2018年8月12日 週報

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    「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、 わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる」ハガイ1:8



    「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:3)


    人は、全能者であられる創造主によって造られ生かされているので、全能者を造られた者が自分の理性(目で見、手で触れ、耳で聴くこと)などによって完全に理解することは出来ません。永遠の存在者を信仰によって受け入れるのです。
    では、創造主を否定して、どのように生命の起源を説明、納得できるのでしょうか。ある人々は生命の自然発生を信じたり、同じように偶然に生存するようになった物質から命が誕生し、進化の課程を通して人類が誕生したと説明します。
    しかし、いずれも最初の出発は、信仰、あるいは信念によって、始まっているのです。科学的にどのように研究が進んだとしても、自分の誕生を目撃すること、観察することは不可能であり、地球上の生命が、他の惑星から飛来したと説明できたとしても同じ問題は解決されていません。
    最初の物質はどのようにして存在するようになったのか?自然はどのようにして存在するようになったのか?これは永久の謎であります。
    創造説も、科学的と言われている様々な説も、信仰や信念によって、スタートすることについては全く同じなのです。 創造が正しければ、人間は昔から知的、道徳的、宗教的であり、中間種は発見されません。人間は自然界、他の動植物を治め、管理する立場に立ち、他の動物や植物によって支配されることはありません。男女の二性の区別が存在し、第三、第四の性は誕生しません。
    人は創造主を認め、そのお方の言葉として聖書を受け入れるなら、その教えに従うことによる幸いを体験し、その言葉から離れるなら、様々な問題を体験することとなるのです。
    聖書が永遠のベストセラーである事実は、聖書の原著者であられる神の存在が事実であることを明らかにしているといえるのではありませんか。


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