2019年1月20日 週報

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    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」 (詩篇116:15)

    樋口勝也兄が1月17日、75歳の地上の人生を全うされ天に召されました。昨年の9月三男さんが若くして亡くなられたことで、とても心を痛めておられましたが、お体のことでは特別なことは伺っていませんでしたので、10日の入院手術、その後、生死の闘いとなる重篤なご病気とは知らず案じておりました。
    6年以上前に兄弟は心臓の不整脈手術の治療を受けられているとき、とても危険な状態となられましたが、奇蹟的に回復され、とても喜び主に感謝されておられました。
    しかし、1月17日、日が変わり直ぐに召され、主イエスのもとに行かれました。
    兄弟が教会に来られ信仰告白されるきっかけとなったのが、24年前の1月17日に起こった大震災でした。私にとっては1月17日は決して忘れることのない日となりました。神様はすべてのことに主権者として、支配されていることを確認させられました。
    「主の聖徒たちの死はなぜ主の目に尊いのでしょうか。」
    私たちが地上生活のために必要とする肉体は、誰であってもアダムの堕落以来、弱り、ついには死を迎えなければなりません。しかし、死は肉体の弱さがもたらす様々な苦しみ、不自由さからの解放となるのです。「しかり、彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。…」(黙示14:13)
    キリスト者は永遠のいのちの祝福に与るので、その霊(私自身)は、イエス様のおられる天上に移され、そこで生き続け、そのいのちは苦しみ、不自由さではなく、幸いな憩いとなり、この地上の労苦もそこで十分に報われるのです。
    キリストが復活されたように“キリスト者も再び、キリストの体に似る者として新しい体に宿り、復活する希望、主にある人々との再会の希望があるからです。これらすべての希望は人の思いによって生まれたのではなく、イエス・キリストの十字架と復活という歴史的、額観的根拠に基づいての希望であります。
    ですから、「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」のです。


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