2019年12月8日 週報

0
    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「神、その道は完全。…。」(競汽爛┘襭横押В械院

    冨岡昌先生夫妻がバングラディシュ医療宣教を始められてから28年、今、その働きは豊かな実を結んでおられます。教会には200人以上の人々が集まり、スタッフも20人以上の人々が奉仕され、クリスチャンスクール、バイブルスクール、村での伝道が50〜60カ所へと広がりを見せています。イスラム(ムスラム)教徒が90%という国で、この素晴らしい祝福はどのようにして実現できたのでしょうか。先生が証しされているように、これは主のご計画であり、主の御業であります。主の御言葉の通り、主はご自身を信頼し、従うものを必ず豊かに祝福してくださるのです。
    教会成長の原則は明らかであり、どの時代、どのような環境におかれていても、いかにしてキリストの弟子として主に仕える者が生み出されるかであります。中国においてはさらに宣教は困難であります。政府は教会を積極的に弾圧しようとしているからです。そのような中でどのようにして教会は宣教を拡大しているのでしょうか。それは“キリストの弟子”が数多く生まれるからです。キリストの弟子とは伝道者、宣教師になるということではなく、どのような生活スタイルであっても、キリストを第一として生きようとする人々のことです。バングラディシュの環境で医療や教育は大きな必要があると思われました。先生は、医療で働く人々をすべてキリスト者であり、教会の奉仕者となるべく、即ち、キリストの弟子となるように訓練されました。又、それと並行して医療で働く家庭の子供たちを教育するために、クリスチャンスクール、その後のバイブルスクールを進行させ、弟子作りをされてこられました。そこではクリスチャンホームの建設強化も行われているのです。今ではクリスチャンスクールを卒業した人々の中から教師も誕生しています。勿論、このことを実現させるのには米国のバプテスト・ミド・ミッションの諸教会によるサポートが与えられていることも重要でしょう。これからも、これらの支援は重要な鍵です。私たちの教会においても、そして日本の宣教においても大切な点は、いかにしてキリストの弟子を多く生み出せるかです。個人の信仰に期待するだけでなく、キリストの弟子を生み出せるような環境作りをしていく必要があるのではないでしょうか。教会主催でクリスチャンが働ける場を生み出していく。幼児教育(教会の強さは宣教師との関連で語学、英語、中国語等々にあります。)、学習塾、看護や高齢者福祉のサポート等々。すでにこれらは行われてきましたが、やはり働く人々への弟子訓練が十分ではなかったこと、そして日本の歴史的弱点はキリスト教が家庭に浸透しなかったことにあります。

    2019年12月1日 週報

    0
      「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



      「バングラディシュにおける宣教の祝福(2)」

      「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」    (詩篇23:5)

      宣教師の働きを目の当たりにする時、困難と大きな犠牲を覚えるのです。それは、福音が十分に伝えられていないところに多くの働きがあるからです。
      バングラディシュは、90%がイスラム教徒で、残りの10%はヒンズー教徒です。しかも、生活環境は日本とは大きな違いがあり、日本での普通の生活は、バングラディシュではできません。一年中暑い気候、水道の水の衛生、治安、特に私が一番驚き、強いストレスを覚えたのは交通事情です。狭い道路をあらゆる車(バス、トラック、3輪バイク、自転車、牛車、etc.)と、人とが溢れており、それぞれが自己責任で車を走らせ道路を歩き、渡っているのです。それは、私にとって初めての体験であり、いつ事故が起こってもおかしくない状況ですが、人々はそれが日常生活として営んでいます。
      宣教師の方々にお伺いすると、やはり、ご自分では運転をされないとのことです…。家族がそのような環境にどのように適応できるのか?何よりもイスラム教国では宣教師ビザでは入国できず、イスラエル教徒に直接話しかけ伝道することは違法とされています。なぜこのような国々に宣教師たちは出ていく必要があるのでしょうか。人々に歓迎されないところになぜ主は遣わされ、教会はそのような宣教師を派遣するべきなのでしょう。それは、主の大命令だからです「全世界に出て行ってすべての造られしものに福音を宣べ伝えなさい。」と言われたのです。福音が全世界の人々に必要なのです。福音がユダヤ人を初めすべての人々を救い、神の前に義とする唯一の真理だからです。キリストの十字架と復活のみが、すべての人々に永遠の確かな希望を約束するのです。命令は、その命令に従う人々によって、実現すると言えましょう。冨岡先生は救いのすばらしさを体験され、間もなくご自分の生涯を神様に献げる決心をされ、医療技術の賜物も主に委ねられました。バングラディシュは、キリスト教の宣教師を求めてはいませんが、医師を求めていることを知り、医療を用いながらキリストの福音を伝えるべく決心をされました。毎日450人の患者が全国から診療のために来られるのですが、その人々に治療と共にイエスを伝えようと励んでこられました。カンファレンスの集会では500人から600人の人々が集会に参加、主を誉め称えたのです。

      2019年11月10日 週報

      0
        「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



        「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6)

        1979年11月、単立バプテスト荒川沖教会は佐藤正春先生ご家族を台湾に派遣し、中国宣教がスタートいたしました。最初の4年間は語学を習得する目的が第一でしたが、4年間の滞在の中で、中山浸礼教会を開拓し、宣教の働きにも携われました。台湾での働きにおいて、バプテスト国際宣教団の先生方や、聖書バプテストの先生方との交わりが強くなり、先生は、バプテスト教会のカンバンを掲げることで宣教を進めていくように導かれたと伺っています。
        帰国後、本格的な中国大陸宣教を具体的に進めて行くために祈り求め導かれたのが、神学校時代から親交を深めていた関西の単立バプテスト諸教会であり、西舞子バプテスト教会に所属し日本単立バプテスト宣教協会の推薦を受け、1993年4月に下の3人の子供たちを連れて香港へと出発され本格的中国宣教が開始されました。
        香港では、ライトハウス聖書バプテスト教会が先生方家族を受け入れて下さり、家族を安全な香港に残し、先生と当時ライトハウスBBCの伝道者であったパン師と大陸の家の教会へ聖書やキリスト教出版物を搬入するという働き、さらに現地の伝道者、信徒たちを教えるという働きから始まりました。
        当時の中国は、海外からの入国は、今以上に厳しく、国内での移動は不便で10年間ほどの働きは、とても緊張を要し、危険が常に伴う宣教でした。特に先生たちの働きは、大都市から一日以上バスで時間を要する内陸に行かれるのが中心でしたので特別な召命観がなければ行くことは出来ませんでした。その間に何度も公安に拘束される危険を体験されてきましたが、先生は一度も拘束されることなく、大陸での20年間を全うされたのです。今、この20数年間を振り返る時、神様は一つ一つの働きを備えて下さっていました。しかし、その時は、備えを十分に知ることも出来ず、正に「目に見えないことを確信する」信仰による働きであったということであります」(続く)

        2019年11月3日 週報

        0
          「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



          「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」  (イザヤ54:2)

          バプテスト国際宣教団の宣教師ホワイト先生ご夫妻が西舞子団地で開拓を始められたのが1966年11月で、今年で53周年となります。
          半世紀以上が経過し、当時、20代30代であった方々も70歳以上となられています。その当時、中核となって教会を支えて下さった方々が、今も健全で支えて下さっていることは素晴らしい主の恵みとして感謝するほかありません。教会は、主の再臨によって携挙されるまで、この地上で福音宣教の働きを続けていくという使命を託されていますので、その働きのために力を持つ教会として成長していかなければなりません。50周年感謝記念会で誓約の祈りを宣言したように、ファンダメンタルバプテストの信仰を堅持して、日本のクリスチャン人口1%の壁を突破するために、500人教会を目指して前進していこうではありませんか。
          そのための三本柱は
          )匯奸∧造咾砲垢戮討諒仕における継承の実現であり、
          ■隠娃位廠莢餔を実現させ、新会堂建設であります。
          9睥陲侶算个鬚世話できる施設や幼小の子供たちをクリスチャン教育で訓練できる機関や施設造りもビジョンとして、充実させたいものです。
          この70年間、日本人の多くの方々は物質的富を神々として信頼してきたのですが、富はつねに流動的で不安定、不安が広がっています。イスラエルの動向、自国の利益を優先しようとするナショナリズムの台頭、地球環境の悪化による自然災害の増大等々…。
          キリスト者にとって、時のしるしに目覚め、いよいよ熱心に宣教していかなければならない時代となっていると思われます。混沌としている社会に振り回されるのではなく、変わることのない永遠の愛で愛して下さる、キリストの恵みによる救いを確信して、平安、喜び、感謝溢れる日々を生きるように、これからも互いに励まし合って、教会の飛躍と新会堂の実現を目指して歩みましょう。1792年5月30日、ウイリアム・ケアリーは上記の聖句に励まされ、神に大いなる期待を求めました。それはインド宣教でした。彼は今日、世界宣教の父と称されています。

          2019年10月27日 週報

          0
            「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



            幸いな人(13)―二つの願いー

            「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。」(箴言30:7−8)

            「健康に良い!」と聞くと、多くの人々が関心を持つと言われています。食べ物、運動、サプリメント、様々な治療、環境等々。 アメリカで肥満にならないようにと脂肪分を少なくした食べ物が売り出され、とても人気となったのです。いわゆるダイエット用の食べ物、飲み物、“fat-free”に安心して大食いして太ってしまったという笑い話があります。
            何事でも偏ると良い結果は得られません。安全や健康にはバランスが大切ではないでしょうか。考え方や生き方、信仰生活の在り方にも偏りは常に危険です。もちろん“熱くもなく冷たくもない”という生ぬるさを教え、勧めることではありません。熱心になり過ぎないで、ほどほどにと言うことでもありません。真理に対して、情熱をもって生きることはとても大切なことで、良い実を結ぶために、忍耐して歩み続け、走り続けることも大切であります。
            箴言にはとても実際的な知恵が教えられています。その中で“二つの願い”という話があります。それは「不真実と偽りから遠ざかることと、貧しさも富を与えないように」という願いです。“偽りは”いつまでたっても人を正しい所には導いてはくれませんし、ついに禍の真ん中に至ることとなるでしょう。神は真理であられるので、不真実や偽りは人を真の神から遠ざけることとなります。
            又、貧しさも富も人を神から遠ざけ、神への感謝が出来なくなるのです。多くの犯罪が貧しさの中で行われ、人を益々貧しくするでしょう。貧しさの中から頑張って栄光を現わされる人もおられますが、わずかです。富は大きな力を持っており、人は富める者となると神を忘れてしまうのが、人間の弱さであります。
            バランスのある生き方は健全な信仰生活にとって必要であります。

            2019年10月20日 週報

            0
              「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



              「主イエスを信ぜよ。然らば汝も汝の家族も救われん。」(文語訳聖書:使徒16:31)

              故黒田志津子姉は91歳の地上の生涯を全うして、10月7日午前4時10分に天国に凱旋していかれました。姉妹は単立バプテスト荒川沖教会の会員として58年間主に仕えて来られ、佐藤正春先生家族の信仰の母として、現在の鈴木牧師夫人、黒田良朗執事の母としてそれぞれの信仰の強力な支えとして励んでこられ,最期まで主を礼拝することに喜びを覚えられてきました。
              高等女学校時代は太平洋戦争が激しくなり、東京大空襲の火の海の中をくぐり抜ける経験もされ、昭和五25年10月に黒田千四二さんと結婚されました。ご主人もシベリアで三年間抑留生活をされ、多大なご苦労の中で四人の子供さんを育てて来られました。ご主人が工場経営を始められると、姉妹も一緒になって油まみれになって仕事をされ、家計だけでなく、会社の経営などでも大変なご苦労がありました。そのような時、次男の方が近くの教会学校に行かれていて、教会の近くでボール遊びをしていた時、誤ってボールが教会の窓ガラスを壊すこととなりました。その次男のことで教会にお詫びに行かれたのが教会と接点を持つきっかけとなり、聖書に出会われることになりました。ご主人の友人から熱心な創価学会への勧誘も同時にあったので、一層、どちらを信ずべきか、はっきりと決断するように導かれたと証しされています。姉妹は教会の若い伝道師から聖書の証しを聞きながら「世界に沢山の神々がいるよりも、唯一の神がおられる」との教えに強く納得し、又、その伝道師の真摯な生き方とも合わせて、キリストを救い主として告白し、バプテスマを受ける決心をされました。信じてから四つの確信が与えられ、人生が大きく変わったと証しされています。
              神様に従うことがいちばんの喜び。永遠のいのちが与えられたので、死の恐れがなくなった。示された一つ一つの罪を悔い改め赦されることの平安、姑に対しての愛の足りなさ等々。ざ遇は同じでもすべてが感謝に変わった。そして、まず礼拝を守れるように、子ども、兄弟家族が救われるように祈ることを最期まで祈り続けて来られたのです。
              葬儀には四人の子供さんたちとその子供(孫)、ひ孫が合わせて27人が集まり、姉妹に感謝されていました。皆様教会生活をされていることでした。ハレールヤ!

              2019年9月29日 週報

              0
                「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



                幸いな人(11)―実を結ぶ人々

                「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」 (詩篇1:3)

                6月の梅雨前に駐車場の草を刈りました。そして、2週間前にも草刈りを行いました。わずかな時間で雑草が伸びてしまうのです。
                どうしてこんなにも早く成長するのでしょう。
                主な2つの理由が考えられます。第一は、その雑草にはいのちがあるからです。造花の草花であれば、しばらくの期間完成されている状態を保つでしょうが、大きくなったり、繁殖して増えひろがることはありません。いのちあるものは、本来、日に日に大きく成長するのです。いのちがなければ成長することはありません。もう一つの理由は、いのちを成長させる、命の最も大切な要素である水が十分にあって供給されるからです。雨が降らず大地が乾燥すると、雑草は大きくならず、多くは枯れてしまうのです。 詩篇第一篇では詩篇全体のテーマが謳われていると考えてよいでしょう。それは、「幸いな人(アシュレー ハ イーシュ)」であります。幸いな人(その人)は「時が来ると実がなり、枯れず、栄える。」と約束されているのです。
                その人が、「水路のそばに植わった木」にたとえられていることが分かります。
                「いのちがある」というのは体のいのちのことでしょうか?いいえ、まことのいのち、霊的ないのちのことです。人は、肉体の誕生のままでは霊的には死んでいるのです。(エペソ2:1)。パリサイ派の教師であるニコデモにイエスは「新しく生まれ変わる」必要を説かれました。神の子として生まれている者は必ず成長するのです。神様からの多くの祝福としての実を結ぶのです。しかし、いのちがあってもいのちの源である水路のそばに植わっていなければならないように、神様から離れていては実を豊かに結ぶことはないのです。
                あなたの結ぶ多くの実はあなた自身の喜び以上に人々の喜びとして用いていただきましょう。

                2019年9月22日 週報

                0
                  「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6





                  「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)

                  台風15号によって千葉県の南部では大きな被災が発生し、今日も停電が続いており、様々な問題が発生しています。人は暗闇の中で安心して生活することはできません。
                  2020年のオリンピックイヤーを目の前にしながらも、社会は猛スピードで混迷へと向かっているのではないでしょうか。福島の原発事故による汚染水の処理、毎年のように起こっている異常気象による災害、10月には消費税問題と天皇の即位、日韓関係の悪化、アメリカと中国の貿易戦争、サウジアラビアの油田攻撃とイランと米国との戦争の危機、イギリスとヨーロッパとの関係、ドイツ経済の混乱、父親が子供を殺すという最悪の家庭状況…。現実が分かれば分かるほど、明暗の混在のすさましさに圧倒されるばかりではありませんか。
                  20Cには大きな世界大戦が二度も起こり、沢山の犠牲者が出ました。人々は、二度と戦争はしないと誓いましたが再び、各地域での、主に経済摩擦が切っ掛けでしょうか、軍備を強化し、自国の民族を守るとの口実で戦争を正当化しようとしています。日本も政府は声を大きくして“憲法改正”をスローガンとしています。そこには中国、朝鮮、ロシアの隣国との関係悪化も背景となっているでしょう。
                  キリスト者は、このような社会、世界情勢を知って、どのように考え生きるべきなのでしょうか。私たちの使命は「世界の光」(マタイ5:14)として輝くべきなのです。どんなに小さくても、真っ暗闇の中では、貴重なあかりとなるのです。光が輝きを失ったり、机の下に隠れたりしては、役割を果たすことはできません。今日の社会、世界の到来は、バイブルを知っている者にとって、想定外ではありません。イエスと使徒たちはやがてそのような社会、世界がやってくると預言したのではありませんか。まことの光である神の言葉を信じる人々は幸いであり、自分の為だけでなく、周りの人々にも、正しい安全な道を知っていただくために、御言葉の光を輝かせて行きましょう。

                  2019年9月15日 週報

                  0
                    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



                    「幸いな人(9)−感謝と賛美と喜び−」

                    「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩篇92:14)

                    日本人の平均寿命は世界一で、平均健康寿命もシンガポールに次いで第二位です
                    。 この傾向はさらに進み、人生100歳時代が来るとも言われています。「アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。」(創世記25:8)とあるように、長寿は神の祝福であるとの教えがございます。長寿を全うしたアブラハム、ヤコブ、そしてモーセも召される瞬間まで神のしもべとして現役で仕えていたと聖書は語っています。
                    私たちの教会には80歳以上の会員の方々が16名も属しておられ、その多くの方々が、礼拝者として、毎日曜日に集っていただいていますことは、なんと素晴らしい祝福でありましょうか。教会も開拓よりすでに半世紀以上過ぎ、世代交代を実現させ、さらなる発展を願っていますが、これらの祝福は、長年、教会の中核的役割を果たしてくださった兄姉の皆様の犠牲的、献身的祈りと奉仕があったことの故であることを忘れてはなりません。
                    しかしながら、信仰者生活は、生涯現役であります。奉仕の役割は常に変化し、移り変わるのでありましょうが、神は一人一人に生きる目的、使命を与えて下さっていますので、どのような長寿となっても、主に在って生きがいを持ち、長寿を全うしていきたいものです。
                    人にとって間違いないことは、いずれ、この地上のいのちには終わりが来ることです。「武士道とは、死ぬ覚悟を見つけたり。」との言葉が日本では語り伝えられてきましたが、キリスト者の覚悟とは、いのちをあきらめる覚悟ではありません。救い主キリストの復活という歴史的事実を確かな拠り所とする、死ぬ覚悟、永遠のいのちへの確かな希望によって死に対峙する覚悟であります。
                    詩篇の記者は真の神を知る人々は、あらゆる場合にも感謝する心を持ち、その感謝は神への賛美となり、心は喜びであふれると詩い、そのような人々は年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしいと神を信頼する長寿者の生き様を描写いたしました。 心より敬老をお喜び申し上げます。

                    2019年9月8日 週報

                    0
                      「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



                      「幸いな人(8)−心の貧しい人−」

                      「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)

                      聖書には480回以上「幸い(アシュレー)、祝福する(バーラク)」という表現が使われており、幸いな人生のためのガイドブックと言ってよいでしょう。
                      神は、人をご自身のかたちに似せて、人々を祝福し、神の栄光を現わそうとされました。しかし、人は、神から離れ、自己の知恵と力によって、自分たちの欲することの中に幸いを見つけようとしていますが、羊飼いから迷い出た羊のように、自分たちの欲する道を歩みつつも、そこには常に危険があり、真の安心と満たしはありません。21Cの世界の混迷は、ちょうど羊飼いから迷い出ている羊のようではないでしょうか。
                      イエス様は、ご自身の代表的説教(山上の説教)の中で「心の貧しい者は幸いです。」と語られました。「貧しさは」人の常識からすれば、不幸の条件の一つです。このような言い回しをされた一つの目的は、イエスの教えは、人々の考える価値観とは、別の真の価値観で教えようとされていることを示しています。単なる貧しさがすべて幸いというのではありません。「心の貧しい者」と言われました。原文を直訳しますと「霊において、in Spirit」となります。それは、人の肉体のいのちよりも高次のいのち、内面のいのち、その人の本質にかかわるいのちのことです。イエスは「宝のある所に心もある。」と言われたように、こころはその人の人格の座であり、心が何を求めているかがその人が真に求めていることと言えましょう。
                      人の自己認識で、自分の本質において、「弱さがある、足りなさがある、満たされていない、本当の拠り所を必要とする」と、へりくだった心であるかどうかということです。人は、自分を神になろうとして堕落しました。人は自分の弱さ、足りなさ、汚れを気づかずして、真に神を求めようとはいたしません。
                      放蕩息子は、父を認めず、必要とはしないと慢心して、自分の好きなように生きていました。しかし、自分の貧しさを真に自覚しへりくだることによって、父の家に帰り、再び子供として扱われる幸いに戻ることが出来ました。心の貧しさへの気づきは、神を受け入れる人生をスタートさせる第一歩です。

                      | 1/31PAGES | >>

                      calendar

                      S M T W T F S
                      1234567
                      891011121314
                      15161718192021
                      22232425262728
                      293031    
                      << December 2019 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      links

                      profile

                      search this site.

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM