2019年3月17日 週報

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    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」(使徒17:24)

    日本における宣教で最も大切で困難な戦いとなるのは、聖書の神を正しく教え、宣教することにあると言えましょう。日本は天皇を神として、国民はその神の臣民として歩んできた長い歴史があります。さらに日々の生活においては、様々な神々との関わりで、縁起を担ぎ、禍ではなく幸運をもたらすという宗教習慣が仏教や神道の関わりで、深く日々の生活に染みこんでいます。12支、今日の運勢、方位方向、厄年等々。また、同時に歴史科学の視点からは明治10年より公立学校で進化論が正しい唯一の世界観と教えられているのです。
    ですから、聖書の教える神、唯一の万物の創造主―を受け入れる土壌としては多くの雑草が生えているところに種を蒔くようなこととなっているのです。
    真の神、創造主が正しく教えられ、信じられないところでは、無神論的進化論を初め様々な偶像崇拝、新興宗教が盛んとなることでしょう。
    なぜなら、人は誰でも何かを信じていなければ生きることができません。
    進化論も一種の宗教であって、科学としては成立していません。初めに自然が存在していた、自然界の素晴らしい秩序の中で人は生かされていると理解して、太陽や星、山や川、海を神々とする信仰、それらの自然の中に神の霊が宿っているという信仰などが生まれていますが、これも造り主を認めず、造られたものを崇拝する偶像礼拝です。ある人々は人間自身の素晴らしい英知を信じたり、富を第一として創造主とその権威あるみことば聖書を受け入れません。
    人はどのように生きることによって真の幸いを手にすることができるのでしょうか。その第一歩は、聖書が教えている唯一の万物の創造主なる神によって生かされていることに気づかれることです。
    人の英知、いのちの尊厳と自己中心性の貪欲は、創造主の存在と正しい関係から考えなければ、満足する答えを見つけることはできません。神のかたちに似せて造られたことは、人の英知、尊厳の土台であり、いのちの源から離れた生き方こそ、自己中心性の貪欲的生き方の源です。


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