2020年2月16日 週報

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    「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



    「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」  (マタイ24:37−38)

    新型コロナウイルスが世界中に広がり感染者が6万人を超え、死者も1000人以上となっています。
    今、日本で一番の関心事は、豪華客船によるクルーズを楽しんでいた方々に感染が広がり、船自体が隔離状態に置かれていることです。豪華客船での優雅さと、感染による隔離生活とは、正に対照的な状態と言えましょう。
    イエス様の教えの中で「目を見張っていなさい。」と語られ、「人の子が来るのは、ちょうどノアの日のようだからです。」との教えがあります。
    神(万物の創造)を見失った人々は、神の愛や正義について全く関心を払わなくなりました。強い者が支配し、弱い者が苦しみながら次第に、よりよい世界へと発展するであろう、あるいは、自然淘汰によって、より良いものが残されていくだろうと信じていました。
    しかし、聖書には創造主なる神が、世界の主権者として、支配しておられること、あまりの人間の堕落、腐敗のゆえに大洪水をもって人類を裁かれたという記録が残されているのです(創世記6章―9章)。さらに、このノアの大洪水による全能者の介入は、救い主(メシヤ/キリスト)の再臨によって神の国を樹立されることへの警鐘と関連付けられたのです(競撻謄蹌魁法
    IT革命によって世界は飛躍的に便利になり、豊かになったにもかかわらず、目に見えないウイルスに脅かされ、一つの地域から、わずかな時間で世界中に広がり、すべての人々の往来が制限され、経済活動が停滞しています。ヒューマニストにとって、進歩すべき社会なのに、突然の自然の驚異によって人々の生活は一変し、ウイルスの広がりによって混乱が生じています。
    イエスが語られた「目を見張っていなさい。」を正しく受け止めて、偽りの預言者に惑わされることなく、キリストの証人として輝き続けましょう。

    2020年2月9日 週報

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      「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



      恐れからの自由

      「私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。」 (詩篇34:4)

      中国武漢で発生した新型コロナウイルスに感染した人々が3万人を超え、死者も600人以上となり、今も広がり続けており、経済的な問題も起こり始めています。人々は感染を恐れ、家から出られなくなったり、マスクの着用が義務化されているところもあります。
      今、多くの人々は目に見えない細菌と戦わねばなりませんし、問題解決の方法が定まっていないので、感染の広がりを「恐れ」「不安」が広がっているのです。
      「恐れ」はストレスの主な要素であり、ウイルスと共に人々の身体を弱らせることになります。
      病気と死を人々は昔から恐れてきました。自分の願いが実現しないことや失敗すること、すでに手にしているもの、それらが奪われたり、失うのを人々は恐れてきました。
      恐れを取り除く努力がされたり、改善がなされてきましたが、人々の心の中から恐れがなくなることはありません。
      恐れの根本的原因は、どこにあるのでしょう。幼い子供が泣き叫ぶのは、お母さんやお父さんの顔が見えない時ではありませんか。幼い子供にとって、親は本来、究極の拠り所であり、安心、安全基地なのです。
      お金や健康、仕事、食べ物が整えられることも大切な要素ですが、人は心(魂・霊)の真の拠り所を求めて止みません。
      人の健康、そしてこの地上に存在するすべてのものには限りがあって、不変ではありません。人は拠り所がなければ安心できず、一時的な拠り所は、それを失うと強い恐れに陥ってしまうのです。
      偽りの神々や哲学ではなく、天地万物を創造された人間の真の生みの親であり、今も、招きの手を差し出しておられる神を求め、信頼して生きる人生を歩んでください。創造主なる神は、私たちとともにいて下さり、私たちのことを心配していて下さり、守り、導き、永遠のいのちの希望を確かなものとして下さるのです。

      2020年2月2日 週報

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        「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



        「こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」 (エズラ6:15)

        今年の1月17日は阪神淡路大震災から25年となる節目の年であります。例年以上に阪神淡路ではメモリアルな行事が行われ、その時の体験を思い出し、家族友人を失った方々の悲しみを共有し、そこでの教訓を後世に継承すべく、思いを新たにされたことでしょう。人は忘れるという恵みを持っていますが、忘れずに後世に伝える使命も同時に持っていると言えましょう。
        聖書は神のことば、神のなされた御業の記録であり、文字として残され、今日まで、世界中の人々に伝えられてきました。それは、人々が万物の創造主の存在をつねに意識し、神を拝し、敬うことを忘れないためです。又、神の御教えこそ真の知識−知恵の初めであり、人はその中に幸いを見い出すのです(箴言1:7,16:20)。バビロン捕囚から解放された後のイスラエルの指導者の一人であったエズラは、エルサレムに神殿(神の宮)が再建されたのは「ペルシャのダリヨス王の治世第6年、アダルの月の3日」と記録しました。彼らは、民族絶滅の危機に遭ったのですが、奇跡的にペルシャの王たちによって、捕囚から救い出され、神殿を再建することが出来ました。それは神の約束であり、神はそのことを実行して下さり、約束は成就されました。彼らは神の民として益々神を畏れ、賛美し、その使命に生きる人々となるのでした。
        私たちの会堂も25年前の地震で大きな被害を受け、再建の必要が突然訪れたのでした。昨日まで全く予想だにしていなかったので、何の備えもありませんでした。17日の早朝5時46分に数秒間の地震で阪神淡路に住む人々の生活、いや人生は大きく変わらされました。そのような中で、奇跡と思われることが起こり、会堂再建が1996年5月に実現したのです。会員の一致による祈り、犠牲的献金と奉仕、そして、世界中の交わりある教会の祈りと支援を受けることが出来ました。一年もしない内に建設費、材料、延べ100名に及ぶ働き人が与えられました。バプテスト国際宣教団のボランティア活動であるクレイムの人々が犠牲的に働いてくださいました。本日お迎えしているシャンパート博士はその時の代表責任者としてご協力くださいました。そこで学んだことは数多くありますが「受けるより与えることは幸いである。」ということです。

        2020年1月26日 週報

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          「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



          「わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」 (マタイ24:5)

          連日のようにマスコミ(テレビSNS)では芸能関係者の不倫が報じられたり、政治家の不正疑惑が報じられていますが、あまりの日常茶飯事の故に、特別なこと、深刻なこととして思われなくなっていないでしょうか。 これらの背景にあるのは、良心の弱体化であります。健全な道徳教育が行われているかどうかも関わりがありますが、なによりも絶対的なお方の存在を否定し、絶対的な道徳基準をも否定し、相対的な生き方で良しとするヒューマニズムが広がっているからです。道徳は人間が決めるものではありませんし、完全な人間がいない以上、どのような教育者、哲学者、宗教家、ましてや政治的権力者によって決められるものではありません。絶対的、完全なる神のみが、定めることが出来るのではないでしょうか。 モーセの十戒の後半は、今日においても世界中の人々が受けている道徳律ではないでしょうか。家庭や社会で、この道徳律が守られているなら、人々は平和な日々を過ごすことが出来るのです。しかしながら人々の内側に刻まれている良心が正しく働くためにはモーセの十戒の前半が守られなければならないのです。それは、唯一の万物の創造主への信仰から生じる畏敬です。もし、神への信仰と畏敬がなければどのように道徳律を教えられたとしても有効には働きません。 国際情勢、地球環境のしるしが点滅していると思われますが、それと共に「互いの裏切り、憎しみ合い、不法のはびこり、愛の低下等々」マタイ24:10,12も、終末のしるしの一つであります。歴史的教育として、語られてきたのは、社会、国の滅びは軍事力、経済力ではなく、汚職、道徳的腐敗にありました。 教会の存在意義は「地の塩」であり「世の光」なのです。塩が塩気を失ったり、光を机の下に置いていては役に立ちません。ITの技術の進歩によって益々便利になり楽しくなるかもしれません。しかし、良心が鈍くなり、働かなくなれば社会や家庭は益々混乱し、人々の安らぎは失われてしまうでしょう。 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)

          2020年1月19日 週報

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            「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



            「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。 主があらしを静めると、波はないだ。」 (詩篇107:28−29)

            25年前の1月17日早朝、淡路明石阪神大震災が発生し、6000人以上の人々のいのちが奪われ、神戸の町を中心として、淡路明石阪神間は、一時、都市機能を失ってしまった。このような都市機能が失われるという状況は、戦後、初めての経験でした。その後、このような大震災はこれから少なくても100年は発生しないと思われていたところに「3・11」が発生して、その被害は淡路明石阪神大震災をはるかにしのぐ甚大な災害となり、今日も、多くの人々は、その時の災害で苦しんでおられるのです。 人間の知識は著しく進歩しており、様々な研究開発が進んでおり、災害予知予防に活用されています。東北での大津波を予測して、10M以上の壁が築かれていたなら甚大な被害を防げたかもしれません。
            しかし、人々はどこかで、早く、人間の能力は有限であり無限ではないことを謙虚に認め、気づかなければならないのではないでしょうか。人の都合に合わせた守護神で良しとするのではなく、天地万物を造られた、すべての民族の唯一の創造主を畏れ敬わなければなりません。原子力の研究と開発、IT技術によるAIの開発DNAの研究、電子マネー等々科学技術は益々進んでいますが、それらの技術を誰が、どのような目的で使うかによって、人類に幸いだけでなく甚大な問題をもたらすことでしょう。
            あちらこちらで異常気象により、大雨による洪水、海面の上昇による陸地が水没、乾燥による山火事、森林火災、オーストラリアでは、東京から青森までの面積と同じ森林が燃え続け、いまだに鎮火していないとのこと(2019年9月より)。聖書の教える罪(ハマルティア、的外れ)の根本は、真の神(創造主)を認め感謝し、礼拝しようとしない人々の生き方にあるのです。 「主を畏れることは知識の初めである。…」(箴言1:7)

            2020年1月12日 週報

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              「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



              「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」 (マルコ13:33)

              新国立競技場が完成し、東京オリンピックを待ち望む準備が着実に進んでの新年早々、世界中が一瞬、緊張する出来事が起こりました。アメリカがイランの総司令官を無人飛行機で攻撃し、殺害したのです。そのことの報復として、イランがイラクに駐留する基地をミサイルで攻撃し、アメリカ、イラン全面戦争が勃発するかもしれないと世界中の人々が案じています。今のところ、それぞれは、全面戦争を回避したいとの意向のようですが…。
              今日の中東問題はイスラエルが中心ではなく、むしろ、アラブの世界と大国アメリカ、中国、そしてロシアが絡む紛争、テロ問題が重点となっています。しかし、イスラエルとの関係は常にあると考えられましょう。
              21Cの今日、石油を持たない中東の小国、イスラエルがどうして世界の火だねと言われ続けられているのでしょうか。
              2018年5月17日イスラエル共和国建国70周年を迎え、イスラエルではコインが発売されました。そのデザインは第3神殿であり、その裏にはトランプ大統領と、クロス王(ペルシャ)が刻まれています。イスラエルをバビロンから解放したペルシャのクロス王は21Cにおいてはトランプ大統領とイスラエルは考えているのです。
              エルサレムを正式にイスラエルの首都と認めたことなど…。イスラエルの様々な、その一つ一つが聖書預言の成就として、説明されるのです。3500年前に書き始められ、2000年前に完成した聖書の預言はことごとく成就したこと、していることを、聖書を真摯に学んでいるなら、誰でも確信させられるのでしょう。
              中東で様々なことが起こっていますが、私たちキリスト者は、全く驚くことはありません。それはすでに聖書に啓示されていることだからです。
              「目覚めよ!」は、キリスト教の異端の代表的雑誌の一冊で、よく知られていますが、彼らの主張は繰り返し誤ってきました。しかし、「目を覚まして注意していなさい。」はイエスご自身の勧めですので、軽んじてはなりません。今はどのような時代なのか、キリスト者は信仰の目を開いて賢く生きる者でありましょう。

              2020年1月5日 週報

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                「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14

                「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)

                2020年は21Cを迎えた中で、とても重視すべき一年となると、多くの人々が考えているのではないでしょうか。
                アメリカの大統領が変わってから世界情勢は急激に変化していますが、今年は再選となるかどうかの年です。ヨーロッパではイギリスのEU離脱が決定的となりました。香港のデモが続く中で米中貿易戦争は、どのように進展するのか、世界中が注目しています。これらの一つ一つは日本にとっても、影響は大となることでしょう。日本では東京オリンピックが開催される年で、昨年のラグビーブーム以上の感動が期待されていますが、日本社会の政治経済の実体は、昨年から引き継き、忌々しき状態は全く変わっていません。これらの世界の政治経済、そして社会状況の大激変の故に多くの方々が不安を感じておられると思われます。
                キリスト者にとっても同様です。しかし、私たちは一つの確信をもってこれらの変化を迎えているのです。それは、聖書の真実です。聖書の預言の通り、世界は一つの政府を目指しての激変が起こっていると思われます。アメリカの弱体化、アジアの台頭、ヨーロッパの不安定、それは、かつてのドイツのように、人々は強力なリーダーを求めるようになるでしょう。クリスチャンでない方々でも聖書預言について真剣に研究されています。金融の分野でユダヤ人が注目され、エルサレムに第三神殿が再建される計画の話も始まっております。
                私たちの教会は50周年に既に大きな目標を掲げ、その実現を目指して走っていますが、まだ達成されていません。今年は、震災復興25年メモリアルとなります。主の導きで、会堂再建工事のアメリカチーム最高責任者シャンパート博士が来会くださいます。震災後、一年4カ月で再建を達成しました。その時の感動感謝を大きな励みとして、三つの目標「新しい奉仕者への継承、新しい宣教の働き(幼児教育、高齢者への支援を含む)、新しい会堂」の実現を目指し、さらなる前進を実現する年となりますようにお祈りください。

                2019年12月29日 週報

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                  「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



                  「また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。…その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」 (黙示録13:17−18)

                  21Cを迎え、間もなく20年になろうとしています。IT技術のさらなる進歩によって、人々の生活が大きく変化している世紀であり、便利さや安全は人々をしあわせにするのに歓迎されているのですが、同時に新たな不安や、犯罪が広がり、人々の心配は少なくなることはありません。
                  ITの進歩は瞬時に多くの情報を共有できることによって世界のどこに住む人々にも幸いをもたらすのですが、問題も一瞬に広がるようです。
                  現金を持たなくても、その国の通貨を持っていなくても普段と同じように、買い物ができるということ、とても便利なことで、旅行を気軽にできることとなりました。
                  そのような気軽で便利な通貨システムを利用しようとすると金融機関やさらには政府によって預貯金を含めた個人情報も他者によって管理されることとなるのです。しかも、国境を越え、グローバルな管理となるのです。
                  便利さがある特定の個人、権利によってコントロールされるという、数世紀前には、誰もが考えられない時代が今や現実となりました。
                  18C頃からある人々は創造主を否定する世界観を真理と信じて聖書の真実性を疑い初め、その考え方を広めてきました。 21Cに入り20年を迎えようとして、聖書は全く、的外れの預言であり、誤りが証明されたでしょうか。科学技術の進歩によって、21Cは理想世界となり、不正も、欺きも、戦争もない世界を実現しようとしているでしょうか。
                  黙示録には、将来に世界政府を作ろうとする強力な指導者が登場し、世界中の人々がそのリーダーの下で管理されると預言され、その印が、人の手や額に刻印され、それは「六百六十六」とありますが、多くの人々は何かを象徴しているのにすぎない、このようなリーダーも世界中の人々が管理される制度など不可能と考えられてきました。しかし、21Cを迎え、黙示録の記述は、文字通り、解釈され、理解できることとなっているのです。正に聖書は、人類に与えられている神のことばであり、人々にとっての最高の拠り所と言えます。

                  2019年12月15日 週報

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                    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



                    聖書の神とクリスマス

                    「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタイ1:23)

                    新しいいのちの誕生は、人の人生における最大の喜びと言ってよいでしょう。約束されていたメシヤ(キリスト)が誕生し、預言(イザヤ7:14)が成就しました。
                    聖書の神は万物の創造主であられるだけでなく、人格を有し、人格のある人間と愛の交わりを望まれるお方であられます。それは、文字となって、神のことばが記録され神の意志が明示されているので、人間は神のご性質が愛であることが分かるのです。モーセの十戒は前半の4戒までが人と神との関係の戒めで、残りは、人と人との関係を教える戒ですが、いずれもその精神は愛であり、人が神を愛し、人と人との関係において愛を築くことによって戒めへの遵守が行われるのです。
                    さて、その愛の内容は、どのようなものなのでしょうか。それは神の独り子イエス・キリストの犠牲によって現わされました。正しい人々の為だけではなく、罪人の為にも身代わりとなるために、いのちの犠牲を喜んで捧げてくださいました。
                    宗教は救いのために人々の善行を求め、人は努力し正しいと思われる人々しか報いを与えません。しかし、神はすべての人々(罪人、そして自分を善人とする人々)に赦しと永遠のいのちへの希望のために無償の救いの手を差し出されたのです。神は人間の思考で生み出された存在でも、単純に恐れられる神秘的存在でもありません。人類の真の生みの親であり、人をご自身のかたちに似せて創造され、神の代理としてこの世界を治めさせようとされたのです。人は真の神との交わりを回復することによって、自分の存在と目的、生きがいを発見するのです。神の御子イエスは人々を神のもとに戻すお方として、この世界にお生まれになり、人々の罪の罰を代わりに負って十字架上で死んでくださいました。「Born to Die/死ぬために生まれた」クリスマスは死ぬために生まれたキリストを覚える日ともいえるのです。
                    「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 (汽茱魯唯粥В隠)

                    2019年12月8日 週報

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                      「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



                      「神、その道は完全。…。」(競汽爛┘襭横押В械院

                      冨岡昌先生夫妻がバングラディシュ医療宣教を始められてから28年、今、その働きは豊かな実を結んでおられます。教会には200人以上の人々が集まり、スタッフも20人以上の人々が奉仕され、クリスチャンスクール、バイブルスクール、村での伝道が50〜60カ所へと広がりを見せています。イスラム(ムスラム)教徒が90%という国で、この素晴らしい祝福はどのようにして実現できたのでしょうか。先生が証しされているように、これは主のご計画であり、主の御業であります。主の御言葉の通り、主はご自身を信頼し、従うものを必ず豊かに祝福してくださるのです。
                      教会成長の原則は明らかであり、どの時代、どのような環境におかれていても、いかにしてキリストの弟子として主に仕える者が生み出されるかであります。中国においてはさらに宣教は困難であります。政府は教会を積極的に弾圧しようとしているからです。そのような中でどのようにして教会は宣教を拡大しているのでしょうか。それは“キリストの弟子”が数多く生まれるからです。キリストの弟子とは伝道者、宣教師になるということではなく、どのような生活スタイルであっても、キリストを第一として生きようとする人々のことです。バングラディシュの環境で医療や教育は大きな必要があると思われました。先生は、医療で働く人々をすべてキリスト者であり、教会の奉仕者となるべく、即ち、キリストの弟子となるように訓練されました。又、それと並行して医療で働く家庭の子供たちを教育するために、クリスチャンスクール、その後のバイブルスクールを進行させ、弟子作りをされてこられました。そこではクリスチャンホームの建設強化も行われているのです。今ではクリスチャンスクールを卒業した人々の中から教師も誕生しています。勿論、このことを実現させるのには米国のバプテスト・ミド・ミッションの諸教会によるサポートが与えられていることも重要でしょう。これからも、これらの支援は重要な鍵です。私たちの教会においても、そして日本の宣教においても大切な点は、いかにしてキリストの弟子を多く生み出せるかです。個人の信仰に期待するだけでなく、キリストの弟子を生み出せるような環境作りをしていく必要があるのではないでしょうか。教会主催でクリスチャンが働ける場を生み出していく。幼児教育(教会の強さは宣教師との関連で語学、英語、中国語等々にあります。)、学習塾、看護や高齢者福祉のサポート等々。すでにこれらは行われてきましたが、やはり働く人々への弟子訓練が十分ではなかったこと、そして日本の歴史的弱点はキリスト教が家庭に浸透しなかったことにあります。

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