2019年9月8日 週報

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    「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」へブル11:6



    「幸いな人(8)−心の貧しい人−」

    「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)

    聖書には480回以上「幸い(アシュレー)、祝福する(バーラク)」という表現が使われており、幸いな人生のためのガイドブックと言ってよいでしょう。
    神は、人をご自身のかたちに似せて、人々を祝福し、神の栄光を現わそうとされました。しかし、人は、神から離れ、自己の知恵と力によって、自分たちの欲することの中に幸いを見つけようとしていますが、羊飼いから迷い出た羊のように、自分たちの欲する道を歩みつつも、そこには常に危険があり、真の安心と満たしはありません。21Cの世界の混迷は、ちょうど羊飼いから迷い出ている羊のようではないでしょうか。
    イエス様は、ご自身の代表的説教(山上の説教)の中で「心の貧しい者は幸いです。」と語られました。「貧しさは」人の常識からすれば、不幸の条件の一つです。このような言い回しをされた一つの目的は、イエスの教えは、人々の考える価値観とは、別の真の価値観で教えようとされていることを示しています。単なる貧しさがすべて幸いというのではありません。「心の貧しい者」と言われました。原文を直訳しますと「霊において、in Spirit」となります。それは、人の肉体のいのちよりも高次のいのち、内面のいのち、その人の本質にかかわるいのちのことです。イエスは「宝のある所に心もある。」と言われたように、こころはその人の人格の座であり、心が何を求めているかがその人が真に求めていることと言えましょう。
    人の自己認識で、自分の本質において、「弱さがある、足りなさがある、満たされていない、本当の拠り所を必要とする」と、へりくだった心であるかどうかということです。人は、自分を神になろうとして堕落しました。人は自分の弱さ、足りなさ、汚れを気づかずして、真に神を求めようとはいたしません。
    放蕩息子は、父を認めず、必要とはしないと慢心して、自分の好きなように生きていました。しかし、自分の貧しさを真に自覚しへりくだることによって、父の家に帰り、再び子供として扱われる幸いに戻ることが出来ました。心の貧しさへの気づきは、神を受け入れる人生をスタートさせる第一歩です。


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