2019年3月24日 週報

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    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」 (使徒17:25)

    昔から、人は自分たちの家族や民族の繁栄を願って、様々な神々を造り、祭ってきました。ある宗教は個人、民族を越えた広がりをもつものもありますが、多くはある特定の民族の繁栄が中心ではないでしょうか。
    聖書の中で、特に旧約においてイスラエル人(ユダヤ人)を神の民として特別な扱いをしているために、イスラエルの民族宗教と誤解されることもありますが、しっかりと聖書全体を読めば、そうでないことは明らかです。聖書の最初のことばは「はじめに神が天と地を創造した。」で始まり、人間も神によって創造され、生かされているというのが明らかな教えであり、これが福音のメッセージなのです。
    人は自分たちの幸福を願って様々な神々を造って崇拝してきました。ある特定の優れた人物を死後に神格化して、その人と同じような利益に与ろうとするものであり、しっかりとした一貫した世界観、人生観は十分でなく。宗教のすべては、人間のわざによる努力、修行が救いの条件となっています。
    いくつかの宗教(例えば浄土真宗はナムアミダブツと唱えることによって)は、キリスト教の恵みの影響を受けていると言われており他力信仰と言われていますが…。
    本来、すべての人間はアダムとエバが先祖であり、(途中、セム、ハム、ヤペテから)神の子、神によって造られ活かされている存在なのです。人間の尊厳(神のかたちを持つ)も、人間の英知も神の創造の故であります。ですから、創造主との正しい関係を持つことなしに、人間は正しく自分を知ること、生きることができないのです。
    新約聖書には200回以上、「罪」という言葉が出てきます。これは、人を不道徳、社会的犯罪者という以前に、創造主との正しい関係に生きていないことを教えているのです。
    創造主が分からないと「罪」が分かりません。「罪」とは創造主を認めない、感謝しない、神と関係なく生きようとすることであります。
    いのちの源である神からはなれてはまことのいのちはありません。


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