2019年 2月24日 週報

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    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「…舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。…」  (汽灰螢鵐硲隠粥В后

    教会の誕生の時、新しい時代の幕明けとしての出来事、しるしが登場しました(使徒2:1−2)。それは御聖霊の降臨でありました。この時からすべての信者のうちに御聖霊は内住し、世界に向かっての福音宣教がキリストの弟子たちを中心に始まったのです。そして、各地域に教会が誕生することとなりました。本来、視覚的にとらえることのできない聖霊の存在が炎の現われで確認され、外国語の訓練のない人々が突然外国語を話すという奇蹟が起こり、当時の世界各地からエルサレムに来た人々とコミュニケーションができたのです。このことを異言(ヘテロ グローサ)と呼んだのです。後に聖霊を強調する人々は特別な聖霊体験による神との神秘的交流手段としての異言を強論しようとしましたが、正しい聖書解釈によるものではありませんので、そのような体験はすたれてしまいました。
    ここで教えられていることは、ことばの共通性がコミュニケーションと理解の上で大切であるということです。宣教師とは、母教会から出かけ、海外で福音を伝えるために召された人々で、常に言葉の課題が優先的に存在しています。
    宣教師ご家族の語学の学びのためにお祈り、ご協力ください。
    明治期に日本の本格的宣教が開始されました。主にイギリス、アメリカからの宣教師でした。当時、日本はキリシタン禁令が出たままでした(明治7年廃止)。宣教師たちは住居も制限され、公に布教できませんでしたが、洋学塾の教師として、将来を担う若者たちに触れ、洋学とともにバイブルを教えたのです。若者は英語を学び、バイブルや西洋の知識を手にすることとなりました。明治時代に多くの指導者がこのような中で育ったのです。大隈重信、福沢諭吉、勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文、新島襄、岩崎弥太郎、五代友厚、森有礼等々。すべてがキリスト教徒となったわけではありませんし、自由主義キリスト教の影響もありましたので、日本の宣教の土着化は軟弱でした。今日、グローバルな世界、IT革命の中で英語が世界共通言語となったのです。そのために、日常の生活で英語を話すという才能が普通に求められているのです。小学校の教科書の中で、中高大の受験、仕事、商店での接客で会話の能力が求められます。
    教会では、このようなニーズにこたえる英会話教育を一つの伝道手段としようとしています。ご祈援ください。


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