2020年1月26日 週報

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    「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 (ピリピ3:14)



    「わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」 (マタイ24:5)

    連日のようにマスコミ(テレビSNS)では芸能関係者の不倫が報じられたり、政治家の不正疑惑が報じられていますが、あまりの日常茶飯事の故に、特別なこと、深刻なこととして思われなくなっていないでしょうか。 これらの背景にあるのは、良心の弱体化であります。健全な道徳教育が行われているかどうかも関わりがありますが、なによりも絶対的なお方の存在を否定し、絶対的な道徳基準をも否定し、相対的な生き方で良しとするヒューマニズムが広がっているからです。道徳は人間が決めるものではありませんし、完全な人間がいない以上、どのような教育者、哲学者、宗教家、ましてや政治的権力者によって決められるものではありません。絶対的、完全なる神のみが、定めることが出来るのではないでしょうか。 モーセの十戒の後半は、今日においても世界中の人々が受けている道徳律ではないでしょうか。家庭や社会で、この道徳律が守られているなら、人々は平和な日々を過ごすことが出来るのです。しかしながら人々の内側に刻まれている良心が正しく働くためにはモーセの十戒の前半が守られなければならないのです。それは、唯一の万物の創造主への信仰から生じる畏敬です。もし、神への信仰と畏敬がなければどのように道徳律を教えられたとしても有効には働きません。 国際情勢、地球環境のしるしが点滅していると思われますが、それと共に「互いの裏切り、憎しみ合い、不法のはびこり、愛の低下等々」マタイ24:10,12も、終末のしるしの一つであります。歴史的教育として、語られてきたのは、社会、国の滅びは軍事力、経済力ではなく、汚職、道徳的腐敗にありました。 教会の存在意義は「地の塩」であり「世の光」なのです。塩が塩気を失ったり、光を机の下に置いていては役に立ちません。ITの技術の進歩によって益々便利になり楽しくなるかもしれません。しかし、良心が鈍くなり、働かなくなれば社会や家庭は益々混乱し、人々の安らぎは失われてしまうでしょう。 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)


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