2019年 2月3日 週報

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    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「神様の祝福の原理(8)」―主に信頼する者―

    「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)

    日本では養子縁組が少なく、沢山の身寄りのない子供たちが施設で暮らしていると言われています。生んだ親に養育してもらえない…。虐待されて傷つけられたり、いのちを奪われるという悲劇が起こっており、このような出来事を見聞きすることは本当に悲しいことです。
    日本人は血縁を重んじるので、なかなか養子を迎える人が少ないと言われていますが、それだけではなく、法の壁もあり、特別養子縁組は6歳未満に決めなければならないという高い壁もあるようです。
    新しい年を迎えて、自然環境、社会環境は益々厳しくなり、心の不安、生活に不安を覚える人々が増加して来ているのではないでしょうか。「力の強い者を支配する」原理はアダムの堕落以降、今日まで全く変わることがありません。ですから、力ある者との闘争は常に続き、平和も実現せず、つねに弱い者の苦しみも存在し続けているのではないでしょうか。そのような世の中にある人々に神は、神の祝福の原理の中で幸いに生きる道を示して、その道を歩むようにと語られているのです。
    人は誰であっても、キリストに在って「神の子」とされる特権に与れるのです。正に、キリストに在って神の家族の養子(ホ フィオス トゥー セオー)とされました。キリスト者は、キリスト(神の独り子)と共同相続人とされているのです。神と子との関係を回復し、神の特別な愛の対象となり、神の守りと養い、そして、神の息子としての特別な役割が一人一人のキリスト者に与えられています。この素晴らしい真理に気づかず、ただ自己中心的な生き方で、より強い者となり、弱い者を支配する生き方を追求しようとしてはいないでしょうか。そこでは争いや満たされない思い、そして不安は尽きることがありません。
    神の子とされていることの素晴らしさを知り、確信しようではありませんか。神との対話をより親しく、多くの時間を持ち、どのような試練の中にあっても、すべてのことを益としてくださる神を信頼し、すべてのことをゆだねる者となりましょう。「ゆだねる(エピリプトー/投げ出す)
    「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(汽撻謄蹌機В掘

    2019年 1月27日 週報

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      「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



      「長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。」(汽謄皀藤粥В隠粥

      「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」 (競謄皀藤押В押


      久しぶりに教会で按手礼式が行われようとしています。苫小牧で伝道されている小崎先生が神学校を卒業して按手を受けられて以来です。吉田悟志先生は2年前に沖縄信仰バプテスト教会で受けられました。
      新しい教会が誕生し、福音宣教が拡大していくためには、歴史ある教会が継続発展していかなければなりません。残念ながら、米国においても我が国においても閉鎖されてしまう教会も少なくはありません。
      その第一の理由は、牧会者の継承が途絶えるからです。中には信徒たちで集まり、礼拝と宣教を続けている教会もありますが、いずれ若い世代が継承しなければ教会は存続できなくなるのです。
      いま、日本に根本主義のバプテスト信仰に立つ新しい宣教師たちが増し加えられています。さらに、日本人の伝道者も神学校で訓練を受け、按手を受けようとしています。教会は信者の集まりであり、教会の成長とは、その信者一人ひとりの信仰の成長であり、成長の基準は単なる人数、建物、経済力ではなく聖書に忠実であるかどうかであります。パウロは次の働き人の継承の資格として「私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人」とするようにと勧めています。
      馬渡師、義宣師、それぞれしっかりと聖書信仰の神学校で訓練を受けてこられました。私たちの教会にはこのように、教会のリーダーとして主に仕えていこうとの信徒が起こされていることは何と幸いであり、将来に希望があることでしょうか。教会の第一の責任はこのように信仰によって、献身した伝道者たちが、福音の働きで生活ができるように祈り、支えていくことです(汽謄皀藤:17−18、汽灰螢鵐硲后В隠魁檻隠粥法
      海外で働く宣教師のためにはより多くのサポートを必要とするために、同じ信仰、立場の教会が自発的に協力し合い、宣教協会を設立して、宣教師をサポートしているのです。教会の成長、宣教の拡大のために、さらに伝道献身者が起こされるとともに、彼らがフルタイムで福音の働きに与れるようにサポート体制を十分に整えなければなりません。

      2019年1月20日 週報

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        「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



        「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」 (詩篇116:15)

        樋口勝也兄が1月17日、75歳の地上の人生を全うされ天に召されました。昨年の9月三男さんが若くして亡くなられたことで、とても心を痛めておられましたが、お体のことでは特別なことは伺っていませんでしたので、10日の入院手術、その後、生死の闘いとなる重篤なご病気とは知らず案じておりました。
        6年以上前に兄弟は心臓の不整脈手術の治療を受けられているとき、とても危険な状態となられましたが、奇蹟的に回復され、とても喜び主に感謝されておられました。
        しかし、1月17日、日が変わり直ぐに召され、主イエスのもとに行かれました。
        兄弟が教会に来られ信仰告白されるきっかけとなったのが、24年前の1月17日に起こった大震災でした。私にとっては1月17日は決して忘れることのない日となりました。神様はすべてのことに主権者として、支配されていることを確認させられました。
        「主の聖徒たちの死はなぜ主の目に尊いのでしょうか。」
        私たちが地上生活のために必要とする肉体は、誰であってもアダムの堕落以来、弱り、ついには死を迎えなければなりません。しかし、死は肉体の弱さがもたらす様々な苦しみ、不自由さからの解放となるのです。「しかり、彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。…」(黙示14:13)
        キリスト者は永遠のいのちの祝福に与るので、その霊(私自身)は、イエス様のおられる天上に移され、そこで生き続け、そのいのちは苦しみ、不自由さではなく、幸いな憩いとなり、この地上の労苦もそこで十分に報われるのです。
        キリストが復活されたように“キリスト者も再び、キリストの体に似る者として新しい体に宿り、復活する希望、主にある人々との再会の希望があるからです。これらすべての希望は人の思いによって生まれたのではなく、イエス・キリストの十字架と復活という歴史的、額観的根拠に基づいての希望であります。
        ですから、「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」のです。

        2019年 1月13日週報

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          「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



          震災24年メモリアル「脱出の道がある」

          「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」    (汽灰螢鵐硲隠亜В隠魁

          24年前の1月17日の早朝5時46分に誰もが予想していなかった大地震が淡路、明石、そして阪神間で発生し、6千人以上の命が奪われ、神戸市は甚大な被災を受けました。都市の機能、建物は復興し、明るく、おしゃれな街として復活していますが、家族、友人を失った人々の心の傷は今も残されています。
          しかし、この大災害がきっかけとなってボランティア活動が広がり、地震などの自然災害についての対策も、より真剣に取り組まれるようになり、その後の2011年の東日本大震災の復旧、復興にもこの時の経験が役立ったと言われています。
          華やかな生活も突然の災害によって一瞬に失われるという事実を私たちは身をもって学んだのです。
          地震が起こって、しばらくして後、自宅から西舞子8丁目の会堂に向かいましたが、心配していた通り、会堂のある西舞子はガスの臭いが漂っており、道路にはあちらこちら亀裂が入っていました。会堂は無事建っていましたが、全体的にハの字形になっており、南に傾斜し、側面の外壁は剥がれ落ち、外から会堂内に光が差し込んでいました。このままでは、長く使えないことが、誰の目にも明らかで、結果としては、半壊のり災証明が出され、速やかな建て直しが必要とされました。あまりにも突然で、何の備え、貯えもなく、その当時、地震保険なども珍しく、心境はお手上げ状態でした。この瞬間、BIMIのクレイムの協力があり、一年後再建できるなど、全く考えることはできませんでした。しかし、会堂は周辺の家々のどこよりも早く、再建することができ、考えられないところから支援をいただき、一切の負債を負うことなく、1996年5月に新会堂献堂式を行うことができました。
          この体験から多くのことを学んだのです。
          何よりも大切なことは、どのような試練に会っても、主は脱出の道を備えてくださるという約束は真実であるということです。

          2019年 1月6日 週報

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            「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



            「イエスが驚かれた信仰」

            「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6  

            神様に喜ばれる生き方こそ、祝福の鍵であります。
            聖書の神は恵み深く、憐み豊かなお方であられ、どのような罪人に対しても神の祝福を与えようと願っておられるのです。人は神のかたちを持ち、人格を持つものであるので、設計者がAIにすべての行動パターンを組み込むようにではなく、一人一人が自分の意志で受け取るのでなければ、神の祝福を自分のものとすることはできません。
            その神の祝福を自分の手にする手段こそが、聖書に教えられている「信仰」であります。
            神の喜ばれる信仰は二つの要素に分かれて教えられています。
            一つは「神の存在」を信じることです。この神とは、人間が造った神々ではなく、人間を含め、宇宙万物を創造された、人間の真の親、設計者であられ、その存在を認めて受け入れることです。アダムの堕落以降、人々は自分たちの必要を満たすために、自分たちの都合に合う神々を造ってきましたが、偽物によって人は満たされず、正しく生きることも出来ず、救われません。神はメシヤ(キリスト)であるイエス様をこの世界に遣わし、真の神の存在を明らかにしてくださいました。人はキリストという人格を信じ受け入れることを通して、まことの神を知る者となり、神との正しい関係の中で真に生きる者となるのです。罪の報いとしての死は、キリストとの結びつきによって永遠の命の希望を持つものとなったのです。
            第二は、受け入れた神とともに歩み生きることです。問題の解決、すなわち現世利益だけの信仰ではなく、日々の生活において、神を全能者、最高の権威あるお方と恐れて生きるのであります。聖書の信仰は、神を認めるだけでなく、日々、神を信頼し、神に対して常に祈り求め続けていく(執拗に求める)信仰であります。それは、神が全能者として、神の子たちの願い、求めにこたえてくださるとの信頼、信仰の現われと言えるでしょう。“信仰によって神を喜ばす者”となる一年といたしましょう。

            2018年12月30日 週報

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              「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



              「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。」(ハガイ1:8)

              世界は今、大きく変化しようとあらゆるところで激震が起こっていると言ってよいでしょう。
              2018年はそのような年として終わろうとしており、今年の世相を表す漢字として「災い」が選ばれたことからも伺えましょう。
              日本の隣国の一つである中国が多くの人々の予想以上に早く、経済大国、軍事大国となり、さらには、IT技術大国にもなっています。
              中東、ヨーロッパでの内戦と難民の発生による混乱、そして、中国と米国の経済戦争……。自然界においても異常気象と地震、火山による災害が世界各地で発生しています。
              ITなどを中心とする科学技術の発展によって、平和な社会が実現しているでしょうか…。「自国ファースト」が台頭し、軍事力強化も生じており、世界はどこへ行こうとしているのでしょう。
              聖書は単なる倫理道徳の教科書ではありません。全能者の統治する歴史の記録であり、預言の書であります。正に今日の世界は、預言の通り、世界が展開しているといえましょう。
              そのような中で神は教会を神の民として選ばれ、福音宣教の使命を託してくださいました。信教の自由が許されている日本において、1%の壁を突破するために、祈りと宣教礼拝に励んできました。
              2018年、神様の恵みのより夢の懸け橋が実現したように、わたくしたちの夢も実現に向けて前進してきました。新しい年はさらに、新会堂の実現のために教勢の飛躍、信仰の強化、一致と励ましを祈り求めて行こうではありませんか。

              2018年12月2日

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                「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



                「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)

                「平成」という称号が今年度で最後となります。今上天皇が来年に退位され、来年の5月に皇太子様が新しい天皇となられるので、元号が変わるのです。明治、大正、昭和、そして平成と天皇が変わることで元号が変わってきました。この元号は日本のみで通じることで対外的には、世界共通の西暦が使われるのです。元号はその国の指導者の即位と関係しているように、西暦の起源となっているキリストの誕生も特別な人であることを示しているといえましょう。私たち日本人も「イエス・キリストとは何の関係もありません」と言うわけにはいきません。
                イエスはユダヤ人として大工ヨセフの子として生まれました。彼の誕生場所は宮殿ではなく、家畜小屋(馬の飼い葉桶)でした。生まれた時の環境は世界中に知られるような人物となるようなものではありませんでした。しかも、ユダヤの有名なラビ(教師)の下で学んだ経歴もありません。
                なぜ、多くの点でユダヤ人の一人にすぎないのに、キリスト教という新しい教えの集団を生み出し2000年以上、迫害の中で消滅することなく続けることが出来たのでしょうか。
                それは、「イエスの教えの素晴らしさ、旧約聖書を正しく説き明かし、数々の奇蹟を行い、その最大の奇蹟は、死からの復活であります。この奇蹟的復活によって、十字架上の死は、全人類のための贖罪の死であることが証明されたのです。彼は正に、旧約聖書の父なる神と同等、同質の神であることが明らかに示されました。人間は誰一人、死に打ち勝つことが出来ません。世に登場してきたいかなる偉大な指導者、哲学者、宗教家は死によって終わりました。教えとして影響が残されたとしても、死に打ち勝つ人物としては、主要な教義ではありません。
                イエスキリストは「私はよみがえりです。いのちです。」と主張し、その教えは広がったのです。イエスの生涯、十字架上の犠牲、復活は神の存在、その力と愛を現したのです。

                2018年11月25日 週報

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                  「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



                  「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)

                  先週の月曜日(11月19日)日本中に激震が走り、世界中にも広がりました。
                  日産・ルノー・三菱自動車の会長、カルロス・ゴーン氏が逮捕されました。会長職から犯罪者へとV字回復の立役者と言うヒーローから、会社に大損失をもたらした犯罪者と言うレッテルを貼られるかもしれません。
                  多くの人々は大なり小なり、この世の価値観、評価を土台として、自分の価値を定め、自分は何者であるかを知ろうとしていることでしょう。
                  順風な時は自己評価も高く、自信を持って生きることができますが、自分の思うように行かなかったり、ある状況の変化で逆風が吹くと自分の価値を見失い、自信も失うのです。それによって、自他への見方が常に否定的になり、感情も不安定になってしまうのです。キリスト者の自己評価の基盤は、「キリストに在る自分を知る。」ところにあるべきなのです。キリスト者は、かつて、どのような性質を持っているとしても、どのような者であるとしても、今は「キリストに在って神の子となっており」新しい神のいのちをいただいて生きる者とされたのであり、神からは愛すべき子として受け入れられているのです。(汽茱魯3:1−3)。ある時代の指導者は、次の時代の指導者によって、犯罪者となり、処刑されるというのが人間の歴史ではありませんか。
                  キリスト者であっても、自分がキリストに在って何者であるかを正しく、十分に知らずに過ごす方々があまりにも多いのです。ですから、常にお天気のように気分も変化し、生き方に安定がなくなるのです。
                  私たちを取り巻く環境は常に変化します。生活が楽な時、苦しい時、人間関係が良い時、悪くなる時、元気な時、健康を失う時…。しかし、キリスト者はすでに神の子とされ、永遠のいのちに与っているのですから、しかもキリストと共に神の国の祝福に与る者なのです。この地上における日々にも、神はともにいて下さり、導いてくださり、必要を満たして下さるお方です。神をさらに信頼し、ゆだねて生きるなら、心の中には平安と感謝と希望、そして勇気をもって生きるのです。
                  もし、いまだにこの世の価値観の中に生きようとするなら、心は常に満たされず不安に支配され続けることでしょう。

                  2018年11月18日 週報

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                    「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



                    「あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」
                    (出エジプト19:6)


                    ある方々はユダヤ民族と日本民族の同祖論を主張されているようです。神社の形式と祭礼の類似、失われた10部族の一部が渡来したなどですが、確かな根拠はありません。今日、イスラエル人(ユダヤ人)は、神の民としては教会が中心で、裏舞台に追いやられていますが、イスラエル民族としての神のご計画が終わってしまったのではありません。彼らは、約束の民であり、その預言は成就しており、将来の回復も実現されるのです。
                    彼らがAD70年にローマによって亡ぼされ、世界中に離散したことは誰もが知る歴史的事実です。しかし、1900年後にイスラエル共和国(1948年5月14日)として、パレスチナに再建したことは驚くべきことではありませんか。その間にも彼らはユダヤ民族としてのアイデンティティを守り続け、少数民族(世界で1400万人)でありながら常に科学、芸術、政治、哲学、医学、芸能etcでリードする人々となっているのです。
                    日本が明治維新を迎える時、活躍した大半の人々は長崎にやって来たトーマス・グラバーとかかわり、多大な支援を受けたのです。その代表格は坂本龍馬、伊藤博文、大隈重信、五代友厚、岩崎弥太郎等々です。グラバーは上海にあったマセソン商会から派遣された人物で、マセソンはインドと中国の貿易(その中にはアヘンが含まれる)で富を築いたユダヤ人でした。
                    ロシアとの戦争で、戦艦などの兵器を造るための莫大な軍事費を政府は国債を発行して、お金を集めようとしたのですが、誰も買ってくれる人がいない時、アメリカにいたジェイコブ・シフ(ユダヤ人)が国債を引き受けてくれ、それによって、戦艦「三笠」等をイギリスで造ることが出来、日本海戦で勝利できました。第二次大戦の初め頃、リトアニアの日本領事館に赴任していた外交官、杉原千畝氏の人類愛のゆえに約2000人程のユダヤ人に日本通過のビザを発行し(このことは政府の意向に反しました。)、結果として6000人のユダヤ人のいのちが救われることとなり、日本政府からは冷遇されたのですが、ユダヤ人は彼をいのちの恩人として、今日も尊敬しているのです。ユダヤ人は迫害されますが、存続し続け、世界中で大きな影響を与え続けています。日本でも始まろうとしているカジノ(ラスベガス)もユダヤ人によるものです。一体なぜでしょうか?

                    2018年11月11日 週報

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                      「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



                      「ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。『さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。』」(創世記13:14−15)

                      明舞団地も完成してから間もなく50年を迎えようとしております。50年前に家を建てた方々も、その世帯主が変わるということも起こっており、子供たちは別の所で生活をされているので新しい方々が世帯主となっている家も少なくありません。
                      イスラエル人(ユダヤ人)は1900年前に国土を失い、世界中に離散しなければなりませんでした。幼い時からユダヤ教の経典タルムードを暗唱することを教育されてきた民族ですので、自ずと学問には、長ける方々が多く、それぞれのところで成功した人々も少なくありません。その人たちがその国の政界、学術、経済界、芸能界で活躍し、受け入れられているなら誰もパレスチナに戻ろうとはしないでしょう。確かにヨーロッパ、アジア、アメリカでその国の内に入り、活躍している人々は多くいるのです。
                      ところが、ヨーロッパ(キリスト教国)では、ユダヤ人に対する偏見、差別、そしてロシア、ポーランド、ハンガリーでのポグロム(虐殺)、そしてヒットラーによるホロコースト(大殺戮)によって、シオニズム運動(パレスチナに独立国を造ろうとする)が起こり、イギリス(当時パレスチナの支配権を持つ)のパレスチナでの独立国を造ることへの協力(バルフォア宣言)もあり、第二次大戦後に貧しいユダヤ人がパレスチナに移住したのです。(豊かなユダヤ人はアメリカに移住。)ユダヤ人は教育を重んじ、有能な人々が多く、その中の一部の人々が中世のキリスト教徒が禁じられていた、金貸し(後の銀行業、保険、証券etc.)、又、貿易での為替などによって巨万の富を手にするようになり、ユダヤ人のパレスチナ帰還、その後のイスラエル経済を支援することとなり、周囲をアラブ諸国に囲まれながらも独立国を築き上げたのです。アラブ人は数、国土、石油による富はイスラエルをはるかにしのぎますが、パレスチナ周辺のアラブ諸国(シリヤ、イラク、ヨルダン等、)は設立期から混乱があり、イスラム教の宗派対立が一層一致を難しくし、イスラエルを打ち倒せなかったと言われています。
                      1900年間も国を失っていた人々が民族としてのアイデンティティを保ち、四国ほどの国土(資源は少ない)で、600万足らずの人々が独立国を保っていることは何という不思議なことではないでしょうか。

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