中心で、気質がもたらす思考習慣からの解放はありません。

        2017年1月29日 週報

        0
          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者 には、どんなことでもできるのです。』」(マルコ9:23)


          日本人が神(カミ)という言葉を使う時、様々な意味で使われることがあります。上(カミ)に位置する人々を神と言う場合もあります。政治的に上位にある人々を「オカミ」と呼んだり、人の霊が死んで上空に漂っていると考え、人が死ぬと神となり祀られる人もいるのです。いずれも人間の理性や体験的、感情的にとらえられている神々であることが少なくありません。 ギリシャのアテネでパウロが、人間が本来、拝すべき真の神について明らかにした時、真の神、即ち、聖書の神は万物の創造主であられ(創世記1:1)、人間によって養われるお方ではないと語りました。
          もちろん、金、銀、石等で神を形ち造り現わすこともできません。「仏像が盗まれ信仰の対象が失われた。」と言う話はキリスト教会には存在しません(カトリックは別ですが)。
          さらに、万物の創造者は世界の主権者であられ、すべての権威をお持ちの方です。神がご計画されていることは、必ず実現するのです。神は人類の救済のために、メシヤをこの世界に遣わすという計画を定められました。その計画の実現のためにアブラハムを選ばれ、彼の子孫の一人(イエス・キリスト)を通して、全人類の救いを備えようとされました。ですからメシヤの誕生はかならず実現するのです
          。 人はしばしば十分な理解が出来ず、不信仰の故に疑ってしまうのです。アブラハムもサラも、高齢となり、子供を産めないと考え、しもべを養子にと考えたり、代理母で子供を産んだりしました(ハガルによるイシマエル)。
          神からのメッセージは何でしょうか。アブラハムに「わたしは全能の神である。」(創世記17:1)でありました。アブラハムとサラの信仰は“神の全能”に対して不信仰となり、自らの心の中で制限を加えたのです。イエスも同様のことを、我が子のいやしをもとめた父に語っておられました。父親はイエス様に「もし、おできになるものなら」と制限を自分の心の中でつけてしまっていたのです。神はすべての人々の願いを実現されません。しかし、神がご計画され、神の御心とされていることで、できないことは一つもありません。人の不信仰がイエス様の力に制限や条件を付けてしまうのです。私たちの祈りは「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」でありたいものです。

          2017年1月22日 週報

          0
            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            「…心(ヌース)の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)


            第一回目の学びの表題こそ「心の健康」の鍵と言えましょう。
            ローマ書12:1からキリスト者生活の実践が始まると考えられています。人の最大の必要は神様が恵みによって備えて下さっている救いに与かることであります。
            イエス・キリストを個人的に神として信じ、自分の罪の身代わりとして死なれ、3日目によみがえられた救い主を信じ受け入れるなら、その瞬間に救われるのです(エペソ2:8−9)。
            しかし、多くのキリスト者はその後も地上に残されているのであり、キリスト者として地上に生き続けなければなりません。それはキリスト者として成長し、キリストに似る者となり、キリストの救いのすばらしさを証しし、広めるためであります。
            そのためにパウロはローマ書12章から16章までの内容を記述したのであります。
            12章の1節と2節にキリスト者として成長する二つの原則が勧められています。
            一つは「献身」であり、キリスト者の人生における方向性について語っています。方向性が誤っているなら、どんなに早く走ったとしても、正しい目的地には到着いたしません。さらに方向性が正しいだけでなく前進していかなければなりません。
            ここでパウロは成長のための教えを具体的に勧めています。それは「心の一新」による変革です。今までの人生で身についていた「世の調子」と合わせるのではなく、「心の一新」によって新しい聖書的価値観を持って生きなさいと命じているのです。ここで使われた「心」とはギリシャ語で「ヌース」という言葉で「考え方」「思考」という意味が第一義であり、思考は、感情、そして意志に先立つと考えられています。人によって感情が豊かであったり、考えるよりも行動が早いと思われる方もおられるかもしれませんが、感情、意志は思考に付随すると考えられます。
            カインは自分の考え方を主張し、神に従わず、そして受け入れられなかったことで、怒り、そしてアベルを殺すことによって神と対立を明らかにしました(創世記4:3−8)。
            また、エリヤも「バアルと戦い、生き残ったのは自分一人」と考えたためにイゼベルの強迫を恐れて、自殺しようとしました(砧鷁Γ隠后В院檻隠亜法
            しかし、バアルに膝をかがめなかった人々は7千人もいたのです。
            12弟子たちがガリラヤ湖を夜、渡ろうとして風が強くなり、波が荒れ始め、不安を抱き始めた時「イエス様を見て幽霊だ。」と考えたためにとても強い恐れが生じてしまいました。感情と行動の健全さは思考の健全さから生み出されます。

            2017年1月15日 週報

            0
              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:21)


               昨年、教会は50周年を迎え、多くの皆様方と共に感謝の祝会を行いました。教会が創立30年をお祝いしてから2カ月が過ぎた1995年1月17日、誰もが予想していなかった阪神・淡路大震災が起こり、わずか20数秒の激震で、結果的に6,400人以上の方々のいのちが奪われ、神戸市を中心として壊滅的被害を受けました。教会堂も傾き、再建しなければならない状況となってしまったのです。まさに想定外のことが起こり、尊いいのちが奪われ、多くの人々が悲しみ、苦しみを体験しました。そのような中で、教会は1年後の5月に再建し、献堂することが出来、そして50周年を迎えたのでした。この震災の中で、ある企業は他の場所に移転したり、商いを止められた方々もおられました。
              神様の豊かな恵みと憐みによって教会は周辺のどこよりも早く再建させていただき、このことがテレビのニュースでも紹介されたのを想い出されます。
              22年を迎え、すでに22歳以下の若い方々は震災を知らないなかで生まれてこられています。ここでの教訓をこれからの災害における防災に生かすために神戸市では様々な活動が行われているのですが、私たちもキリスト者としての視点から学んだ教訓を次の世代に継承していかなければなりません。その後も大震災が起こっており、さらなる大震災についての警鐘も語られていることからも、大切なことと思われます。
              私たちが学ばされたことは、いかに人のいのちや大切にされていた家屋や形ある財産が、一瞬にして奪われるかという体験でした。信じ難いことですが、20数秒の揺れで、いのちも建物も奪われ破壊されたのです。神戸では地震後の火事で人のいのちも町々も焼かれ灰になりました。東日本大震災では、地震発生から30分ほどで何千人もの人々が波にのまれ、町々が波によって破壊されました。その力を誰一人止めることが出来ず、人々はその災害がただただ一刻でも早く終わるのを祈る事しかできませんでした。人はつねに自分たちの現世利益を願い、そのような願いをかなえてくれる神々を求めました。しかし、真の神は公正、正義のお方です。利益信仰は人々の貪欲から生まれる偶像であり、結果としては戦争の守護神ともなったのです。真の神は正義と公平、そして愛の神であられます。ですから、「自分を愛するように隣人を愛しなさい。」奪い合いと争いではなく、分かち合うことを求められ、将来への希望と平安を約束してくださるのです。   「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

              2017年1月8日 週報

              0
                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                「陽気な心は健康を良くし(good like a medicine),
                陰気な心は骨を枯らす。」(箴言17:22)



                長寿社会、高齢者社会を迎え、ますます健康についての関心は強くなっています。体が健康である事が幸福な人生を過ごすための大切な要素と考えられています。人が自分の思い通りに生きれるかどうかは、お金と健康に深くかかわっていると言って良いでしょう。健康を維持し、強くするためには、ある程度のお金がなければなりません。健康食品、薬、健康のためのスポーツ等々、そして病気にかかった時の治療、ある程度のお金がなければよい治療に与かれません。しかし、どんなに治療しても治らない病気、さらに人間は次第に老化へと向かっており、やがて体は思い通りには動かせなくなります。体が元気であれば好きなような人生を過ごせることでしょう。体のどこかに痛みがあり、問題があると、いくらかの自由が奪われてしまうのです。ですから、日ごろから、体の健康には、お金も気も使うことを多くの方々がされています。
                医学の専門家の方々は病気の大半は生活習慣が原因であるとして、生活習慣の改善や、予防医学の大切さを語っておられます。 体の健康を失うと肉体の死という究極的な問題への心配も発生しますが、それ以前に、勉学、仕事、スポーツ、家庭生活などの人生の多くの面で様々な問題をもたらすことでしょう。
                確かに今日では、だれもが体の健康に関心を抱いて、健康に関することにはすぐに反応されます。そして強く言われるようになったのが心のストレスが体の健康に直結しているとの意見です。ストレスによって血流、血質が変わり、さらに免疫力が低下することによって発病することもわかってきました。又、ストレスによって安眠が出来なくなり、そのことが体の健康にもかかわるという負の連鎖が起こっているのです。
                聖書では、古くから、人間の構成との関連を説きながら、心の健康が体の健康と深くかかわっていることを教えています。 70数年前、戦争で食べることが出来ない経験の中で、心の健康について考える余裕などはなく、生きるためにその日の食を求めることで必死でした。しかし、飽食時代、長寿時代を迎え、人間にとっての健康とは、何であるかを直視する時を迎えているのではないでしょうか。
                イエス様は「人のいのちは持ち物の豊かさによるのではない。ですから貪欲に気を付けなさい…。」と語られているのです。

                2017年1月1日 週報

                0
                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  「「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(ヨハネ6:27)


                  2016年は教会開拓50周年の記念する年でありました。3年計画で準備し、豊かな祝福の中で終わることが出来ましたことを感謝いたします。会員全員でそれぞれの賜物を発揮し、参加者全員で主の御栄光を現わすことが出来ましたことは教会にとって、とても大きな祝福体験でした。この祝福の感謝を大きな力として2017年は「継承と飛躍の実現」を目指す元年としようではありませんか。記念祝会に於きましても「ビジョンの祈祷文」を告白しました。
                  “すべての分野に於いての新しい奉仕者、内外の宣教に新しい働き人、あらゆる世代の人々が快適に集える新しい会堂、多くのクリスチャンホームの実現による1パーセントの壁の突破、500人教会等々…。”
                  このような祈りの課題が掲げられるとき、一部の信徒の願望として、終わらせてはなりません。確かに、人々はしばしば目の前の大きく高い壁を見、自分たちの能力、実体を見て、「自分たちの少しずつの捧げものでは足りません。」「それが何になりましょう。」と不信仰の思いに陥るのではないでしょうか。
                  神様はイスラエルの民に言われました「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。」(イザヤ40:28)
                  そして、イエスはキリスト者に語っておられるのです。「ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスはご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。(ヨハネ6:6)イエスは弟子たちにとても大きな壁である「5千人の給食」を命じられました。弟子たちは「自分たちの力ではできない。」と考えたり「自分たちの力では、何の役にもたたない。」と考えてしまったのです。しかし、イエスはご自身の偉大な力を発揮する機会としてご自身の力を現わして下さり、メシヤとしてのしるしを示されたのでした。私たちは自分たちの実力でビジョンの実現を達成できると考えていますか?できないと考えていますか?私たちのこれからの鍵となる信仰告白を「待望」としようではありませんか。

                  12月18日 週報

                  0
                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    「遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』」(ローマ10:15)


                    クリスマス(キリストの降誕)を最初に知ったのは羊の夜番をしていた羊飼いたちでした。夜中に光輝(異様な状況)が突然起こり、そこに現れた人々(天使たち)が語り始めたのです。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のために素晴らしい喜びを知らせに来たのです。」(ルカ2:10)
                    キリスト教の宣教はここから始まったと言ってもいいでしょう。メシヤ(キリスト)の誕生を告げられ待望していたイスラエルの人々にとって、まさに「素晴らしい喜び」の知らせでした。しかし、聖書において強調されていることは、ユダヤ人として生まれたイエス・キリストは全人類の救い主(メシヤ)であり、「あらゆる国の人々に」「すべての造られた者に」宣べ伝えなさいということであります。イエスをメシヤ(キリスト)として受け入れるかどうかは、最終的に個人個人の意志によることですが、聞かされることがなければ、受け入れるかどうかの選択をすることが出来ません。福音を先に聞き信じた人々によって、その人々の集まりである教会を通して世界宣教は今日も行われているのです。世界宣教は一個人の重荷や力で出来ることではありません。教会の総力をもって、やっていかなければならないでしょう。教会に属するキリスト者一人一人が福音の“すばらしさ”“喜び”を実体験していなければ、力強い宣教活動とはならないのです。
                    福音(ユウアンゲリオン/ゴスペル)はすべての人々に(人種、時代、地域その個人の過去、現在の生きざまにかかわらす)、無償で提供されているのです。心に受け入れた瞬間から神はその人を信じた者として扱ってくださるのです。もちろん、神はその人の信仰が本物か、偽りかを知っておられます。
                    神が福音によって約束くださった、永遠のいのち、真の命とはどのようないのちなのでしょう。⑴罪の赦し、⑵神との霊的交わりの回復⑶神の法廷では罪を犯さなかった義人とみなされ、神の子としての身分が賦与されました.⑷自分の存在の由来、使命そして目的地が明確になります。⑸神から与えられた使命を果たすための能力としての賜物、達成への約束⑹天国への約束と報い、新しい体への復活の望みと、主に在る故人たちとの再会⑺地上の生活における父としての子への養いと守り、罪と誘惑に対する教鞭等々。

                    12月11日 週報

                    0
                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(汽茱魯唯粥В后


                      幼児虐待や高齢者の運転ミスでの死亡事故など暗いニュースの多い日々ですが、先日、九州の大分で、曾祖父母の家に出かけ、みんなで畑仕事をしている間に2歳の女の子が行方不明となり、警察、消防団を中心に必死の捜索をしたのですが、発見できず、次の日に捜索するという状況で家族の人々はとてもつらい不安な一夜を過ごさなければなりませんでしたが、行方不明となった翌日に600メーターほど離れた山中で発見され、無事であったことで、ご両親が泣き崩れて喜び感謝されている姿が印象的でした。おそらく、そのニュースを知ったすべての人々が感動されたことでしょう。
                      イエス様は失われた一匹の羊が発見されたときには「大いなる喜びが天にある。」と言われました。
                      世界宣教は4つの福音書中、3つの福音書(マタイ28:19−20、マルコ16:15、ルカ24:46−49)に書かれているほどに、教会に与えられた大切な命令であります。その命令は、独裁者が単に自己の野望を世界中に広げ、征服しようとして剣の力によって広げられたのではありません。
                      「神はそのひとり子を世に遣わし」とありますように、父なる神が御子をこの世に遣わすことによって開始されたのであり、その御子は、自ら進んで、ご自分のいのちを犠牲とされました。人々からいのちを、富を奪うためではなく、人々に赦しと命を与えるためにご自身のいのちを、正しいと思われる人々のためだけでなく、人々からも罪人と言われ、嫌われている人々のためにもいのちを与えようとしてくださったのです。まことの愛は、強制によって生まれるものではありません。一人一人に選択の自由が与えられ、決して剣の力によって宣教されたのではありません。迷い子は、自分で家に帰ることも親を探し出すこともできません。親が必死になって迷い子を探し出そうとするのです。そして、一人の魂が救いに導かれるなら、天に於いて大いなる喜びがあるのです。
                      福音の宣教は時として喜ばれず、反対され、迫害されることもあります。それは罪について裁きについて語られるからです。しかし、宣教の必要は人々に真の赦しといのちの希望を与えるためであるのです。死の定めの下にある人間にとっての唯一の希望は永遠のいのちへの希望であり、信じるすべての人々に与えらえるところにあるのです。

                      | 1/20PAGES | >>

                      calendar

                      S M T W T F S
                         1234
                      567891011
                      12131415161718
                      19202122232425
                      262728    
                      << February 2017 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      links

                      profile

                      search this site.

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM