2018年6月10日 週報

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    「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



    「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。…神のなさることは、すべて時にかなって美しい。…」 (伝道者の書3:1、11)


    先週より関西地方も梅雨入りが発表されました。この時期は高温多湿、ジメジメとしてカビが発生したり、誰もが不快を感じる時であります。「つゆ」と「ゆうつ」とは言葉のゴロも合い、この時期には多くの人々が「うつ気分」になることも少なくありません。
    確かに人は自分の周りの状況、環境にすぐに影響されてしまうものです。ですから、感情のアップダウンの激しい人は「お天気屋さん」と言われるのです。
    除湿器やエアコンを使って環境を変えることによって不快感をコントロールできますが、それだけでは気分をコントロール出来ないことも多くあります。
    私たちの人生、そして、この世界も全能の創造主によって造られ、支配されているというのが聖書の世界観であります。創造主をイエス・キリストに在って受け入れた人々は、聖書の世界観で、すべてのことを解釈して生きていかなければなりません。キリスト者としての成長は今までの人生観から、神を中心とした人生観で生きるという変化を求めて行くところに生まれるのです。
    「梅雨」と表記するのは中国において、この時期に梅の実が熟するので、「この時期の長雨を梅雨」と呼ばれるようになりました。熟した梅の実を漬け込むと来年のこの時期には食べごろの梅干しになるのです。梅のクエン酸は筋肉にたまった乳酸を中和し、疲労回復をもたらすとして、長く人々の生活の中で重宝されてきました。雨が十分に降り注ぐことによって稲が成長し、おいしいお米もとれるのです。
    すべてがジメジメし、不快感を多くの人々が覚える時期ですが、これも日本と言う国に住む者に与えられている恵みの雨として受け止めてはどうでしょうか。近年は毎年、大雨洪水、土砂崩れなどの災害が発生していますが、今年は災害のない梅雨として終われるように天の神に祈り求めましょう。
    エリヤは何とすごい祈りの人であったことでしょうか。
    「エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」(ヤコブ5:17−18)

    2018年6月3日 週報

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      「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



      「私たちは神の作品」

      「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」 (エペソ2:10)


      今年は明治維新(1868年)から150年と言う節目の年で、その時代に活躍した人々の話が話題となっており、その中での代表格として、西郷隆盛が取り上げられています。NHKの大河ドラマ“西郷どん”として、人気のドラマとなっています。
      やはり、明治期に活動しているキリスト者内村鑑三氏は彼のことを、明治維新をもたらした第一人者として挙げ、彼のような「克己無我」の人であり、さらに人情味に溢れる人と絶賛しています。隆盛の「南州翁遺訓(なんしゅうおういくん)」の中には「人は第一の実にして…」と、どのような制度、方法よりも「人」を重んじ、人が育てられなければよい社会、国は生まれないと教授しています。「教会(エクレーシィア)」は正に、建物や制度以上に「人々の集まり」であります。「教会の飛躍」とは信徒一人一人のキリスト者として、成長を意味しているといえましょう。
      教会は様々な背景を持ち、個性を持つ人々の集まりです。教会にはそれぞれの教えや特徴がありますが、いずれにしても、一人一人は神様の作品として救われ、作者である神の意志を豊かに反映して育まれる所に真の成長があるのです。
      沢山の人々がそれぞれの賜物を自分の好きなように、即ち、自分の作品を作り上げようとするなら、すばらしい教会として成長することはありません。
      神様は一人一人をご自分の作品として、一人一人に素晴らしい使命を託しておられるのです。我欲によって作る作品は素晴らしいものとはなりません。しかし、キリストが私たち一人一人の内にあって大きく成長するなら、それは素晴らしい神の作品となるのではないでしょうか。
      “西郷どん”が座右の銘としたことは「敬天愛人」は聖書の影響と近年では解説されています。
      明治6年2月24日、西郷隆盛が政府の実権を持っている時に、キリシタン禁教高札が撤廃されました。 

      2018年5月27日 週報

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        「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



        「おおいかぶされているもので、現わされないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。」 (ルカ12:2)


        この一年以上、連日のように、加計学園問題、森友問題がニュースとして報じられ、いまだに真実が明らかにならず疑惑が深まるばかりです。そのような中で、日大のアメリカンフットボール選手による反則プレーが話題となり、選手個人の責任か、監督コーチの責任かが報じられました。20歳の当事者である選手は、まず、公の記者会見を開き、自分の判断による責任と、コーチ、監督からの指示、プレッシャーがあったと告白したのです。 ところが、その後日、監督、コーチの会見は、選手の告白とは違い、それぞれの責任を認めつつも、「指示はしなかった。」と断言しているのです。どちらが真実を語っているのでしょうか?一方が真実を、他方が嘘を言っている…。それともどちらも真実なのでしょうか…。日本の文化の中で、恥を公にさらすよりも“腹を切れ”と言う生き方があり、そのDNAがここにも引き継がれているのかもしれませんが…。そのような中で、自分の弱さや責任を告白することが、とても難しく思う人々もいるでしょう。もちろん多くは、自分の立場、権力を失うことを恐れていると思われます。他の文化の中で、真実を告白するなら、罪は問われないという手法で真実を明らかにして再発を防ごうという考え方があります。 “赦しと回復”という文化が育まれていない社会では、正直に罪を告白し、真実が明らかになるというのはとても難しいのではないでしょうか。 聖書は神の愛(アガペー)が根本的理念として教えられ、その愛の現われは、キリストによる身代わりの犠牲と赦しであります。 誰でも、どのような罪深い者も、罪の告白と受け入れる信仰によって確かな赦しと回復が約束されているのです。又、すべての、隠され、おおわれている一切の罪はいつか明らかにされ、裁かれるのです。 ここに神の愛と正義が示されているといえましょう。真実はかならず神の御前において明らかにされることでしょう。

        2018年4月15日 週報

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          「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



          継続の才能

          「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」  (マタイ7:7)


          暗いニュースや偽り、不正が疑われるニュースの多い中、唯一明るいニュースは、大谷選手のMBLでの活躍ではないでしょうか。「二刀流」と言う日本人らしい言葉も関心を引き立てているのではないでしょうか。MBLでの大活躍は、大谷選手以上に、イチロー選手についてはよく知られているところです。年間の最多安打(メジャー通算3000本安打)の大記録や、40歳を過ぎても現役の選手として活躍されています。
          彼はMBLでの成功について次のように語られたことがありました。
          「僕は野球の才能はありません。でも続けることが出来ることを才能と呼ぶなら僕にはその才能があります。」イチロー選手は「継続すること」を「才能」と考えておられるところに印象付けられます。つまり特別な才能を生まれ持っていなくても、一つのことを継続するなら、良い結果を生み出す能力となるのではないでしょうか。さらに、イチロー選手は単に努力するだけでなく、「目標」「結果」をしっかりと見つめながら、毎日素振りや走り込みを継続され、単なる努力ではなく、意味のある努力をされていたのではないでしょうか。
          イエス様は「求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。」と神の子たちに祈ることを命じられていますが、それぞれの言葉はギリシャ語、現在時制でありますので、継続が強調されているのです。「求め続けなさい。捜し続けなさい。たたき続けなさい。」となります。「救い」は信仰によって与えられる恵みでありますが、信仰によって永遠のいのちが与えられることとも関連しますが、常に、現在時制で語られています。
          「信じ続ける者」とヨハネ3:16の「信じる者」を理解するのです。聖書は常に信者たちに目標を達成するまであきらめずに続けるようにと励ましていることに気づかれることでしょう。パウロは「絶えず祈りなさい。」(汽謄汽蹈縫1:17)と命じていますが、「祈りをやめないで」と言う意味であります。正しい目標に向かって歩んでいるなら、止めないで続けているなら、必ずゴールに到着することが出来るのです。その時、神の栄光は輝き、人々は祝福で歓喜するでありましょう。

          2018年4月8日 週報

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            「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



            「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。」  (ハガイ1:8)


            今年度より先年度との関連から、さらに“新会堂の実現”に焦点を絞ってのテーマを掲げることといたしました。選ばれた聖句は預言者ハガイに記されたメッセージの一節であります。
            ペルシャの王クロスによってバビロンは倒され、ユダヤ人たちは祖国パレスチナに帰ることが許され、第一陣として4万2千人が戻り、廃墟となった神殿再建に着手致しました。イスラエル(ユダヤ人)は神の民として選ばれ、神の栄光を現す使命を託されていたのです。そのシンボルが神殿であり、そこで神を礼拝し、神と出会っていたのです。彼らが神を信頼し、神を第一として礼拝しているなら、神は常に彼らを守り、祝福してくださるのです。70年間のバビロン捕囚の苦しみは彼らの不信仰、不従順への懲らしめであったのです。
            生かされ、故国への帰還が許された人々は、この神様の主権者としての偉大さと恵み深さを忘れることなく、これからの歴史を築き上げていかねばなりませんでした。帰還をリードしたゼルバベルとヨシュアのもとで、ソロモン神殿の再建に励んでいったのですが、パレスチナに住んでいたサマリヤ人や残留していたユダヤ人の反対によって、止む無く工事は中断してしまい、時間の経過と共に人々の神殿再建の情熱も弱くなり、人々はもっぱら自分たちの日々の生活の安定を重視するようになってしまったのです。そのような時、神は預言者ハガイを遣わされ、イスラエルの民を叱咤激励して、工事再建へと向かわせたのでした。
            新会堂が必要であるというのはすでに教会員全員の一致した願いであります。同時に私たちが願うところは決して容易な目標ではありません。200坪~500坪の土地を教会の周辺で見いだすことは難しくありませんが、いずれも大きな資金を必要としているのです。神の民が、いずれの所においても働きを前進させようとする時、常に内外の問題に出会い、心を弱くすることもしばしばです。働き人達の成長と継承の実現もスタートいたしました。
            いよいよ、新会堂の実現を目指して一致した祈り、教勢の拡大、教会員の良き交流と奉仕を一層充実させて大きく飛躍する年度としたしましょう。

            2018年3月25日 週報

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。」(詩篇62:6)


              今日の聖日は2017年度の最後の聖日です。来る2018年度は“教会の継承と飛躍”の頂点を迎えようとしていると言えましょう。それは、さらなる発展への大きな変化の時であります。
              “変化”には混乱と不安があります。今日の世界が正にそのような時です。アメリカに代わり、中国が世界をリードしようと台頭してきましたし、ロシアが昔の大国を取り戻そうと大統領の強権を確立しようとしております。すでに中国も、主席の任期を無制限としました。さらに、インド、ブラジル、トルコ、イランなど、日本も含め大国となるために再び中央集権的な国家形成へと進もうとしていることは周知の事実であります。
              そのような中で、どの社会においても権力者(ある特定の思想集団)の思いを道徳とした教育(思想教育)のリバイバル運動が起ころうとしていますが、その背景には、行き過ぎた自由主義(秩序のない自己中心的主張)への反動があります。 同性婚の自由、フリーセックス、家庭内暴力と殺人(他殺、自死)、民族間の差別と争い、昨年から隣国ではミサイルの試射が繰り返され、今日にも、戦争かと思われることが続いていましたが、オリンピックを境にして事態が急変しており、何が本当の狙いなのでしょう。不安が広がるばかりではないでしょうか。
              聖書には、末の世において、このような混乱と不安なことが起こると預言されていますが、そのことに驚き惑わされてはならないとも教えられているのです。
              その根拠は何ですか。それは、この世界は決して人間の意志のままに変化し、進むのではなく、万物の創造主の主権によって治められ、進められるからで、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは過ぎ去りません。」とありますように神を信じ、その約束を信頼するなら明日への希望を確信し、安心でき、これに従う者は惑わされることがありません。
              私たちは2018年度を大きく飛躍する年として、主に期待し、不安、恐れではなく、希望と勇気をもって前進しようではありませんか。

              2018年3月18日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                しっかりとした土台の上に立ったキリストにある成人

                「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」   (コロサイ1:28)


                 栗原姉、小見山姉が神学校を卒業、修了され、他にも何人かの兄姉がそれぞれの学びを卒業され、卒業しようとされています。卒業、修了することは一つの学び、訓練の過程を終えること、完成することであります。
                 聖書の中でしばしば「成人」「おとな」「完全な人」と言う表現が使われていますが、いずれもギリシャ語の「テレイオス」と言う言葉が使われています。
                 この言葉の意味は「その終わり、ゴールに達していること、十分成長しきった、成人した」と言うことです。
                 パウロはコロサイ書においてコロサイのキリスト者が「キリストにある成人」となることを願い、奮闘していると語り、その他の多くの書簡でも、神の子とされた人々が成長し、成人となるように勧めています。誰でも、信仰を告白した瞬間に救われ、キリスト者となり、その救いは永遠に保証されています。しかし、十分に成長しなければ地上において生かされている目的である、神の栄光を現すことが出来ません。又、キリスト者本人が神からの祝福である真の自由を手にする者とはならず、以前とその生活には変化がないままです。つまり、相変わらず様々な罪の束縛の中に生きなければなりません。
                 神様のみこころは、始めた働きを完成させることであります。卒業、修了は一つの目標の完成、達成であり、成人した者のしるしと言えましょう。もちろん、ほとんどのキリスト者は3年程で人生を終えるのではなく、卒業、修了した事柄を活用し、主のために教会と人々のために仕える働きにおいて、さらに神から示された御心を完成させていかなければなりません。
                 多くの人々は事を始めますが中途半端で止めてしまう方々が少なくありません。成功するか失敗するかは止めずに最後までやり遂げるか否かで分けられると言われています。人の力には限界があります。しかし、キリスト者には全能の神(エルシャダイ)が共におられ、神ご自身の目的を実現するために私たちに力をお与え下さり、事を成し遂げてくださるのです(ピリピ1:6)。

                2018年3月11日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  世界宣教における日本

                  「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ55:6)


                  7年前の3月11日、東日本大震災が起こり18,000人以上の死者、行方不明40万以上の方々が被災されるという戦後最大の自然災害が発生しました。さらに今回の地震では初めて原子力発電所が被災するという、今までにない問題が生じたのです。その時から、様々な自然災害が発生すると「想定外」と言う説明が語られるようになりました。
                  神戸、明石、淡路、そして阪神間に住んでいる人々は、23年前の大地震で被災体験があり、東日本大震災で被災された方の苦しみの一端をわかる方々もおられますが、大きな災害の経験のない方々には、その大変さ、苦しみ、恐ろしさが理解できませんし、記憶に残ることも少ないことでしょう。
                  全ての災害を常に神からの特別なメッセージとすることには常に注意深くあらねばなりせんが、人は常に神と共に歩んでいるか、神のみ声に注視しているかを内省しながら生きなければなりません。
                  聖書から教えられていることは、人が神の存在や意志を無視したり、軽んじる時、ますます貪欲となり、家庭や社会の中に混乱が起こり、人々の生活は幸いから遠ざかると言うことです。
                  神の民として選ばれたイスラエル民族に神はしばしば様々な苦しみを許されて、彼らに神に立ち返る機会、神を求める時とされたのです。
                  21Cを迎え、世界やそして日本社会はどのようになっているのでしょうか1948年5月にイスラエル共和国が誕生し、イスラエル民族の国家がパアレスチナ再建されました。その時以来、今日まで中東は世界の火薬庫と言われるようになり、さらに各地域で民族対立紛争が続いています。異常気象や大きな地震やさらに火山の噴火が起こっています。
                  これらの自然災害によって一瞬にして多くの人々のいのちと財産が奪われてしまうのです。19Cの中頃から聖書の創造主を否定する進化論思想が受け入れられたのですが、そのような哲学は、人間を真に自立させたのでしょうか。益々、弱肉強食の社会を生み出し、争いや不正が広がっているのではないでしょうか。政府と一部の官僚の不正疑惑…。そのような政府が学校教育の中で「道徳教育」を強化しようとしています…。これらのしるしは人々に神に会う備えとして示されているのではないでしょうか。

                  2018年3月4日 週報

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    福音の望みにしっかりと立って

                    「ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。…」 (コロサイ1:23)


                    オリンピックで活躍した選手たちが戻って来られ、日本中でメダリストと共に感動と喜びの実を改めて実感したのではないでしょうか。女子スピードスケートの選手が多くのメダルを獲得され、注目されています。
                    すでに皆様は以前からオリンピック選手として活躍されていたのですが、今回は期待以上の結果を出され、本人も周囲の人々も喜んでおられます。何か今までとは違ったことがあったのでしょうか。
                    500mの競技で金メダルを手にされた小平選手は、スケートの本場と言われているオランダに留学し、又、チームジャパンとして合宿練習に励み、オランダ人のコーチのもとで、効果的な訓練によって、世界に通用する選手として、一層の成長を実現することで結果を出されたとのことでした。
                    私たちの信仰生活においても同様のことが言えるのではないでしょうか。確かに救いは一方的な恵みによって与えられ、救いは保証されていて失うことはありません。しかし、信仰者としての福音が約束している多くの実を結ぶことが出来るのですが、十分に実を結んでいないこともあります。コロサイ書1章においてパウロは次のような表現を繰り返して語っていることに注目下さい。 「しっかりとした土台の上に堅く立って…信仰に踏みとどまらなければなりません。」「神を知る知識を増し加えられますように。」(1:10)「すべての人をキリストにある成人として立たせるためです。」(1:26)パウロは次のようにも語っています。「この福音は、あなたが神の恵みを聞き、それを本当に理解したとき以来…。」(1:6)
                    福音は信じる者に救いを得させる神の力であり、どのような状況にある人々にも希望を与え、喜びを与えるものなのです。キリスト者の力は、この福音の本質から生じる喜びであり、それによって自分と他者を幸福にするのです。もし私たちが十分な理解でないままに過ごしているなら、福音のもたらす素晴らしい希望を知らないままになるのです。2018年度は一人一人の会員が福音の希望を十分に輝かせ、多くの人々に本当の希望を伝える年度といたしましょう。

                    2018年2月25日 週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      メダルと人の価値

                      「…しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、体をこのように調和させてくださったのです。」  (汽灰螢鵐硲隠粥В横)


                      平昌冬季五輪で日本は11個のメダルを獲得し、今までの記録を更新いたしました。
                      オリンピックを目指す人々にとって、メダルを手にすることは、夢の実現であり、大きな感動と喜びの瞬間でありましょう。選手を応援してきた人々にとっても、メダリストと同じようなしあわせを味わう時であります。
                      自己実現による満足、多くの苦しみ、悲しみ、犠牲が報われるということは、その人の人生にとって、とても大切な経験であります。金メダリストには500万円の報奨金があり、社会的に優遇される人生となることでしょう。
                      このことは、人生のしあわせとは何によって決定するのかについて大切なことを教えていると思われます。
                      メダリストは多大な賞賛を受けるに相応しい人々です。多くの物質的恩恵にも与れるでしょう。しかしながら、そのことによって人間としての決定的価値が決まるのではありません。競技を目指す一部のトップの人々からオリンピック選手として選ばれ、その中でもトップの3人がメダリストとなるのです。その技量は素晴らしく努力も多大な苦労があったことでしょう。しかし、メダリストだけが人間として価値があり、人間として評価されているのではありません。しばしば耳にすることですが、メダルを手にしながらも金でなかったために、不幸な気持ちになったり、最悪なことはメダルのプレッシャーで人生を狂わせた人々も少なくありません。今回、ロシアはドーピング問題で、国として参加できませんでした。このようなルール違反もメダルのみに決定的な価値を置こうとするからではないでしょうか。
                      メダルを手にできず、悔しい涙を流す人もいるかもしれません。しかし、人間の価値、評価はそのようなことで決定づけられるものではありません。人は高慢と劣等感の二つの思考から自由にされなければなりません。人から賞賛されても、そうでなくても人は自分の人生を大切に生きる価値を持っているのであり、そのことに気づかなければなりません。

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