2017年4月23日 週報

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    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



    「また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。」 (マタイ24:6)


    2017年1月、アメリカの大統領が変わりました。数年前からのイラク・シリヤの内戦から、多くの難民が発生し、並行して、世界各地でテロが起こり、ますます不安が広がりつつある中で、アメリカはシリヤの軍事基地を攻撃し、世界中が緊張しました。 さらに、北朝鮮の核開発、周辺国への挑発により、アメリカは空母を中心とする艦隊を日本海へと移動させ、さらに戦争勃発の不安がより現実味を帯びてきました。
    第二次大戦の経験より、人類は二度と同じような戦争を起こさないと決心をして国連を中心にして世界中の様々な問題を話し合いで解決しようと努力してきましたが、21Cを迎えて、グローバル化と並行して新たな世界戦争の危機が各地で起こっています。
    イエス様は世界の主権者としてこの世界がどのような方向に進んでいくかをご存知であって、聖書を通して神の子たちに大切な指針を示してくださいました。
    1)「気を付けて」社会の動向に対して無関心であってはいけません。“目を覚ましていなさい”“用心していなさい”と語られています。
    2)「慌てないようにしなさい。」と冷静さを失って、感情だけに支配されると誤った判断と行動をとり、かえって問題を大きくします。過剰な不安や応戦によって大問題となるのです。
    3)「必ず起こる」誰もが戦いではなく平和を望むのですが、戦争の可能性を不思議に思ってはなりません。人間の罪が完全に解決していない社会では、常に争いが起こるのです。核開発をして、平和が本当に実現するでしょうか?誰が考えても平和の方向には向いていません。力による支配によって恒久的平和は絶対に実現しません。
    4)「終わりが来たのではない。」その時の前兆を通して、悟る者とならなければなりません。しかし、時は神のみが知る権利です。キリスト者に与えられている平和運動の使命は天に引き上げられる時が来るまで、慌てずに福音を宣教することに励むことであり、人々の心を平和にすることがキリスト者の使命です。国の指導者がどのような世界観を持つかによって、戦争か平和かが決まることもしばしばです。各国のリーダーたちのために祈らなければなりません。

    2017年4月9日 週報

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      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



      「心の健康シリーズ」

      「その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。」(ヨブ3:1)


       人が心の病を発症するのには、何らかのきっかけがあります。その大半が、その人にとって望まない状況が生じることで発症しています。ヨブはとても信仰深い信仰者でありました。日々の生活においても祝福の中で恵まれた日々を過ごしていたのです。
       ところが、わざわいが突然、しかも、いくつも重なって訪れました。泥棒に物を盗まれ、災害で子供たちが死に、そして、ヨブ自身も苦しみと痛みの伴う病気になったのです。初めは冷静に信仰的に受け止めていたのですが、なかなか回復しない病のゆえに、ついに「自分の生まれたことをのろう」ようになってしまい、深く落ち込んでしまったのです。
       ヨブほどの苦しみに遭わなくても、大半の人々が心を病んでしまうでしょう。人は誰もが自分の願いを一つでも多く、実現しようとして、日々努力し、頑張って、自分の人生を生きているのです。夢の実現に希望がある間、元気を出して、頑張るのですが、失敗したり、次第に自分の置かれた環境が願いとは異なり、希望を失い始めると様々な心の病を生じてしまうのです。ストレスを受けやすい方と比較的ストレスを感じない気質的違いがありますが、願わない状況では、多くの方々が気分を弱くするのです。 ここで大切なことは、自分のいのちを自分で生きていると捉えるか、生かされているいのちと捉えるかです。もし、自分で生きているいのちとしか考えられなければ、自分の願わない状況を喜ぶことや意味のあることとは受け止められません。希望は失われ、不安が増大し、とてもしんどくなってしまい、生きることも嫌になるでしょう。ある人々は運命として半ばあきらめて受容しようとする方もおられるでしょうが…。
       聖書の人生観は、人のいのちを自分で生きるという以上に、神によって生かされているいのちと捉えるのです。偶然に存在するようになったいのちではなく、神様によって目的と使命をもっていかされていると捉えるのです。
       苦しみを誰も喜べませんが、その中にあっても意味、生きがいがあると捉えるいのちなのです。ヨブの一生は苦しみで終わりませんでした。後半は、二倍の祝福を受けたのです。ヨブ記は聖書の最古の書物とされています。ヨブの苦しみは人類史において多くの人々に慰め、励ましそして希望となったのです。

      2017年3月26日 週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「心の健康シリーズ」

        「…なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(競灰螢鵐硲隠:10)


        「人がひとりでいるのは良くない。」(創世記2:18)と神は人に妻を備え、家庭を設けられました。このことは単に結婚生活のことだけではなく、人の本質として他者と共に生きる存在であることを教えていると言えましょう。人はつねに他者と共生し、共に力を合わせて、神の使命を全うする者であります。ですから、他者とのかかわりの中で生きる喜びを見いだし、生きがいを感じるのです。
        人にとって一人ぼっちは、働きにおける苦しさだけでなく、心理的にもつらいものでありましょう。 「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば良い報いがあるからだ。」(伝道者の書4:9)。
        SNSが爆発的に広がっていますが、それによって、人と人とのつながりが生じるからではないでしょうか。ところが、人間の罪が入り込んできた結果、人と人との結びつきに根本的な変化が生じました。それは、力の強いものが弱いものを支配する関係へと変わっていったのです。互いに愛し合い、助け合う関係、互いに支え、補い合う関係が、強い者が弱い者を屈服させる関係となりました。夫アダムは妻エバを力で支配し、兄カインは弟アベルを殺しました。人はその時から、常に力を手にして人々を治める者となり、力ある者が称賛される社会を造ろうとしているのです。進化論を世界観として今日では益々力を人々は求め、力ある者を勝利者として称えようとしているのです。
        同時に人が体験していることの一つは、人の力の限界であります。人は強さを誇り、弱さを隠し、あくまでも自分の力を強めようと生きているのですが、死に打ち勝つことは誰もできません。 キリスト者は神の力に頼り、その力で勝利しようとするのです。その力は数々の貪欲から引き離す力であり、自分の持っている力以上の力を発揮する力です。キリスト者には、死に打ち勝たれたキリストの力を手にすることができるのです。 人を赦すことは心において強い力を必要とするでしょう。神の愛の力によってキリスト者は人を赦し和解への一歩を踏み出すのです。自分の力を信じ、自分のちからのみに頼ろうとする時、人は神の力の必要を覚えず、求めません。しかし、自分の力が打ち砕かれることによって、神の力の必要を覚えて求めるのです。 弱さに気づくこと、それは弱さではなく、本当の強さへの第一歩と言えましょう。

        2017年3月12日 週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          「心の健康シリーズ」

          「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。…私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」 (エペソ2:8,10)


          血液検査によって体の健康状態についてかなりのことが分かってきます。各項目において、正常な数値が定められており、多くは〜以上、〜以下となっております。多過ぎても少な過ぎても健康ではありません。過食と拒食、怠惰と過労、睡眠不足と多眠等々、いずれもバランスを保つことが健康にとっていかに大切かがわかります。 信仰の健全さも同様のことが言えるといえましょう。異端と呼ばれる人々はある特定の教えだけにこだわり、聖書全体をバランス良く教えないことによって生じるのです。 上記の聖句は救いの確信のためによく引用されている大切な聖句です。強調されている点は「恵みのゆえに/テー ガル カリティ」という点であり、この言葉が文頭に前置詞(ガル、理由を示す)とともに置かれていることで明らかです。「恵み/カリス」とは、神の無条件、一方的な愛を意味する言葉で、人の救いの第一原因は、神の恵みによるのであって「人の行い」ではありません。このメッセージこそ、福音の真髄であり、イエス・キリストの十字架の御業故であります。ですから、信者は救いの確信を持ち、その確信が生活の中で反映される祝福に与るのです。不安と恐れから、安心、平安を手にするのです。確かに人は、自分の生活状況に常に左右されます。お天気のように気持ちもころころと変化するでしょう。救いの確信を持ったり、失ったり…。信者の救いの拠り所は自分の気分ではなく神の言葉への信頼でければなりません。救いの確信は、神の作品としての良い行いへと進んでいくのです。信じることによって誰でもが、いつでも永遠のいのちに与り、天国への切符を手にすることができます。しかし、多くのキリスト者は、この地上においてしばらく歩み続けなければなりません。本来の神が人を造られた目的にふさわしい者として歩むためです。神様は人を神の代わりにこの世界を治めさせようとされましたが、人間の堕落の故にこの世界に混乱が生じているのです。良い行いを積み重ねることによって救われません。なぜなら、利己的人間は神の意志を反映できないからです。しかし、神の子となった人々は、神の意志を反映させて、良い行いをするために生かされており、そのような生き方がその人と周辺の人々の幸いとなるのです。 バランスをもって健康を保ち成長させましょう。

          2017年3月5日 週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            「心の健康シリーズ」

            ー心の健康シリーズ6ー




            (ヨハネ8:32) イエス様は人々に「わたしのことばにとどまるなら、真理を知り、真理はあなた方を自由にします」と語られました。 その後で、サタンを「偽りの父である」と断言され、人々が真理ではなく、偽りを信じていることによる「罪の奴隷」について語られたのです(ヨハネ8:33−46)。
            この教えは「心の健康」というテーマを考える上でとても大切な点といえましょう。
            なぜなら、多くの人々は、サタンの偽りを信じて、人間の本当の姿、価値についてわからなくなっているのです。それはキリストを信じている神の子たちの人生においても、しばしば見られることといえましょう。
            聖書は人を尊い存在として生かされていると強調しているのです。ダビデは、「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。…。」(詩篇8:4)と語りました。人は神の栄光と誉のために造られたのでした。一人一人は神の代理として治める者となるのです。アダムの堕落によって、神の栄光を受けること、現わすことができなくなりましたが、イエス・キリストに在って贖われ、失った命を回復させることができるのです。キリストに在って誰でもが自分の本当の姿を知り、尊さを知ることができ、意味のある人生を送れるのです。しかし、多くの人々は、世の基準で満たされるなら「しあわせになれる、意味のある人生を送れる。」と信じ込んで、〈それは往々にして、外面に表れていること、すなわち、容姿、職業、学歴、富、家柄など…〉いるのです。人は外面的な満たしで本当に自己の価値を知り、満足出来るのでしょうか。一つの失敗でその人は無価値な者となってしまったのでしょうか。外見の見栄えや成功・知名度とは必ずしも内側の平安や成熟を反映しているわけではないのです。もしそのことが真実であるとするなら、ソロモン王は伝道者の書を書かなかったでしょう(伝道者の書1:2)。人の欲望は尽きることがありません。即ち、満足することも、安心することもないのです。イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」(マタイ4:4)と言われた通りです。人は神から離れるなら益々自己中心となり、貪欲にとらわれることでしょう。間違った考え、基準を信じて自己の存在を位置づけては幸いな人生を歩めません。
            キリスト者は神の子であることに自分の本質の価値を常にしっかりと持ち続けていなければなりません。「みにくいアヒル」は、自分のまわりを見て、自分の姿が他のアヒルたちと違って、悩み、悲しみ、不安でいっぱいでした。しかし、自分の本当の姿を知った時、大空に羽ばたき、舞い上がることができました。私たちのキリストに在る真の素晴らしい姿をサタンの嘘によって歪められえてはなりません。

            2017年2月26日 週報

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              「心の健康シリーズ」

              ー心の健康シリーズ3ー

              「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。
              『来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。』」(ヨハネ4:28−29)



              20世紀の後半から世界は新しい歴史の時代を迎えたと言ってよいでしょう。歴史は、三大発明(印刷術、羅針盤、火薬)や産業革命を通して大きく変わりましたが、IT革命は、それ以上の大変革を世界にもたらしたと言えます。
              イエス様の大命令は「福音」をすべての造られたものに宣べつたえることにあります。この福音は正に全世界の人々にとって幸いなニュースであり、誰であっても、この福音を受け入れる人々には無代価でまことのいのちに与かれるのです。
              かつて人々は徒歩や動物を移動手段としていたのですが、産業革命後の移動手段の発達によって、国内から海外へまで、より多くの人々が移動できるようになり、それによって一層福音は拡大しました。さらに、印刷機の発明による本の出版、手紙や電信、電話、テレビなどの普及により、福音がより早くより遠くの人々に拡大する手段を私たちは手にしました。そして、今日、インターネットを介して世界中の人々が瞬時に情報を共有できるようになったのです。
              誰もが、海外に住む人々と何時間も話をし、映像も同時に映せるのですから、もはや距離の隔たりはなくなりました。今日、教会の宣教手段も、紙を媒介するのではなく、SNSが中心になってきているのです。パーソナル端末機器を介して海外の集会をライブで共有することも出来るのです。21Cは情報手段において大革命の時代です。その手段は福音を全世界に広げるのに、大いに役立つことでしょう。
              さて、最も大切な情報源は何でしょうか。ひとりのサマリヤの女性、しかも、不品行のために人々が水を汲む時間をさけて水を汲みに来なければならない女性が語ったのです「来て見てください。わたしのしたことを全部を私に言った人がいるのです。…」福音はイエス・キリストによって人生が変わったという人々を通して急速に広まりました。ここに福音宣教の原動力があるのです。手段以上に、福音によって人生が変えられる人々が起こされることが宣教拡大の本質なのではないでしょうか。

              2017年2月19日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                「心の健康シリーズ」

                ー心の健康シリーズ2ー

                「「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
                ,and the truth shall make you free, 」(ヨハネ8:32)



                心の健康は思考を健全であるようにコントロールできるかどうかにあります。その中で最も大切な思考コントロールの基盤についてお話しいたします。誰かから「あなたは誰ですか?」と質問されるとどのように答えられるでしょうか。 おそらくほとんどの方はまず「自分の名前」を言われるでしょう。さらに、仕事や学校、住まい、あるいは出身地、国籍について等々を答えられるでしょう。しかし、この質問の意図は、あなたの外見的なことよりも、それ以上の「あなた自身の本質的なこと」を尋ねているのです。
                つまり、私たちは自分自身をどのような者として認識しているか、さらには、どのような者として評価しているかという質問なのです。心の問題は、何らかの状況の変化がきっかけで起こります。からだの病気、転勤や失業、親しい人との別れ、さらに新しい人間関係での問題等々…。しかし、決定的なことはそれぞれの状況をどのように受け止めたかで感情は良くもなり悪くもなるのですが、そのことで自分をどのように認識し、評価するかなのです。
                状況の変化と共に自己評価が大きくマイナスに振れるなら、心の健康状態はとても弱く、悪くなってしまうでしょう。なぜなら、自己評価が相対的なものに依存しているからです。一般的に人々の持っている評価基準は相対的で、絶対的ではありません。外見の要素が大半ではないでしょうか。容姿、学歴、職業、社会的地位、富、持ち物、等々…。いずれも大切なことですが、常に変化することがらで、このようなことで自分や他人を評価するなら、高くなったり、低くなったりするでしょう。 今、勝者、成功者が明日には敗者、失敗者としてのレッテルを貼られるのがこの世界ではないでしょうか。健全な自己認識、評価は絶対的価値基準に基盤を置くものでなければなりません。
                聖書は誰であってもキリストに在って、その人は「高価で尊い、私はあなたを愛している」(イザヤ43:4)との評価をもって生きることが出来ると教えているのです。ソロモン王は富と権力を手にしながらもむなしさを説き、真の神を知り、恐れ(畏敬)ることを何よりも大切なこととして勧めました。

                2017年2月12日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  「心の健康シリーズ」

                  ーザ・ハッピーホームー

                  「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133:1)


                  人は本来しあわせになるために生まれてきました。創造主は、人をご自分の“かたち”に似せて創造されたので、人はしあわせに生きることが出来たのです。しかし、まことの神(創造主)に背を向け、自分の道を歩もうとした(堕落)結果、すべての人々はどこであってもいつの時代でも様々な人生の苦しみに遭い、死の定めにおかれました。生まれながら、人は自己中心の性質を持っているために、環境や教育による理性の訓練によって、自己中心から来る争いを避けることがいくらかは出来ましょうが、究極的平和実現は正に夢であります。
                  詩人ゲーテが残した言葉に「王であっても農夫であっても、それぞれの家庭が平安であるなら、その人が一番しあわせな人である。」とあります。
                  子供たちにとってどのような家庭で養育されるかはとても重要なことであり、若い人々がどのようにして結婚し、自分の家庭を築くかはさらに重要なことです。
                  なぜなら、その人の一生は、どのような結婚生活をするか、家庭を築くかによるのです。さらに、幸せな結婚、家庭生活は、周囲の家族にも幸せを分かつでしょうし、次の世代にも良い影響を残すのです。健康、お金、仕事は幸せな家庭を築くための大切な要素でありますが、最も大切な要素ではありません。
                  神が人を創造し、働きを与えられたとき「人がひとりでいるのは良くない。私は彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と言われましたが、結婚の事だけでなく、人は他の人々と共に生きる存在であることを教えたのです。人のしあわせは正に、他の人々と共に生きることの中にあるのです。そのために何が最も大切なのでしょうか。「その中で、一番すぐれているのは愛(アガペー)です。愛を追い求めなさい。」(汽灰螢鵐硲隠魁В隠魁檻隠)とあります。神の愛に生きることは、人の自己中心に生きるのとは全く違った忍耐、正義と公平などが生き方の特性となるでしょう。神の愛の追求を共通の価値観として生きようとするなら、争いも少なく、すぐに仲良くなり、助け合い、支え合うこととなるでしょう。人の美しさ、カッコ良さは外面よりも内面に求めなければなりません。一致は共通の価値観を土台として、同じ目標に向かって生きることによって育まれるでしょう。どんなに好き同士であっても、愛を追い求めないなら、性格の不一致と言う理由で青い鳥は去ってしまうでしょう。

                  2017年2月5日 週報

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    「心の健康シリーズ」

                    ー心の健康は思考のコントロールからー

                    「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(汽灰螢鵐硲隠:13)


                    以前から言われていたことでありますが「ストレス」が身体の健康に大きな影響を与えているということです。「ストレス」は本来、だれでもが持っている体の防御反応であります。外側からの何らかの刺激(ストレッサ―)に対して、体を一定に保とうとする防御反応なのです。ですから中には健全なものもあるのですが、今日人々が口にしている「ストレス」は、ほとんどが、心と体の健全さに問題をもたらすものとして、この言葉が使われています。確かにストレスは外側からの何らかの圧力(ストレッサー)なのですが、特に心理面でマイナスとなるのは「ストレッサー」をどのように受け止めて考えるかによるのです。外からの圧力が強くても弱くても、その人がどのように考えて受け止めるかによって、「ストレス」として強くのしかかるかどうかが違ってくるのです。
                    エリヤのような偉大な預言者でも、しかも彼は一人でバアル(偶像の神)の450人の預言者と闘って勝利したのですが、一人の王女イゼベルの強迫に強いストレスを感じて、パニックあるいはうつ状態になってしまいました。ここでエリヤは「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。…」と語ったように、エリヤは「もうこれ以上ガマンが出来ない!」「イゼベルと闘うなら勝てない!」と考えたのではないかと思われます。その人が受けているストレッサーを否定的にしか考えられなくなる時に、そのストレッサーが他人から見て、大きいか小さいかにかかわらず「ストレス」となるのです。人が成長する過程で、常に何らかのストレッサーが加わるのです。そのストレッサーを受け止めてさらに、強いストレッサーにも対応することによって成長していくのですが、受け止められないと精神的、社会的、身体的な問題が生じるのです。生まれながらの親から引き継ぐ気質によってストレッサーに過剰反応することも大いにあるのですが、いま申し上げたように、外からのストレッサーに耐えることが「出来る」あるいは「出来ない」と考えるかが、大きな分岐点となるのです。キリストのことば、約束は人々につねに希望と力を約束しているのです。人が不信仰によって疑わなければキリストのことばによって否定的(ネガティブ)ではなく、肯定的(ポジティブ)に考えて生きていく者となられるでしょう。
                    毎日のディボーションで思考の良い習慣づけをしましょう。そうでないと自己中心で、気質がもたらす思考習慣からの解放はありません。

                    2017年1月29日 週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者 には、どんなことでもできるのです。』」(マルコ9:23)


                      日本人が神(カミ)という言葉を使う時、様々な意味で使われることがあります。上(カミ)に位置する人々を神と言う場合もあります。政治的に上位にある人々を「オカミ」と呼んだり、人の霊が死んで上空に漂っていると考え、人が死ぬと神となり祀られる人もいるのです。いずれも人間の理性や体験的、感情的にとらえられている神々であることが少なくありません。 ギリシャのアテネでパウロが、人間が本来、拝すべき真の神について明らかにした時、真の神、即ち、聖書の神は万物の創造主であられ(創世記1:1)、人間によって養われるお方ではないと語りました。
                      もちろん、金、銀、石等で神を形ち造り現わすこともできません。「仏像が盗まれ信仰の対象が失われた。」と言う話はキリスト教会には存在しません(カトリックは別ですが)。
                      さらに、万物の創造者は世界の主権者であられ、すべての権威をお持ちの方です。神がご計画されていることは、必ず実現するのです。神は人類の救済のために、メシヤをこの世界に遣わすという計画を定められました。その計画の実現のためにアブラハムを選ばれ、彼の子孫の一人(イエス・キリスト)を通して、全人類の救いを備えようとされました。ですからメシヤの誕生はかならず実現するのです
                      。 人はしばしば十分な理解が出来ず、不信仰の故に疑ってしまうのです。アブラハムもサラも、高齢となり、子供を産めないと考え、しもべを養子にと考えたり、代理母で子供を産んだりしました(ハガルによるイシマエル)。
                      神からのメッセージは何でしょうか。アブラハムに「わたしは全能の神である。」(創世記17:1)でありました。アブラハムとサラの信仰は“神の全能”に対して不信仰となり、自らの心の中で制限を加えたのです。イエスも同様のことを、我が子のいやしをもとめた父に語っておられました。父親はイエス様に「もし、おできになるものなら」と制限を自分の心の中でつけてしまっていたのです。神はすべての人々の願いを実現されません。しかし、神がご計画され、神の御心とされていることで、できないことは一つもありません。人の不信仰がイエス様の力に制限や条件を付けてしまうのです。私たちの祈りは「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」でありたいものです。

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