2019年 3月31日 週報

0
    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」 (使徒17:29)

    大関に昇進された力士が「武士道を重んじて…。」という表現を使って、口上が語られたと報じられました。
    この「武士道」こそが日本国民一般の高い道徳心を表していると考えられてきました。自分を犠牲にしてでも君主や親への徳を重んじるという精神…。学校教育も国民全体に広がっており、公衆道徳も高く、よほどの犯罪者でなければ「罪人」と言われても、自分のこととは考えられません。むしろ心の中では反発を覚えることでしょう。
    すでにお話したように、聖書の「罪(ハマルティア)」という意味は「的はずれ」、万物の創造主、主権者の意に反する生き方を罪(ハマルティア)とするのです。
    ユダヤ人は神の選民との自負がありましたので、アブラハムの子孫として生まれているだけで罪人ではなく、神の民であり、罪人ではないと考えていたのですが、「ユダヤ人もギリシャ人もすべての人は罪人である。」と聖書は語っています。
    「武士道精神」だけでなく「天皇の臣民」であるという自負に加えて、明治10年から公教育では徹底的に進化論教育が行われ、創造主を否定する思考が植え付けられてきました。
    では、今日の日本、および世界に見られる社会の状況はどうでしょうか…?親の子供に対する虐待、いじめや偏見、家庭内のDVや殺人、性的犯罪、詐欺事件の横行…。海外では、内戦、テロ、難民の増加、民族差別等々。
    人間の道徳心やヒューマニズムによって生まれるであろう理想社会とは真逆に向かっているのではないでしょうか。
    創造主を否定する人々の精神は、自分を神とする自己中心で、それはすべての争いの根源と言えましょう。自分の罪に気付かなければ、救い主の必要は分からず、求めることがありません。
    聖書の教える罪の気づきは救いへの大きな一歩です。


    calendar

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    << February 2020 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM