2018年4月15日 週報

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    「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



    継続の才能

    「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」  (マタイ7:7)


    暗いニュースや偽り、不正が疑われるニュースの多い中、唯一明るいニュースは、大谷選手のMBLでの活躍ではないでしょうか。「二刀流」と言う日本人らしい言葉も関心を引き立てているのではないでしょうか。MBLでの大活躍は、大谷選手以上に、イチロー選手についてはよく知られているところです。年間の最多安打(メジャー通算3000本安打)の大記録や、40歳を過ぎても現役の選手として活躍されています。
    彼はMBLでの成功について次のように語られたことがありました。
    「僕は野球の才能はありません。でも続けることが出来ることを才能と呼ぶなら僕にはその才能があります。」イチロー選手は「継続すること」を「才能」と考えておられるところに印象付けられます。つまり特別な才能を生まれ持っていなくても、一つのことを継続するなら、良い結果を生み出す能力となるのではないでしょうか。さらに、イチロー選手は単に努力するだけでなく、「目標」「結果」をしっかりと見つめながら、毎日素振りや走り込みを継続され、単なる努力ではなく、意味のある努力をされていたのではないでしょうか。
    イエス様は「求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。」と神の子たちに祈ることを命じられていますが、それぞれの言葉はギリシャ語、現在時制でありますので、継続が強調されているのです。「求め続けなさい。捜し続けなさい。たたき続けなさい。」となります。「救い」は信仰によって与えられる恵みでありますが、信仰によって永遠のいのちが与えられることとも関連しますが、常に、現在時制で語られています。
    「信じ続ける者」とヨハネ3:16の「信じる者」を理解するのです。聖書は常に信者たちに目標を達成するまであきらめずに続けるようにと励ましていることに気づかれることでしょう。パウロは「絶えず祈りなさい。」(汽謄汽蹈縫1:17)と命じていますが、「祈りをやめないで」と言う意味であります。正しい目標に向かって歩んでいるなら、止めないで続けているなら、必ずゴールに到着することが出来るのです。その時、神の栄光は輝き、人々は祝福で歓喜するでありましょう。

    2018年4月8日 週報

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      「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



      「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。」  (ハガイ1:8)


      今年度より先年度との関連から、さらに“新会堂の実現”に焦点を絞ってのテーマを掲げることといたしました。選ばれた聖句は預言者ハガイに記されたメッセージの一節であります。
      ペルシャの王クロスによってバビロンは倒され、ユダヤ人たちは祖国パレスチナに帰ることが許され、第一陣として4万2千人が戻り、廃墟となった神殿再建に着手致しました。イスラエル(ユダヤ人)は神の民として選ばれ、神の栄光を現す使命を託されていたのです。そのシンボルが神殿であり、そこで神を礼拝し、神と出会っていたのです。彼らが神を信頼し、神を第一として礼拝しているなら、神は常に彼らを守り、祝福してくださるのです。70年間のバビロン捕囚の苦しみは彼らの不信仰、不従順への懲らしめであったのです。
      生かされ、故国への帰還が許された人々は、この神様の主権者としての偉大さと恵み深さを忘れることなく、これからの歴史を築き上げていかねばなりませんでした。帰還をリードしたゼルバベルとヨシュアのもとで、ソロモン神殿の再建に励んでいったのですが、パレスチナに住んでいたサマリヤ人や残留していたユダヤ人の反対によって、止む無く工事は中断してしまい、時間の経過と共に人々の神殿再建の情熱も弱くなり、人々はもっぱら自分たちの日々の生活の安定を重視するようになってしまったのです。そのような時、神は預言者ハガイを遣わされ、イスラエルの民を叱咤激励して、工事再建へと向かわせたのでした。
      新会堂が必要であるというのはすでに教会員全員の一致した願いであります。同時に私たちが願うところは決して容易な目標ではありません。200坪~500坪の土地を教会の周辺で見いだすことは難しくありませんが、いずれも大きな資金を必要としているのです。神の民が、いずれの所においても働きを前進させようとする時、常に内外の問題に出会い、心を弱くすることもしばしばです。働き人達の成長と継承の実現もスタートいたしました。
      いよいよ、新会堂の実現を目指して一致した祈り、教勢の拡大、教会員の良き交流と奉仕を一層充実させて大きく飛躍する年度としたしましょう。

      2018年3月25日 週報

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        「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



        「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。」(詩篇62:6)


        今日の聖日は2017年度の最後の聖日です。来る2018年度は“教会の継承と飛躍”の頂点を迎えようとしていると言えましょう。それは、さらなる発展への大きな変化の時であります。
        “変化”には混乱と不安があります。今日の世界が正にそのような時です。アメリカに代わり、中国が世界をリードしようと台頭してきましたし、ロシアが昔の大国を取り戻そうと大統領の強権を確立しようとしております。すでに中国も、主席の任期を無制限としました。さらに、インド、ブラジル、トルコ、イランなど、日本も含め大国となるために再び中央集権的な国家形成へと進もうとしていることは周知の事実であります。
        そのような中で、どの社会においても権力者(ある特定の思想集団)の思いを道徳とした教育(思想教育)のリバイバル運動が起ころうとしていますが、その背景には、行き過ぎた自由主義(秩序のない自己中心的主張)への反動があります。 同性婚の自由、フリーセックス、家庭内暴力と殺人(他殺、自死)、民族間の差別と争い、昨年から隣国ではミサイルの試射が繰り返され、今日にも、戦争かと思われることが続いていましたが、オリンピックを境にして事態が急変しており、何が本当の狙いなのでしょう。不安が広がるばかりではないでしょうか。
        聖書には、末の世において、このような混乱と不安なことが起こると預言されていますが、そのことに驚き惑わされてはならないとも教えられているのです。
        その根拠は何ですか。それは、この世界は決して人間の意志のままに変化し、進むのではなく、万物の創造主の主権によって治められ、進められるからで、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは過ぎ去りません。」とありますように神を信じ、その約束を信頼するなら明日への希望を確信し、安心でき、これに従う者は惑わされることがありません。
        私たちは2018年度を大きく飛躍する年として、主に期待し、不安、恐れではなく、希望と勇気をもって前進しようではありませんか。

        2018年3月18日 週報

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          「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



          しっかりとした土台の上に立ったキリストにある成人

          「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」   (コロサイ1:28)


           栗原姉、小見山姉が神学校を卒業、修了され、他にも何人かの兄姉がそれぞれの学びを卒業され、卒業しようとされています。卒業、修了することは一つの学び、訓練の過程を終えること、完成することであります。
           聖書の中でしばしば「成人」「おとな」「完全な人」と言う表現が使われていますが、いずれもギリシャ語の「テレイオス」と言う言葉が使われています。
           この言葉の意味は「その終わり、ゴールに達していること、十分成長しきった、成人した」と言うことです。
           パウロはコロサイ書においてコロサイのキリスト者が「キリストにある成人」となることを願い、奮闘していると語り、その他の多くの書簡でも、神の子とされた人々が成長し、成人となるように勧めています。誰でも、信仰を告白した瞬間に救われ、キリスト者となり、その救いは永遠に保証されています。しかし、十分に成長しなければ地上において生かされている目的である、神の栄光を現すことが出来ません。又、キリスト者本人が神からの祝福である真の自由を手にする者とはならず、以前とその生活には変化がないままです。つまり、相変わらず様々な罪の束縛の中に生きなければなりません。
           神様のみこころは、始めた働きを完成させることであります。卒業、修了は一つの目標の完成、達成であり、成人した者のしるしと言えましょう。もちろん、ほとんどのキリスト者は3年程で人生を終えるのではなく、卒業、修了した事柄を活用し、主のために教会と人々のために仕える働きにおいて、さらに神から示された御心を完成させていかなければなりません。
           多くの人々は事を始めますが中途半端で止めてしまう方々が少なくありません。成功するか失敗するかは止めずに最後までやり遂げるか否かで分けられると言われています。人の力には限界があります。しかし、キリスト者には全能の神(エルシャダイ)が共におられ、神ご自身の目的を実現するために私たちに力をお与え下さり、事を成し遂げてくださるのです(ピリピ1:6)。

          2018年3月11日 週報

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            「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



            世界宣教における日本

            「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ55:6)


            7年前の3月11日、東日本大震災が起こり18,000人以上の死者、行方不明40万以上の方々が被災されるという戦後最大の自然災害が発生しました。さらに今回の地震では初めて原子力発電所が被災するという、今までにない問題が生じたのです。その時から、様々な自然災害が発生すると「想定外」と言う説明が語られるようになりました。
            神戸、明石、淡路、そして阪神間に住んでいる人々は、23年前の大地震で被災体験があり、東日本大震災で被災された方の苦しみの一端をわかる方々もおられますが、大きな災害の経験のない方々には、その大変さ、苦しみ、恐ろしさが理解できませんし、記憶に残ることも少ないことでしょう。
            全ての災害を常に神からの特別なメッセージとすることには常に注意深くあらねばなりせんが、人は常に神と共に歩んでいるか、神のみ声に注視しているかを内省しながら生きなければなりません。
            聖書から教えられていることは、人が神の存在や意志を無視したり、軽んじる時、ますます貪欲となり、家庭や社会の中に混乱が起こり、人々の生活は幸いから遠ざかると言うことです。
            神の民として選ばれたイスラエル民族に神はしばしば様々な苦しみを許されて、彼らに神に立ち返る機会、神を求める時とされたのです。
            21Cを迎え、世界やそして日本社会はどのようになっているのでしょうか1948年5月にイスラエル共和国が誕生し、イスラエル民族の国家がパアレスチナ再建されました。その時以来、今日まで中東は世界の火薬庫と言われるようになり、さらに各地域で民族対立紛争が続いています。異常気象や大きな地震やさらに火山の噴火が起こっています。
            これらの自然災害によって一瞬にして多くの人々のいのちと財産が奪われてしまうのです。19Cの中頃から聖書の創造主を否定する進化論思想が受け入れられたのですが、そのような哲学は、人間を真に自立させたのでしょうか。益々、弱肉強食の社会を生み出し、争いや不正が広がっているのではないでしょうか。政府と一部の官僚の不正疑惑…。そのような政府が学校教育の中で「道徳教育」を強化しようとしています…。これらのしるしは人々に神に会う備えとして示されているのではないでしょうか。

            2018年3月4日 週報

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              「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



              福音の望みにしっかりと立って

              「ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。…」 (コロサイ1:23)


              オリンピックで活躍した選手たちが戻って来られ、日本中でメダリストと共に感動と喜びの実を改めて実感したのではないでしょうか。女子スピードスケートの選手が多くのメダルを獲得され、注目されています。
              すでに皆様は以前からオリンピック選手として活躍されていたのですが、今回は期待以上の結果を出され、本人も周囲の人々も喜んでおられます。何か今までとは違ったことがあったのでしょうか。
              500mの競技で金メダルを手にされた小平選手は、スケートの本場と言われているオランダに留学し、又、チームジャパンとして合宿練習に励み、オランダ人のコーチのもとで、効果的な訓練によって、世界に通用する選手として、一層の成長を実現することで結果を出されたとのことでした。
              私たちの信仰生活においても同様のことが言えるのではないでしょうか。確かに救いは一方的な恵みによって与えられ、救いは保証されていて失うことはありません。しかし、信仰者としての福音が約束している多くの実を結ぶことが出来るのですが、十分に実を結んでいないこともあります。コロサイ書1章においてパウロは次のような表現を繰り返して語っていることに注目下さい。 「しっかりとした土台の上に堅く立って…信仰に踏みとどまらなければなりません。」「神を知る知識を増し加えられますように。」(1:10)「すべての人をキリストにある成人として立たせるためです。」(1:26)パウロは次のようにも語っています。「この福音は、あなたが神の恵みを聞き、それを本当に理解したとき以来…。」(1:6)
              福音は信じる者に救いを得させる神の力であり、どのような状況にある人々にも希望を与え、喜びを与えるものなのです。キリスト者の力は、この福音の本質から生じる喜びであり、それによって自分と他者を幸福にするのです。もし私たちが十分な理解でないままに過ごしているなら、福音のもたらす素晴らしい希望を知らないままになるのです。2018年度は一人一人の会員が福音の希望を十分に輝かせ、多くの人々に本当の希望を伝える年度といたしましょう。

              2018年2月25日 週報

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                「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                メダルと人の価値

                「…しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、体をこのように調和させてくださったのです。」  (汽灰螢鵐硲隠粥В横)


                平昌冬季五輪で日本は11個のメダルを獲得し、今までの記録を更新いたしました。
                オリンピックを目指す人々にとって、メダルを手にすることは、夢の実現であり、大きな感動と喜びの瞬間でありましょう。選手を応援してきた人々にとっても、メダリストと同じようなしあわせを味わう時であります。
                自己実現による満足、多くの苦しみ、悲しみ、犠牲が報われるということは、その人の人生にとって、とても大切な経験であります。金メダリストには500万円の報奨金があり、社会的に優遇される人生となることでしょう。
                このことは、人生のしあわせとは何によって決定するのかについて大切なことを教えていると思われます。
                メダリストは多大な賞賛を受けるに相応しい人々です。多くの物質的恩恵にも与れるでしょう。しかしながら、そのことによって人間としての決定的価値が決まるのではありません。競技を目指す一部のトップの人々からオリンピック選手として選ばれ、その中でもトップの3人がメダリストとなるのです。その技量は素晴らしく努力も多大な苦労があったことでしょう。しかし、メダリストだけが人間として価値があり、人間として評価されているのではありません。しばしば耳にすることですが、メダルを手にしながらも金でなかったために、不幸な気持ちになったり、最悪なことはメダルのプレッシャーで人生を狂わせた人々も少なくありません。今回、ロシアはドーピング問題で、国として参加できませんでした。このようなルール違反もメダルのみに決定的な価値を置こうとするからではないでしょうか。
                メダルを手にできず、悔しい涙を流す人もいるかもしれません。しかし、人間の価値、評価はそのようなことで決定づけられるものではありません。人は高慢と劣等感の二つの思考から自由にされなければなりません。人から賞賛されても、そうでなくても人は自分の人生を大切に生きる価値を持っているのであり、そのことに気づかなければなりません。

                2018年2月18日 週報

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                  「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                  神の主権

                  「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。」(箴言16:1)


                   聖書の神(ヤハウエ)は万物の創造主であられ、この世界の主権者であられます。人間の反抗によって、神様のご計画に様々な混乱や問題が生じているように思われ、人間の力によって歴史が書き変えられるように思われることもしばしばですが、神様のご計画を誰も妨げることは出来ません。
                   神はエルサレムのモリヤの山に神殿を建設するというビジョンをダビデの心の内に与えられ、その息子ソロモン王によって、神殿建設が実現しました(BC960年)。しかし、その神殿はバビロンによってBC586年完全に破壊されてしまったのです。神殿の崩壊はイスラエル民族そのもの絶滅を示すこととなるのです。神様のご計画はイスラエル民族の中からメシヤ(キリスト)を生み出し、全世界を祝福することにあります。神殿は神の存在、そして臨在の象徴であり、破壊は神の敗北となるのです。
                   神はペルシャの王クロスを用い、さらにイスラエル人、ゼルバベルとヨシュアを用いて、神殿再建の働きを始められました。ところが、パレスチナに住む人々は神殿の再建と、イスラエル人による国家の再建を願わなかったので、様々な妨害行為を企てるのです(エズラ4:1−5)。パレスチナに派遣された議官を買収して、ペルシャの王に「イスラエルは、王に反抗する国を再建しようとしています。」との訴えの書状を送りました。そのことが切っ掛けで、神の宮の工事は中止されることとなりました(4:23−24)。当時の王の決定を覆すことは不可能に近いことです。そのために、イスラエルの人々は神殿建設ではなく、自分たちの家を建てることに心を注ぐようになってしまっていたのです(ハガイ1:4−5)。神様はご自分の計画を実現するために、ハガイとゼカリヤを遣わし、イスラエルの人々に神の御心を第一にして、それを実行するようにと励ましたのです(ハガイ1:6−8)。預言者たちの励ましに、ゼルバベルとヨシュアは再び立ち上がり(5:2)、神殿再建を再開させました。ペルシャの王アルタシャスタは、中止を命じましたが、次の王となったダリヨス王の心を主は動かされ、中止命令から一転して、妨害する人々へ「そこから遠ざかれ。」と命じ、再建への王による支援が発表されることとなったのです。エズラ6:14に次ぎのように書かれています。「彼らはイスラエルの神の命によりまた、クロスとダリヨスとペルシャの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。」 最初の命令はどこからですか。「イスラエルの神の命により」であります。

                  2018年2月11日 週報

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                    「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                    ここに愛がある

                    「…その中で一番すぐれているのは愛です。 愛を追い求めなさい。」(汽灰螢鵐硲隠魁В隠魁檻隠粥В)


                     ドイツの詩人ゲーテが次のように語っています。「王様であろうと、農民であろうと、自己の家庭で平和を見いだす者がもっとも幸福な人間である。」
                     人はどんな立場にあっても家庭と無関係では生きることができません。長寿社会の中で、次第に孤独な生活を強いられている人々もおられることでしょうが、家庭の大切さはとても重要なことです。多くの問題は家庭から生まれるのであり、家庭がしっかりすれば問題も解決へと向かうでしょう。
                     科学技術の進歩は人の思いをはるかに超えて、人間社会の利便性、豊かさ、安全そして安心をもたらしています。しかし、人間が人間を尊重し、共生するための共通の倫理、道徳を失ってしまっていないでしょうか。あらゆる分野(科学、医学、政治、経済、教育、結婚等々)で、ルールがなく、人々は自分の好きなように生きる時代となっています。
                     ネットによって良い情報の共有以上に、人々の弱さを暴き、広げようとするつぶやきが蔓延しています。便利なネット通貨制度が出来るや否や、大量に通貨が盗まれました。
                     人間の自己中心性と言う、生まれながらの罪の解決に対して、真剣に対峙しようとしなければ便利さや豊かさがかえって人々の幸せを奪ってしまうことでしょう。
                     神を認めず、聖書を知らない人々は男女の結びつきとしての結婚、家庭のルールもなく、欲望の欲するまま、ただ強い者が弱いものを支配することとなり、その弱い人々もいつか反撃し、夫婦、親子の関係に大きな争いが生じるのです。その根本は人間一人一人が罪人であるために、どんな夫婦にも争いが生じるのです。その争いを決定的な修復不可能な争いとしないで済むためにも、聖書を共通のルールとして受け入れられるのを強くお勧めいたします。
                     争いのない平和な家庭の価値は、どんな豊かさ、社会的名声に勝る価値であります。
                     家族の存在、団らん、家庭の安らぎ、幸せな人生にとってなくてはならない条件です。家族の誰かに“ありがとう”の言葉を、“ゆるしてね!”のことばを、“もう、ゆるしました”のことばを忘れずに語る勇気を持てますように。

                    2018年2月4日 週報

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                      「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得」 イザヤ40:31



                      人はパンだけで生きるのではなく

                      「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)


                       昨年から今年にかけて驚異的な売れ行きで読まれている漫画本のタイトルが「君たちはどう生きるか」であり、すでに100万部が売れたとのことです。原作は1937年、約80年前に出版されており、第二次世界大戦を前にする中で出版されました。 漫画本で手軽に読めることも手伝ってかもしれませんが、わずか出版から3か月で60万部が売れるという、最近では珍しいベストセラーです。
                       戦争の機運が高まる中で、人々はより真剣に生きることについて考えなければなりませんでした。
                      2020年、日本は第2回目の平和の祭典オリンピックを迎えようと人々は楽しみ、元気よく生きているように思われますが、同時に、日本社会を含め世界は激変の時代を迎え、明日、どんなことが起こるか分からないという不安の機運が漂う時でもあります。
                       第二次世界大戦前の日本は多くの人々が貧しく、豊かさや楽しい自由な生活の享受の中に満足と幸せがあると思い、“勝つまでは欲しがりません!”と、それぞれ国のために生きていたのです。しかし、勝利ではなく大敗北が訪れ、1億総貧乏となったのです。物質的豊かさ、自由と楽しい生活への渇望は、今まで以上に強くなり、失ったものを取り戻し、戦勝国に追いつけ、追い越すのだと、勉学に、仕事に励んで、日本はバブル時代を体験するまでに豊かさと自由と快楽を味わえる社会となりました。 ところがバブルはどんなに大きくてもわずかな衝撃で壊れてしまうように、安心、喜び、満足よりも不安や不満が広がってしまい、豊かさの中にあっても、満たされていない人々が多くなってきているのではないでしょうか。「衣食足りて礼節を知る」と言われますが、「豊かさの中でむなしさを知る」こととなっていないでしょうか。物質的豊かさ、自由と快楽を体験することによってむしろイエス様が言われた「人はパンだけで生きるのではなく」との意味が、分かるようになったのではないでしょうか。漫画本の主人公コペル君は「今までにない発想(コペルニクス的)で、自分で考え、生きる道を切り開こうと励まし、それが人には出来るのだ」と読者に訴えているように思われますが、キリスト者のメッセージは、イエス様の「神の口から出る一つ一つのことばによる。」ことこそが確かな希望であると、語って行かなければなりません。

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