2017年7月23日 週報

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    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



    「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:18)


    来月には72年目の終戦記念日を迎えようとしています。今日の日本を取り巻く世界では、様々な戦いが起こっており、その影響が日本にも押し寄せてきています。しかしながら、現時点では、私たちの国は平和な社会と言ってよいでしょう。今日の世界の中で、平和な日々を過ごせるということは何という幸いでしょうか。最近海外からたくさんの観光客が日本に訪れていると言われていますが、その一つの理由が安全、安心できる社会だからです。カバンや財布を落としても数日後には無事手元に戻ってくることで、海外の人々からとても驚かれ、感動されているのです。
    しかし、日本に住む私たちは、このような安心、安全な社会にどれほどの価値を認め気づいているでしょうか。周囲の動向に影響される「力には力で」との争いの本質は何でしょうか。
    聖書が明示している根源の理由は、アダムが自分を神としようとして堕落した時から、人類は生まれながら自己中心的性行を身に着けて生まれるようになったのです。ヤコブは「あなた方のからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」と人間の自己中心性を説明しています。アダムとエバの間に、カイン(兄)とアベル(弟)との間に、そしてエデンの東の町での争いは、人間の自己中心の性行が原因であると教えているのです。
    神のあわれみは救い主イエス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦しと神の子(最初のアダム)への回復、その命の成熟(互いに愛し合い仕えること)による争いではなく、共存、共栄を教えているのです。本来の人間(アダム)らしい生き方は、共に生き、共に支え合い、共に栄えることでした。
    しかし、この聖書の考え方を否定するヒューマニズム(人間主義)が台頭しているのです。それこそが、人は生き残るために適者(弱肉強食での勝者)とならなければならないので、生存競争、弱肉強食を正当化する哲学(社会進化論)が広がっているのです。
    ダ―ウインは証明出来ずに生物進化を発表しました。それ以来、経済、社会、すべての分野において、進化論哲学を人々は信仰する者となり、その信仰が蔓延しているのです。皮肉にも今日の科学の進歩は勝者に対しても繁栄を約束できなくなってしまったのです。ノーベル賞受賞の山中伸弥博士は著書の中で「なぜか日本人は、人間はみな猿から進化したと信じていますが、証明されていない。…そのうち、ダ―ウインの『進化論』は間違いだった。と言うことになるかもしれません。」と言われています。

    2017年7月16日 週報

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      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



      「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。…」(コロサイ2:8)


      ダ―ウインの「種の起源」(1859年出版)が発表されて以来、聖書(万物の創造主の存在と世界の起源)の教えは、歴史科学ではなく、宗教的神話とされ、人々の生き方を大きく変えてきました。
      ヒューマニスト(人間主義)の封建制王侯貴族そして教会への反発はそれによって一層拡大してきたのです。そのような世界観によって人間の由来は、虫と同じ祖先、さらには、偶然による生命の存在となり、人間の帰属(アイデンティティ)はわからなくなり、いのちの尊厳の信念はとても薄弱になってしまいました。弱肉強食が正論となり、負けたものは再度の挑戦で勝つ以外は、自己評価を大きく失うこととなるのです。ある方々が生まれながらにハンディーがあるとするなら、人生はとても厳しくなるのです。現実には、すべての人々が進化論の哲学による弱肉強食ではなく、キリスト教やその他の宗教的影響によって人道主義(Humanitarianism)による弱者への福祉が働いていますが…。
      結婚、家庭の崩壊、心の病の増加はヒューマニズムによる聖書倫理の否定と深く関係しているのです。創造主からの自立は決して真の人間らしさを手にしたのではありません。それは、羊が羊飼いのない自由を手にしているのとよく似ているのです。自由の先にあるのは混迷と死です。ぜひ。皆様に知っていただきたいことは、進化論は科学の姿をしていますが、一つの信念にすぎません。ダーウイン自身も科学的に(歴史科学)証明して、この理論を書いたのではありません。彼は種から種への確かな進化を証明していません。そのような化石は、いまだに発見されていないのです。大学で、研究室で多くの人々が進化を証明しようとしていますが、その証拠はありません。生きている中間種、化石の中間種も見つかっていません。教科書に載せられていた原人、猿人はすべてサルか人かねつ造かです。ヘッケルの反復説もねつ造でした。
      メンデルの法則は種の中に変異が生じることを証明しました。ダーウインの主張は種の変化ではなく、変異にすぎません。突然変異によって別の新しい種は生じないのです。教科書に載っている「地質年代図表」のような地層、そして、化石の存在は、地球上どこにも発見されていません。それは教科書の中だけです。
      アメリカや各地に存在しているグランドキャニオンの平行地層は、地球規模の大洪水のみによって可能となるのです。

      2017年7月9日 週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。」(エレミヤ4:3)


        種に素晴らしい実を結ぶいのちがあるとしても、その種がいばらの中に蒔かれると豊かな実を結ぶことができません。良い地に蒔かれると30倍、60倍、100倍と成長するのです。イエス様も同様のたとえ話をされました。御言葉の種が蒔かれても、それを聞く人々の心の状態の違いによって実を結ぶかどうかが大きく変わることを教えられました。
        日本人の心の中には、多神論的な信念もありますが、それ以上に進化論を受け入れ無神論的な信念を持っている方々が多いのではないでしょうか。イギリスでチャールズ・ダーウィンが1859年に「種の起源」を出版して以来、世界中に進化論による世界観が広がりました。アメリカで進化論が教えられるようになったのは1930年以降でしたが、日本では1877年(明治10年)より公教育に取り入れられたのです。神道や仏教の強い国でしたが、人類の起源を進化によると教えられたのでした。進化論は本当に科学的に証明された、信じるに足る理論なのでしょうか。ダーウィンは南米で数多くの動植物を観察しましたが、進化の証明となる化石を発見したり、中間種を観察したのではありません。良く似た動植物を見て、たとえばフィンチと呼ばれる鳥など、彼は一つの信念(仮設)を抱いたにすぎません。「すべての動植物は似ているので一つの先祖から生まれた。」と信じたのです。それを自然選択によって弱い者が淘汰され、強い者(適者)が残る、このことが長い時間の中で新しい種を生むとの信念をまとめました。しかし、歴史科学として証明されていません。ダーウィンが根拠として発見を期待していた中間の化石(ミッシングリンク)はいまだに発見されず、そのことは創造論の証明となるのです。
        ダーウィンの時代、遺伝学は十分に発達していなかったので、同じ種の中の変異についてよく理解されませんでした。変異を進化と考えていたのです。今日の進化論者は外形の観察でなく、遺伝学によって証明しようとしていますが、決定打はありません。突然変異は進化を証明せず、むしろ否定的なのです。多くの猿人、原人の化石が教科書に載せられましたが、すべてはサルか人間で、一つも中間種の証明となるものはありません。
        今年、東京の博物館にはねつ造されたビルトダウン人の化石が展示されました。発見者がねつ造したのです。

        2017年7月2日 週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。…」(使徒17:28)


          ジークムント・フロイトから精神医学や心理学が大きく発展したと言われています。彼はユダヤ教やキリスト教の近くに住んでいたので、聖書の影響下にあったと思われますが、ヒューマニズム的人間観に基づいて精神分析を確立したのであり、それ以降の心理学者の大半も同様と言えましょう。
          「ヒューマニズム」はラテン語の「ファニタス/人間らしさ」から生まれた言葉で長い歴史がありますが、今日のヒューマニズムの意味合いは19C〜20Cに確立したものです。簡単に定義すれば、「人間は自立的に完全になれる。」と言う考え方です。日本では「人道主義・博愛主義ヒューマニタリアニズム」と同一と考えられていますが、厳密には区別されています。聖書の教えは、真の意味で「人道主義・博愛主義」と言えましょう。
          1859年「種の起源」の出版によってヒューマニストは、人間の正しい歴史が解明されたと信じ、創造主や聖書の道徳からの自由によってさらに人間の欲望追及によって、自己実現ができると考え、様々な心の解放の心理学を展開してきました。
          しかし、現実のヒューマニズムとは、人間を自己中心からは解放せず、すべての人々を人間らしくはしてくれません。強く競争に勝ち残れる人々はある程度の自己実現による満足を手にしているでしょうが、常に競争と敗北のストレスからは自由にされているとは言えません。さらに、究極的にどのような哲学者、心理学者、そして科学者でも死の恐れからは決して解放されないのです。
          聖書は変わることのない人間観を展開しているのです。
          1.人間は神のかたちをもって造られた尊い存在である。
          2,堕落によって本来の人間らしさを喪失、自己中心性の奴隷となり、死の定めの中にある。
          3.最後のアダムであるキリストによる贖いによって再び神の子(本来の人間)として、真の自由、尊厳、価値の回復に与れるのです。
          ヒューマニズムは進化論を受け入れ、人間を聖書から自立させようとしていますが、欲望のままに生きる自由によって、争いを生じさせ、他の人々の人権や欲望追及を阻害するという矛盾から解放することができません。人は真の神(父/創造主)から離れては本当の人間らしさを回復できないのです。

          2017年6月25日 週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。…」(コロサイ2:9−10)


            一般的なカウンセリングはG・フロイトの心理学(psychology/プスケー魂、心の論理)から始まり発展したと言えましょう(ある人々はフロイトの心理学と対立しますが、何らかの影響下にあります)。
            フロイトはヨーロッパのオーストリアで生活していたユダヤ系、オーストリア人で、家族はクリスチャンでした。父に対する反発などもあり、彼自身の思想としても、聖書的な道徳観の押しつけなどが、心の葛藤を一層強くするとして、神経症の要因と考えていました。
            又、19Cと言う時代の中で次第にヒューマニズムが台頭している時代であり、聖書を否定する人間観へと進む方向へと歩んだのです。ですからG・フロイト、A・アドラー、C・ロジャーズ、A・マズロー、A・バンデュラ、A・エリス、A.・ベックなどの心理学者たちによって「精神分析」「劣等コンプレックス」「クライエント中心療法」「人間主義心理学」「認知行動療法」などが考案され、心理療法によるカウンセリングが行われているのです。
            さらに、精神医学においても心理的なこと以上に脳内(肉体)のホルモンバランスの異常が心の病の直接の原因として、投薬を中心とする治療が大半で、精神科医によるカウンセリングはあまり行われていません。
            幼児期の環境、生育史でのトラウマ(心的外傷)、気質、生活環境、人生における重大な出来事などが切っ掛けとなるのですが、そこで、環境の改善なども考慮すると、回復すると期待されているのです。
            しかし、1970年代より欧米では心理学的カウンセリングが良い結果を出しているということから、投薬一辺倒ではなく、カウンセリングを、特にイギリスでは国費でカウンセラーを養成し、心の病の治療を担っています。
            しかし、一般の心理学と聖書の教えとの違いは、人間を罪あるものとするか、自立的なものとして見るかどうかです。人間の根源についっては、あいまいなままで、現実社会の中での自己認識、価値を高めようとするカウンセリングです。「幼児期のトラウマを気にしないように」「人生におけるいきがいや、目標を持ち、達成するように」「人との比較に意味を持ちすぎないように」「否定的でなく肯定的に考えるように」「すべてをありのままに受け入れて、良いところを伸ばすように頑張ろう」等々…。無神論的進化論による人生観では、究極的な疑問には教えはなく、真の納得と平安を持つことは出来ません。フロイト、ニーチェはその晩年において友を失い、孤独な人生を終えたのです。

            2017年6月18日 週報

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              父なる神

              「…しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」(マタイ6:32)


              聖書の神は、万物の創造主なるお方であり、主権者なるお方でありますので、当然そのような偉大なお方を人の有限な理性で完全に理解することはできません。もし理解し、すべてを完全に説明できるなら人間の造り出した神にすぎないでしょう。
              「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。」(ヨブ38:4)
              全能者は人間が理解するように、人の言葉や社会生活にたとえて、ご自身を説明されたのです。その代表的なこととして「神の父性」が示されているのです。人は、両親から生まれ、育てられ、養われているので、「父」とはどのような意味であるかを誰もが知っているのです。もちろん、ある人にとっては、父との関係の中で良い思い出がない方、例外的体験をされている方もおられるでしょうが、「父」と言う言葉には、普遍的共通の認識があります。
              1.「父を知ることは自分を知ることです。」私は誰でしょうか?私はどうして外面、内面においてこのような姿、かたち、性質を持っているのでしょうか?父を知ることによってこのような問いの答えを見つけるでしょう。
              2.「父は子どもたちのことを心配しているのです。」父は子どもの必要を知り、その必要を備えてくださるのです。「あなた方の父なる神は、あなたがお願いする前に、あなた方の必要なものを知っておられるからです。」(マタイ6:8)
              神は父として、その子どもとの特別な関係をもって下さり、幼い子供が父にお願いするように、神に祈り願う特権を与えてくださっているのです。
              3.父がいつも子供と共にいて、子どもの安全を見守っているように、神は神の子たちと共におられ、神の子たちの安全を見守ろうとしているのです。ストレスが今日の多くの人々の病気の大きな原因と言われていますが、どんな時でも、どんなところにいても、父によって見守られている子供には安全安心があります。このように神を父とする人々は強いストレスから守られ、安全安心の中で日々の生活を過ごすことができるのです。人は自分の「本当の父」を知ることができ、知ることは何と大切なことでしょうか。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」 (ヨハネ14:6)

              2017年6月11日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                「梅雨シーズンに備えて」

                「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(汽灰螢鵐硲隠亜В隠魁


                6月に入り、各地で梅雨入りが発表されています。毎年6月〜7月にかけて、長雨が続き、ジメジメしたお天気、高温多湿となる時期です。
                多くの方々が不快を感じ、様々な要因(カビ、におい、食欲不振、運動不足、水分調整の難しさ、睡眠不足、食中毒、等々)で、体の調子が悪くなることがあります。
                ですから、普段以上に、部屋の温度調整や、換気、掃除に気を付けたり、体調管理に注意を払わなければならないでしょう。 「梅雨」とは「うめ」の雨と書きます。中国の長江流域で、この時期、梅が実を結んだので、その時の雨を梅雨と表記したようですが、もともとは「黴雨(ばいう)」と呼んでいましたが、語感が悪いので「梅雨(ばいう)」と呼ばれるようになりました。 確かに、長雨でジメジメしたこの時期は、不快を覚え、憂鬱になりやすいかもしれませんが、別の見方もあります。もし、この時期に十分な雨が降らなければ、夏には、水不足となり、生活に影響が出てきます。何よりも、日本では、秋に美味しいお米が収穫されるために、この時期に雨を必要とするのです。
                確かに私たちの気分、体調は環境によって大きく左右されるものですが、最終的に決定するのは個人個人の受け止め方によるところも少なくありません。おかれている状況をどのように考え、受け止めるかと言うことです。すべてを否定的に自分にとってマイナスと受け止めるなら、気分は大いに不快となり、行動も消極的となることでしょう。しかし、逆にプラス面を見つめ、より意識をプラスに傾けるなら、気分も楽しく明るくなるでしょう。
                梅雨シーズンへの対策としての思考の持ち方、つらい中で孤独にならないように(誰もが梅雨を経験する)。
                ガマンできないと考えないように。
                脱出の道、すべてが益になると希望を失わないように(梅雨には終わりがある)。
                そして、どんなときにも神に信頼して祈り続けましょう。

                2017年6月4日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  「しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。」(汽灰螢鵐硲隠押В横亜


                  教会はキリストの体であり、教会の成長が体の活動にたとえられて教えられています。人の体は約37兆個の細胞で造られており、数多くの器官に分かれ、それぞれが違った役割を果たし、体全体の健全な活動を維持して成長しているのです。 骨や関節、靭帯、筋肉などの運動器系、口、食堂、胃、腸、肝臓、膵臓などの消化器系、鼻、気管、肺などの呼吸器系、心臓、動脈、静脈、リンパ管などの循環器系、脳、脊髄、脳神経、脊髄神経などの神経器官系…。 正確に数えるのには難しい多くの多種多様な器官が体を構成し、互いにうまく助け合いながら働くことによって健康な体を保ち、元気な日々を過ごしているのです。
                  大切な点が二つあります。一つはそれぞれの役割が違うということです。二つ目は、それぞれが互いに助け合っているということです。違いによって、誇ったり、卑下していないことです。それぞれの器官が競い合って、自分が一番偉い、大切であると自慢しようとしているのではありません。それぞれの器官の働きの違いが必要であり、同じである必要はありません。違いを認め合い、尊重し合って互いに助け合わなければ健康な体として成長しないのです。
                  教会の成長は、救われる人々が増し加えられることであり、さらにその人々がキリストの体の一器官であるとの認識を持ち、それぞれが自分の役割を十分に果たし、その結果、助け合い、全体が成長するのです。
                  ですから、教会の中で、一致した、しかもそれぞれが機能的に奉仕を捧げていくことが大切であります。コリントの教会では、違いによって自慢したり、卑下したり、利己的な考えが強く、一致よりも争いがしばしばでした。私たちに与えられた様々な賜物は、神様からゆだねられているものなのです。それを正しく管理し、キリストの教会が大いに成長するために用いていただこうではありませんか。多くいる教会でも一致がなければ弱くなり、僅かであっても一致があれば強くなるのです。

                  2017年5月28日 週報

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」(創世記1:26)


                    心の元気を失っている時、大半の人々は、自分についての価値をも歪めてしまっているのです。それが不安や、自信喪失、望みのない状態となってしまうのです。場合によっては他者や自分に対して怒り、感情がとても不安な状態となります。人生において順風な日々を過ごしている時、ほとんどの人々は「自分の本当の価値は何だろう」と考え悩むことはありません。しかし、このことの正しい答えが分からないゆえに、問題になると、ひどく落ち込んだり、パニックになったり、うつ状態になるのです。自分の本当の価値、人生の意義が分かれば、眠れない日が続いたり、食欲が減退することがあっても、自分を見失うことはありません。薬の力によって、眠りを確保することや、一時的に脳を休ませる必要もあるでしょう。
                    しかし、根本的な自己に対する歪んだ認識は薬では治らないのです。10年、20年、あるいはそれ以上投薬を続けても、自分自身を正しく見つめなおすことはできないでしょう。人は、誰も、一度築き上げた自己認識、自己価値を変えたくありません。
                    一般的に、この自己価値は世間で自分がどのように評価されているか、自分の身に着けている外面的なこととのかかわりで築かれているのです。自分自身の内面では、かならずしも外面に反映された満足はありません。しばしば内面の不足を外面の華やかさで認めさせようとすることもあるでしょう。いわゆる「格好を付けようとする」生き方です。今日、日本だけでなく、世界中で進化論による人生観を持ち、生きているのが自然と言われるほど、一般化されていますが、この宗教は何を教えているのでしょうか。強い者のみが適者生存として生き残っていくのが自然であり、生存競争に勝ち残ることがつねに求められ、価値付けられるのです。弱い者、失敗したものが淘汰されるのは自然選択として正当化しようとする哲学、宗教なのです。しかも、その起源となれば偶然としか言いようがありません。
                    聖書は、明確に人間の尊さは、神のかたちをもって造られ、生かされているからであると教えているのです。賜物、役割の違いがあってもすべての人は尊い存在なのです。

                    2017年5月21日 週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11:4)


                      創造主なる神によって万物は造られました。その中でも、神は人をご自分の「かたちに似せて」造られた(バーラー)のです。
                      その時、人も自然界も非常に良かったのですが、人間の堕落によって人も世界も一変してしまいました。 その時以来、今日まで神(創造主)を除いて、人は自分たちの知恵と力によってユートピアを造ろうとしてきました。
                      ノアの大洪水で、神の大審判が下されたのですが、洪水後の世界は、しばらくすると不敬虔な人々が増し加わり、人の力、可能性を象徴するバベルの塔を築き、創造主を除いて、人間が自分の思うままのユートピアを築こうとしたのです。
                      神の御言葉の広がりによって、創造主に戻ろうとのリバイバルもしばしば起こりましたが、不信仰はやはり増大しています。敬虔な科学者たちもいますが、19Cに進化論や合理主義の台頭によって、神のことばではなく科学者の意見が正しいとする気運が広がり、力ある人々の意見が善悪を含め人々の生き方全体に大きく影響を与えているのです。
                      ロバート・オッペンハイマーは20世紀の天才科学者として賞賛されたのですが、原爆投下による悲惨を知って「科学者は罪を知った」「我は死神なり」と心の内の苦しみを告白しました。その後の水爆投下反対も受け入れられず、FBIの監視下に置かれ62歳の生涯を終えるのです。科学技術は本来、人類の平和、幸せのために役立てるべきですが、人間の罪、貪欲によって人々のいのちを奪い、町々を破壊するために使われることもしばしばです。
                      21Cの世界はますます、政治家、科学者、その他多くの人々を指導する人々が、神を恐れず、自分たちが神のようになることができると思うようになっていないでしょうか。
                      家庭、学校、社会における道徳が失われ、人々は自分の好むようにルールを作り、好きなように生きています。それでいて、人々はますます自分を見失い、心を病み、自他の命を軽んじて刹那的に生きているのではありませんか。「あなた方は今がどのような時か知っているのですから、…眠りから覚めるべき時刻がもう来ています。…」

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